第294話:王家からの出向と、過保護な兄
王城の奥深く、柔らかな陽光が差し込むルミナリアの私室。
最高級の茶葉の香りが漂う優雅な空間で、ルミナリア王女は優雅にティーカップを傾けていた。その正面には、真新しい側仕えの制服に身を包んだ妹が、背筋を真っ直ぐに伸ばして立っている。
妹は、少しだけ緊張した面持ちで、しかし真っ直ぐな瞳で主君を見つめ、静かに口を開いた。
「殿下、お願いがあります。新生ギルドの立て直しを、手伝わせてください」
その言葉に、ルミナリアはカップをソーサーに置き、面白そうに口元を扇子で隠した。
「ほう。わらわの側仕えを、早々に辞めたいということか?」
「いえ。決してそのようなことはありません」
妹は首を横に振り、前日からずっと考えていた提案を口にした。
「殿下の側仕えという立場はそのままに、王家の名代としてギルドに出向する形にできないかと思いまして」
「……ほう」
ルミナリアが目を細める。
「新生ギルドは、国にとっても重要な機関です。しかし、現在は圧倒的な人手不足と予算の混乱に陥っています。王家から監査および立て直し補佐の名目で人員を派遣すれば、ギルド側の信頼も得られ、王家としても透明性を確保できます」
スラムで育ち、水の都を生き抜いてきた彼女ならではの、非常に現実的で理にかなった提案だった。
ルミナリアは感心したように「考えたのう」と深く頷いた。
「よかろう。わらわの名代として、新生ギルドの監査と立て直し補佐を命じる。……まあ、本当の狙いは別にあるようじゃがな」
ルミナリアが意味深に笑って視線を向けると、妹は少しだけ顔を赤くした。
「……お役目です」
妹は、完璧な淑女の礼をして、足早に部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
王城での許可は得たものの、一番の難関は公爵邸にいた。
過保護な兄、ヘンドリックである。
「なぜ安全な王城から、激務のギルドに行く必要がある」
案の定、リビングのソファで話を聞いたヘンドリックは、深く頭を抱えていた。
「せっかくルミナリアの元で安全な立場を得たんだ。わざわざ徹夜が当たり前の、しかも予算不足で火の車になっている泥舟に乗る必要はないだろう」
「泥舟じゃないよ、お兄ちゃん」
妹は、困ったような、けれどどこか嬉しそうな笑顔で言い切った。
「私が、やりたいことだから。……シリルさんが、過労で倒れそうなの。放っておけないよ」
その真っ直ぐな言葉に、ヘンドリックは反論の言葉を失い、しばらく黙り込んだ。
目の前に立つ妹の姿が、かつての自分の記憶と重なる。
水の都で、金のために危険な依頼をいくつも掛け持ちし、誰にも頼らず一人でボロボロになっていた自分。そんな自分を、彼女はずっと、今の彼女と同じような痛みを伴う目で見つめていたのだろう。
『……俺を、ずっとそうやって見てきたんだな、こいつは』
ヘンドリックは小さく息を吐き、小柄な背中を丸めた。
止められるはずがなかった。彼女の行動の根底にあるのは、かつての不器用な兄を放っておけなかった、あの優しさなのだから。
「……無理はするなよ」
「お兄ちゃんに言われたくないよ」
妹がくすりと笑い、ヘンドリックもつられて小さく笑った。
◇ ◇ ◇
その日の午後。
魔術師ギルドの執務室で、シリルは急激な胃の痛みに襲われていた。
目の前には、どこからどう見ても不機嫌オーラを全開にしたヘンドリックが立っていたからだ。
「……妹を頼む」
ヘンドリックの声は地を這うように低かった。
「は、はい! 全力でサポートさせていただきます!」
「……無理をさせたら、分かってるな」
凄まじい無言の圧力と、僅かに漏れ出たLv1魔法の殺気に、シリルは胃を激しく押さえて震え上がった。
「命に代えても、定時で帰します……っ!!」
こうして、ヘンドリックによる強烈な釘刺しを経て、妹がギルドへ通う日々が正式に始まった。
◇ ◇ ◇
夕暮れ時のギルド執務室。
窓から差し込む橙色の光の中、二つの影が机に向かって並んでいる。
「シリルさん、こっちの予算案の計算、終わりました。次は魔法薬の仕入れリストをお願いします」
「あ、ありがとうございます。……信じられない。あの書類の山が、もうこんなに減るなんて」
シリルが感動に打ち震えながら、妹から綺麗に整理された書類を受け取る。
膨大な仕事を二人で協力して捌く、忙しくも穏やかな時間が流れていた。
カリカリと羽ペンを走らせるシリルの横顔を、妹はそっと盗み見た。目の下の濃いクマはまだ消えていないが、初めてこの部屋を訪れた時のような、悲壮感に満ちた顔色ではなくなっていた。
『……シリルさん、少し顔色が良くなった気がする』
妹は小さく微笑むと、再び手元の書類へと視線を落とした。
不器用な二人の穏やかな時間は、これからもゆっくりと続いていく。




