第293話:シリルのギルド再建・お披露目と、こっそり来た妹
王都の中心部から少し離れた場所に、真新しい石造りの建物が完成していた。
かつて黒幕の手によって腐敗し、解体された魔術師ギルド。それが今日、シリルをトップに据えた新生・魔術師ギルドとして、無事にお披露目式の日を迎えたのだ。
広場には多くの魔術師や関係者が集まっている。
その中心で、真新しい長官のローブを身に纏ったシリルが、緊張した面持ちで立っていた。深刻な予算不足に苦しみながらも、彼はなんとかこの日を形にすることができたのだ。
「……我々、新生魔術師ギルドは、過去の過ちを二度と繰り返しません」
シリルの声が、静まり返った広場に響き渡る。
「魔術の研究データは、決して一部の権力者の野望や、他者を傷つけるために存在するのではない。人々の生活を豊かにし、世界の真理を探求するためにある。これが新ギルドの理念です。私は、その理念と、ここで研究に励むすべての魔術師のデータを、正しく守り抜くことを誓います」
力強い宣言に、集まった魔術師たちから割れんばかりの拍手が巻き起こった。
かつて、自分の研究データを悪用され、絶望の淵に立たされていた青年は、もういない。今、彼は自らが盾となり、後進の魔術師たちを守る立派なギルド長として、そこに立っていた。
少し離れた場所からその様子を見守っていたヘンドリックは、小柄な背中を丸めながら小さく頷いた。
◇ ◇ ◇
お披露目式が無事に一段落した後、祝いに駆けつけていたヘンドリックはシリルに声をかけた。
「閣下……来てくださっていたのですね」
シリルはヘンドリックの姿を認めると、安堵したように息を吐いた。
「ああ。いい挨拶だった」
「ありがとうございます。閣下のおかげです……」
シリルはそう言ってから、酷くやつれた顔でふらふらと笑った。
「……ただ、建物の再建と人材確保にかかった予算は、まさに地獄でしたが」
『……こいつ、生きていけるのか』
ヘンドリックは、今にも倒れそうな新ギルド長を見て、内心で深く同情した。
◇ ◇ ◇
夕闇が王都を包み込み始めた頃。式の熱気も冷めた、静まり返ったギルドの執務室。
その扉が、控えめにノックされた。
「……はい。どうぞ」
中から聞こえてきたかすれた声に、扉の前に立っていたヘンドリックの妹は、そっとノブを回した。
「シリルさん、お披露目おめでとうございます」
妹は、王城の厨房でこっそり包んでもらった差し入れを抱えて、訪ねてきたのだった。
しかし、執務室の中に足を踏み入れた瞬間、彼女は笑顔のまま完全に固まってしまった。
広い執務室の中は、まさに惨状だった。
大きな机の上には、天井まで届きそうな未処理の書類と予算案の山が、いくつもそびえ立っている。
その書類の山の隙間で、極度の睡眠不足により目の下に濃いクマを作ったシリルが、死にそうな顔をして羽ペンを走らせていた。
「あ……わざわざ、ありがとうございます。すみません、散らかっていて……」
「……シリルさん。これ、全部一人でやってるんですか?」
妹は、呆然としながら尋ねた。
「ええ。新生ギルドの立ち上げにあたって、やらなければならないことが山積みでして。まだ人手が足りなくて、でも私がやるしかないので」
シリルは力なく笑い、再び書類に目を落とした。
「ああっ、この備品購入費、また予算がオーバーしている……!! どこかを削らなければ……!!」
頭を抱えて悲鳴を上げるシリルの姿を見て、妹の脳裏に、ある光景が鮮明に重なった。
それは、かつて水の都の薄暗い部屋で、一人で必死にすべてをこなそうとしていた兄、ヘンドリックの姿だった。
誰にも頼らず、自分を犠牲にして、すべてを一人で背負い込もうとする不器用な背中。
『……お兄ちゃんと、同じ顔してる』
妹は小さく息を吐いた。
放っておけなかった。かつて、自分には兄を助ける力がなく、ただ待つことしかできなかった。しかし、今は違う。
妹は差し入れを近くの棚に置くと、腕まくりをして、無言で机の前の椅子を引き、書類の山に手を伸ばした。
「ちょっ、何を」
驚くシリルから、妹は未処理の予算案の束をひったくるように受け取った。
そして、水の都で兄の仕事を見て学び、王城の側仕えとして鍛え上げられた実務能力を、いかんなく発揮し始めた。
「これ、ここ削れますよ。あとこの項目とこの項目、統合できます」
妹は迷いのない手つきで次々と書類に赤ペンを入れ、あっという間に書類を捌いていく。
「えっ、あ、はい。……しかし、その項目は……」
「用途が被っています。無駄です。こっちの計算も間違ってますよ」
妹の恐るべき処理速度と的確な判断に、シリルは完全に圧倒され、ただ呆然と彼女の横顔を見つめることしかできなかった。
数日分の仕事が、ほんの数十分で片付いていく。
「……あなた、何者ですか」
シリルが、思わずといった様子で呟いた。
書類から顔を上げた妹は、少しだけ得意げに、しかしとても優しい笑顔を浮かべた。
「ただの、お節介な妹です」
こうして、過労で倒れる寸前だったギルド長と、彼を放っておけなかった妹との、不思議で穏やかな残業の時間が始まったのだった。




