第280話:世界樹の朝と、エルフの悲願
黒幕が倒れた翌朝。
世界樹の根元に仕掛けられていた魔力吸い上げ装置は、完全に停止していた。
朝の光を受けた世界樹の枝葉は、以前よりも鮮やかに、力強く明るい輝きを放ち始めている。葉の一枚一枚が光を含んでいるように見えた。昨日と今日では、明らかに何かが違う。
その異変にいち早く気づいたのは、居候のエルフたちだった。
「世界樹の魔力が……回復しています」
アレンが羊皮紙に素早く記録をつけながら、興奮した声で言った。指が震えている。
「これは……装置が止まっただけじゃない。世界樹自体が、自分の力で回復しようとしている」
「……ええ」
隣に立つセリアは、大きく息を吸い込み、ただ静かに目を潤ませていた。
「エルディス様に……早く伝えなければ」
アレンが羊皮紙を抱えて走り出す。セリアはその場に残り、しばらく世界樹を見上げていた。
◇ ◇ ◇
少し離れた場所では、エリーゼが一人で世界樹の前に立っていた。
三百九十年。
彼女が生まれた頃から、世界樹はすでに枯れ始めていた。エルフ族の長老たちが嘆き、若者たちが祈り、それでも止まらなかった。
エリーゼは旅に出た。世界樹を救う方法を探して。
誰も信用できなかった。裏切られた。傷ついた。それでも歩き続けた。
三百九十年分の孤独が、今この朝日の中に静かに溶けていくような気がした。
ヘンドリックが近づき、無言でエリーゼの隣に立った。
何も言わない。ただ、小柄で猫背の身を寄せ、静かに隣にいる。
それだけで十分だった。
エリーゼの瞳から、大粒の涙が静かにこぼれ落ちた。
「……旦那様」
「何だ」
「……ありがとうございます」
「俺は何もしていない」
「していますわ」
「してない」
「……していますわ」
エリーゼが穏やかに言い切った。ヘンドリックは何も言えなくなった。
二人はそれ以上言葉を交わさず、しばらくの間、静かに世界樹を見上げていた。
朝風が吹いて、枝葉が揺れる。その音が、三百九十年前よりも少しだけ生き生きしているように聞こえた。
◇ ◇ ◇
やがて、枝の上からドライアドがふわりと下りてきた。
「パパ、世界樹が元気になってきた」
「そうか」
「……エリーゼ、泣いてる」
不思議そうに小首を傾げるドライアドに、エリーゼは涙を拭いながら優しく微笑んだ。
「失礼しましたわ」
「なんで泣いてるの」
「……嬉しいんですわ」
「嬉しいのに泣くの?」
「ええ。そういうことがあるんですよ」
ドライアドがしばらく考えてから、小さな両手でエリーゼの手をぎゅっと握った。
「……よかったね」
その純粋な一言に、エリーゼはたまらず顔を覆い、再び静かに泣き崩れた。
ヘンドリックは少しだけ視線を逸らし、朝の光に透ける葉を見上げた。
『……報われてよかった』
◇ ◇ ◇
その場面を少し離れたところから、サンネとミラが黙って見ていた。
「……エリーゼ殿が、あんなに泣くのは初めて見た」
サンネが静かに言う。
「……ボスのおかげなんだゾ」
ミラが小さく呟いた。
二人は何も言わず、ただ朝の世界樹を見上げていた。




