第301話:仕組まれた憎しみ
魔族領、穏健派の隠れ家として使われている砦の一室。
薄暗い石造りの部屋の中央で、過激派の若い魔族が魔封じの縄で縛られ、床に座り込んでいた。先日の襲撃で、ヘンドリックが傷一つつけずに無力化し、捕らえた者の一人である。
「殺せ! 人間に魂を売った裏切り者どもめ!」
若い魔族は、目の前に立つマジカを鋭く睨みつけ、牙を剥き出しにして吠えた。
「どうしてそこまで人間を憎むんだ。人間と手を取れば、飢えることもなくなるのに」
マジカが静かに問うと、若い魔族は憎悪に満ちた声で吐き捨てた。
「ふざけるな! 俺の故郷の村を焼き、家族を奪ったのは人間だ! あいつらは丸腰の我らを笑いながら虐殺した! その恨みを忘れて、どうして手など取れる!」
その悲痛な叫びに、マジカは息を呑んで言葉を詰まらせた。
しかし、部屋の隅で壁に寄りかかっていたヘンドリックは、鋭く目を細めた。
『……妙だな』
ヘンドリックは静かに前に出ると、若い魔族を見下ろした。
「お前の村が焼かれたのは、いつ、どこだ」
「……三年前の冬だ! 国境付近の小さな集落だ!」
その言葉を聞いた瞬間、扇子で口元を隠していたルミナリアが、冷たい声で口を開いた。
「あり得ぬな」
ルミナリアは、懐から取り出した王国の軍事記録の写しを開いた。
「三年前の冬、王国の正規軍および国境警備隊は、記録的な大雪の対応に追われ、国境付近の巡回すら凍結しておった。ましてや、魔族の集落を襲撃するような部隊の動きは、一切記録にない」
「嘘だ! 俺はこの目で見た! 王国の紋章を掲げた人間の兵士たちが、火を放つところを!」
激昂する若い魔族に対し、ヘンドリックは静かに指を鳴らした。
詠唱すらなく発動したLv1の水魔法が、空中の水分を集め、巨大な水鏡を作り出す。そこに映し出されたのは、ヘンドリックが周囲に残された微かな魔力の痕跡から読み取った、過去の残響だった。
水鏡の中で、燃え盛る村の前に立っていたのは、人間の兵士ではなかった。
王国の紋章を偽造した鎧を着込み、人間のように振る舞う、魔族たちだったのだ。彼らの首筋には、あの黒幕の組織が使っていたのと同じ、禍々しい刻印が刻まれていた。
「な……んだ、これは……?」
若い魔族が、信じられないものを見るように水鏡を見つめ、ガクガクと震え始めた。
「王国の軍人に見せかけた、偽装工作だ。お前たちは、同胞を殺してまで戦争を煽ろうとする組織に、憎しみを仕向けられていたんだ」
ヘンドリックが淡々と事実を突きつけると、若い魔族は呆然と項垂れた。
「じゃあ、俺たちの憎しみは……俺たちの戦いは、何だったんだ……!」
絶望に打ちひしがれる彼に、マジカがそっと歩み寄り、その肩に手を置いた。
「利用されたんだ。お前たちも、アタシたちもな」
マジカの声には、怒りよりも深い悲しみが滲んでいた。
しかし、この事実を知るのは、ここにいるごく一部の者たちだけだ。外ではまだ、黒幕の残党が真実を隠し、過激派の憎しみを煽り続けている。
『……根は、まだ深いな』
ヘンドリックは水鏡を消し去りながら、これから対峙すべき闇の深さに、静かにため息をついた。




