第265話:帰還と、二人のメイド長と、ぶー垂れるパパっ子
魔導車が地上に出た瞬間、公爵邸の庭に歓声が上がった。
屋敷の防衛を担っていたブラムが、瓦礫を抱えたまま走ってきた。
「師匠!! 無事だったんですか!?」
「ああ。心配かけたな」
ブラムはヘンドリックの前で立ち止まり、唇をぎゅっと噛んだ。目が赤い。
「……一週間、何やってたんだよ。こっちは死んだかと思ったじゃないか」
「色々あった」
「色々で済ませんなよおっさん!」
声が震えている。それでも泣かない。強がっている。
「……無事でよかった」
それだけ言って、ブラムは顔を背けた。
その隣でロッテが「師匠……よかった……」と静かに涙をこぼしている。
騒ぎを聞きつけてベルナデッタが玄関から出てきた。いつも通りの無表情。いつも通りの端的な一言。
「……お帰りなさいませ、閣下」
「ただいま。屋敷の状況は」
「アルフォンスから説明させます」
眼鏡を押し上げたアルフォンスが、どこから取り出したのか分厚い羊皮紙の束を差し出してきた。
「……閣下、こちらが屋敷の修繕費の見積もりでございます」
ヘンドリックが受け取り、一番下の合計金額を見た。
「……あとは任せた」
「閣下」
「全力で任せた」
「閣下」
「頼んだ」
「……承知いたしました」
アルフォンスが書類をしまった。その向こうでシリルが帳簿を抱えながら「予算が……予算が……」と呪文のように呟いている。
『……帰ってきた気がする。でも何か違う気がするのはなぜだろう』
◇ ◇ ◇
その時、玄関の陰からするりと小さな影が現れた。
ミニベルナデッタ、すなわち闇の精霊だった。
一週間、ヘンドリックの傍らで世話をし続けてきた彼女は、帰還してから初めて「屋敷の中」へと足を踏み入れた。
そして。
本物のベルナデッタと、正面から目が合った。
数秒間の沈黙。
170cmを超える長身のベルナデッタが、150cm程度のミニベルナデッタを静かに見下ろした。
全員が息を呑んで見守る中、ベルナデッタが一歩前に出た。無表情のまま、闇の精霊をじっくりと上から下まで眺めた。
「……なぜ、私に似せているんですか」
「……旦那様のご指示で受肉いたしました。お世話のためには、人の形が必要でしたので」
「……そうですか」
「……旦那様のお世話を、精一杯務めました」
「……ご苦労様でした」
二人の無表情が向き合ったまま、また沈黙。
ヘンドリックが遠い目をしている。
『……本物と人形(精巧に作られている)が並んでいる。どっちがどっちか分からなくなりそうだ』
次の瞬間、ベルナデッタが静かに口を開いた。
「……あなた、このまま屋敷でメイドとして働いてみませんか」
闇の精霊が微かに目を瞬かせた。
「掃除は得意ですか」
「……はい」
「廊下の隅まで拭けますか」
「……はい」
「では決まりですね」
「……え?」
「採用です」
ヘンドリックが口を挟もうとしたが、ベルナデッタがちらりとこちらを見た。それだけで黙った。
アルフォンスが静かに眼鏡を押し上げた。
「……メイド長が二人になりましたね」
「……困ります」と本物が言った。
「……お力になれれば」とミニベルナデッタが言った。
声まで似ていた。
◇ ◇ ◇
屋敷の修繕はベルナデッタとアルフォンスに一任した。シリルには予算の確保を頼んだ。「予算が!!」という叫びを背中に聞きながら、ヘンドリックは玄関の外へと出た。
世界樹はすぐそこにあった。屋敷のすぐそば、文字通り目の前に、王城の塔を見下ろすほどの巨大な大樹が枝を広げている。そこに近づくと、木陰に小さな人影があった。
新緑の髪。白い肌。葉っぱの意匠のドレス。
世界樹の精霊、ドライアドだった。
腕を組んで、こちらを向いて立っている。
「……パパ」
「ああ」
「遅い」
ヘンドリックは足を止めた。
「……ごめん」
「どこ行ってたの」
「色々あって」
「色々って何」
「追放されたり、記憶なくしたり、迷宮に引きこもったり」
ドライアドが少し黙った。
「……それ、色々じゃなくて大変だったんじゃないの」
「まあ、そうかもな」
「……ぶー」
それだけ言って、ドライアドがヘンドリックの腕にぐりぐりと頭を押し付けてきた。怒っているのか甘えているのか、よく分からない。
「……ずっとここで待ってたんだゾ、じゃなくて……ずっとここで待ってたんじゃ」
「口調が混ざってるぞ」
「……うるさいわよパパ」
さらにぐりぐりしてくる。
ヒロインたちが後ろから見守っている。エリーゼだけが静かに前に出て、ドライアドのそばに膝をついた。
「……無事でよかったですわ」
小さな声で言いながら、そっとドライアドの新緑の髪を撫でた。
ドライアドが少し顔を上げて、エリーゼを見た。
「……エリーゼも、無事だった」
「ええ。あなたのパパを連れ戻してきましたわ」
「……ありがと」
ドライアドがまたヘンドリックの腕にもたれかかる。
世界樹の枝葉が、風に揺れていた。
『……ただいま』
ヘンドリックは世界樹を見上げながら、小さく息を吐いた。




