第271話:魔王の一日と、乙女全振りの大作戦
朝、リビングに現れた魔王を見て、全員が固まった。
いつものヨガウェアでも、いつもの豪快な魔王の格好でもない。
淡い色のワンピース。ふんわりとした裾。髪を少しおろしている。
「……今日、何かあるか」
サンネが真顔で聞いた。
「アタシの誕生日だ。文句あるか」
「ない」
ミラが尻尾をパタパタさせながら「かわいいんだゾ!」と叫んだ。
「うっさい」
エリーゼが微笑んだ。「よくお似合いですわ」
「……お世辞はいい」
その時、ヘンドリックが部屋に入ってきた。魔王の格好を見て一瞬止まり、それから言った。
「……似合ってる」
魔王が固まった。
「……ば、馬鹿にしてるのか」
「してない」
「……絶対馬鹿にしてる」
「してない」
魔王の耳が、じわじわと赤くなった。
◇ ◇ ◇
王都の街中を、二人で歩いた。
魔王はヘンドリックより背が高い。ワンピース姿で歩くと余計に目立つ。通行人が振り返る。
「……何見てんだ」
魔王が低く言うと、通行人が慌てて逃げた。
「お前、デートの雰囲気が分かるか」
「うっさい。アタシはデートなんてしたことないんだよ」
「……そうか」
「……どうすればいい」
「普通にしてればいい」
「普通がわからないから聞いてるんだよ」
ヘンドリックが少し考えた。
「……好きな方向に歩けばいい。気になったものを見ればいい。それだけだ」
魔王がしばらく黙って、それから歩き出した。
少し後に、魔王がヘンドリックの袖をそっと掴んだ。
何も言わなかった。
ヘンドリックも何も言わなかった。
◇ ◇ ◇
露店の並ぶ通りで、魔王が立ち止まった。
小さな雑貨屋の棚に、丸っこい形の小さなぬいぐるみが並んでいた。
「……」
魔王がじっと見ている。
「欲しいのか」
「……べ、別に」
「買うか」
「いらない」
しかし目が離せない。ぬいぐるみと目が合っている。
ヘンドリックが黙って一つ買って渡した。
魔王が受け取って、しばらく黙っていた。
「……なんで買うんだよ」
「欲しそうだったから」
「……読むな、アタシの心を」
しかし大事そうに両手で抱えていた。
◇ ◇ ◇
屋台で甘い食べ物を買った。
魔王がヘンドリックの方を向き、串に刺した果物を差し出した。手が少し震えている。
「……あ、あーん、してやる」
「そんな言葉、どこで覚えた」
「うっさい! するのかしないのか!」
「……する」
ヘンドリックが食べた。
魔王が真っ赤になって前を向いた。
「……甘いか」
「甘い」
「……そうか」
次にカップル用の飲み物を買った。一本のカップに二本のストロー。
魔王がストローを口に咥え、ヘンドリックが反対側を咥えた瞬間、二人の顔が近くなった。
魔王が固まった。
「……な、なんでこんなに近いんだ」
「そういう飲み物だから」
「……知ってた」
「じゃあ飲め」
「……飲む」
近くを通りかかった夫婦が「あら、仲良しね」とこそこそ言った。
「う、うるさい!!」
魔王が怒鳴った。しかしストローから口を離さなかった。
◇ ◇ ◇
午後、広場のベンチで休んでいると、小さな子供が近づいてきた。
「おねえさん、かっこいい」
魔王がきょとんとした。
「……そうか? まあ、そうだな」
珍しく素直に受け取った。
子供が「つよそう」と言った。
「強いぞ」
「やさしい?」
魔王が少し黙った。
「……それは、こいつに聞け」
ヘンドリックを指差した。
ヘンドリックが子供に言った。
「強くて優しい人だよ」
魔王が固まった。
「……なんでそんなことを」
「本当のことだろ」
子供が「よかったね」と言って走り去った。
魔王はしばらく何も言わなかった。
「……うっさい」
今日一番小さい声だった。
◇ ◇ ◇
夜が深まった頃。
「……今日だけ、乙女でいいか」
魔王が、ぬいぐるみを抱えたまま言った。
「ああ」
「……本当に、今日だけだからな」
「分かった」
「明日からはいつも通りだからな」
「分かった」
「……ヘンドリック」
「何」
魔王がぬいぐるみをそっと枕元に置いた。
それから、少し上目遣いでヘンドリックを見た。
「……今日のお礼だ。その……アタシにも、ダメか?」
ヘンドリックが固まった。
「……上目遣いは反則だ」
「……効いたか」
「効いた」
魔王が、珍しく、本当に珍しく、照れた顔で笑った。
◇ ◇ ◇
翌朝。
魔王が嬉々とした顔でベッドから起き上がった。
ヘンドリックは起き上がれなかった。
「……おい、朝だぞ」
「……分かってる」
「起きないのか」
「……少し待て」
「なぜ」
「……腰が」
魔王が一瞬固まり、それから盛大に笑い出した。
「ガハハハハッ!!」
「笑うな」
「笑う!!」
いつもの豪快な笑い声が屋敷に響いた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
ヒロインたちが廊下で待っていた。
魔王が部屋から出てきた。
「……おかえりなさい」とエリーゼ。
「……うっさい」
しかし今日の「うっさい」は、どこか柔らかかった。
ミラが「ぬいぐるみ! かわいいんだゾ!」と叫んだ。
「うっさい」
サンネが「……ご武運でした」と静かに言った。
「うっさい」
ルミナリアが「わらわも楽しかったぞ!」と言った。
「うっさい」
魔王はそのまま台所に向かった。
「……朝飯、作ってやる」
全員が顔を見合わせた。
イリスが静かに一歩前に出た。
「……お手伝いします」
「いらない」
「させてください」
「……少しだけ」
台所から、二人の声が聞こえた。
『……賑やかで、いいんだけどな』
ヘンドリックは世界樹を見上げながら、小さく笑った。




