第263話:追放無効と、10分間の攻防と、懲りない精霊
「……それで、屋敷はどうなってるんだ」
ヘンドリックが体を起こしながら問うと、エリーゼが少し間を置いてから答えた。
「ブラムたちが守ってくれていますわ。今頃は落ち着いている頃かと」
「そうか……」
ヘンドリックは天井を見上げた。ヒャッハー城の無駄に豪華な装飾が目に入る。
「まあ、俺もう公爵じゃないし。屋敷も関係ないか。しばらくここでゆっくりしたいな」
全員が静止した。
「……旦那様」
エリーゼがルミナリアと視線を合わせ、それからヘンドリックを見た。
「追放は無効化されていますわ。ヴァレリウス公爵閣下が手続きを主導してくださいました。旦那様はまだ公爵です」
ヘンドリックが固まった。
「……え?」
「それどころか、国王陛下が直接謝罪されたいとおっしゃっています。記憶を失った状態での命令は無効だったと」
『……スローライフ、また遠のいたな』
ヘンドリックは深いため息をついた。
「……分かった。戻る。ただ」
真剣な顔で全員を見回す。
「せめて一、二日、ここでゆっくりさせてくれ。一週間まともに休めていない。頼む」
五人がざわめいた。
「それは……」
「でも……」
ルミナリアが扇子をパチンと開いた。エリーゼが策士の顔になった。二人が目配せをする。
「……分かりましたわ、旦那様。ゆっくりしていただいて構いません」
「……ただし、条件があるのじゃ!」
ヘンドリックの背筋に悪寒が走った。
「……聞こうか」
「じゃんけんで順番を決める。一人十分ずつ、旦那様を独占させていただく。それだけですわ」
「俺の意見は」
「「「「「じゃんけんぽん」」」」」
完全無視だった。
◇ ◇ ◇
結果、ミラが一番、王女が二番、サンネが三番、魔王が四番、エリーゼが五番となった。
【ミラの十分】
ミラがヘンドリックの隣にぴったりとくっつき、銀色の耳をそっと差し出してきた。
「……ボス、撫でてほしいんだゾ」
ヘンドリックは観念して耳を撫でた。ミラが目を細めてとろけるような顔をする。銀色の尻尾がパタパタと忙しなく揺れ、そのまま全身でヘンドリックの腕にギュッと抱き着いてきた。
「……十分、短すぎるんだゾ」
「決めたのはそっちだろ」
終了の合図が鳴ると、ミラは「絶対また後でくっつくんだゾ」と名残惜しそうに言い残し、渋々離れていった。
【王女の十分】
ルミナリアが、王女らしく優雅に隣に腰を下ろす……かと思いきや、そのままの勢いでヘンドリックの胸に正面からギュッと抱き着いてきた。
「ちょっ、お前……」
「よいではないか、減るものでもなし。……のう、ヘンドリックよ。わらわ、もうすぐ誕生日なのじゃが」
「ああ。さすがに王族の誕生日だろ、まだ色々と国の方の準備やら行事やらが……」
「そうではない! 誕生日はそなたを一日好きにできるんじゃろ! 他の三人はもうそれを満喫しておった……わらわも早くそうなりたいのじゃ!」
「……あ」
ヘンドリックの動きがピタリと止まった。
記憶の底から、『誕生日の者は、その日一日ヘンドリックを独占できる』という自分が過去に安請け合いしてしまった恐ろしい約束が、ふわりと蘇ってきたのだ。
「……そ、そういえば……そんな恐ろしい約束、確かにあったな……」
「思い出したか! ならば話は早いのじゃ!」
「いや、まあ、その……っ! だとしても、お前の誕生日はもう少し先の話だろうが! 近すぎる、離れろ!」
「来週なのじゃ!期待しておるぞ」
完全に逃げ道を塞がれ、タジタジになって顔を逸らすヘンドリックの胸に、ルミナリアはさらに顔を埋めてぐりぐりとすり寄ってきた。
「ええい、少し早めて今日からわらわの誕生月間とする! 覚悟せよ!」
【サンネの十分】
サンネが背筋を伸ばして正座し、懐中時計を取り出して真剣な顔で時間を計り始める……のやめて、時計を放り出し、ヘンドリックの背中側からガシッと力強く抱き着いてきた。
「お前もか! 頼むから休ませてくれ……!」
「閣下……どうです? 私のこの『黄金比』、以前よりもさらに磨きがかかっていませんか?」
「いや、服の上からじゃ分からんし、そもそも近すぎる」
「む……では、今ここで脱ぎましょうか! 触って確かめていただいても一向に構いません!」
「脱ぐな! 頼むからそのままじっとしてろ!」
完璧な騎士は、顔を真っ赤にしながらも絶対に腕の力を緩めなかった。
【魔王の十分】
魔王マジカが、ヘンドリックの正面にドカッと座り、その豊満な胸を押し付けるように力強く抱き着いてきた。
「ほれ、もっとアタシを感じていいんだぞ?」
「いや、もう十分伝わってるから……ちょっと離れろ、息が」
「遠慮するな! お前が一週間寂しい思いをしてた分、アタシがたっぷりと癒してやる!」
ギリギリと骨が鳴りそうなほど強く抱きしめられ、ヘンドリックはついに観念して天を仰いだ。なんだかんだと理由をつけているが、ただ離れたいだけなのだ。
「……お前、そういうところ、案外『乙女』だよな」
「うっさい! アタシを乙女扱いするな!」
口では凄んでいるが、ヘンドリックの肩に乗せられた魔王の尖った耳の先は、林檎のように真っ赤に染まっていた。
【エリーゼの十分】
最後のエリーゼは、激しく迫ってくることはなかった。
ただ静かにヘンドリックの右手を両手で優しく包み込むように握り、そのままそっと、しかし逃げ場のないほどの深い愛情を込めて、密着するように抱き着いてきた。
極上の甘い香りと、柔らかな体温。何も言わず、ただ静かに鼓動を共有する時間。
十分が過ぎた。
十一分。十二分。
「エリーゼ」
「……はい」
「時間が過ぎている」
「……気づいていませんでしたわ」
嘘だった。絶対に嘘だった。
◇ ◇ ◇
「……結局、これ全然休めてないな」
五十分後、ヘンドリックが深いため息をついた。周囲では、五人が満たされたような顔で満足そうにしている。
『……まあ、全員無事だったんだし、いいか』
その時だった。
ズゴゴゴゴ……と、迷宮の壁が揺れた。
「敵か!?」
サンネが剣に手をかけた瞬間。
別の方向の壁が盛大にぶち破れ、二つの影が転がり込んできた。
「やっと着いたんじゃぞい!! 我輩を置いていくとは何事じゃぞい!!」
「主! 遅くなったんじゃ! ワームの口の中は狭いんじゃ!」
土の精霊(ぞいの子)と、女の土の精霊だった。
ぞいの子は屋敷の防衛が落ち着いた後、ワームを追って自力でやってきた。女の土の精霊はワームの口の中にこっそり隠れており、誰も気づかなかった。
ヘンドリックが遠い目で二体を眺めた。
『……あそこにいるとベルナデッタにこき使われるから、こっそりついてきたんだろうな』
「我輩はそんなんじゃないんじゃぞい!!」
「こちらも違うんじゃ!!」
二体が声を揃えて否定した。
『……すっかり仲良くなってるな』
◇ ◇ ◇
騒ぎが落ち着きかけた、そのとき。
ぞいの子の視線が、近くに立っていたルミナリアのスカートに向いた。
触角がピクリと動く。
ルミナリアは気づいていなかった。
ぞいの子がじりじりと近づき、小さな手を伸ばした瞬間。
バシュッ。
まるで訓練された護衛のように、ドレスの裾が完璧な角度で締まった。近衛騎士も顔負けの鉄壁ロイヤルガードだ。禁断の逆三角形はおろか、絶対領域すら一ミリたりとも覗かせない完全封鎖。
「…………」
ぞいの子が固まった。
一同が固まった。
「……またやってるよ」
ヘンドリックが遠い目でぼやいた。
「懲りないな」
次の瞬間、ぞいの子は猛烈な勢いで壁に向かって飛んでいた。
ズボッ。
ぞいの子が壁にめり込み、そのままオブジェと化した。小さな手だけがにょっきりと外に出ている。
「あほー」
「あほーなんじゃ」
女の土の精霊がため息をつきながら、めり込んだぞいの子を無表情でケリ倒した。
「……痛いんじゃぞい」
「懲りないからじゃ」
「でもやめられないんじゃぞい」
「……あほじゃ」
ルミナリアが扇子で口元を隠しながら、冷ややかな目で壁のオブジェを一瞥した。
「……次は三時間のお説教ですわよ」
エリーゼの一言。
壁から小さな手が引っ込んだ。
◇ ◇ ◇
「……さて、帰るか」
ヘンドリックが立ち上がった。
「屋敷の連中も心配しているだろうし。ヴァレリウス公爵閣下にお礼も言わないといけない。……それと」
少し間を置いた。
「国王陛下が謝罪したいとおっしゃっているなら、ちゃんと受け取りに行かないといけないな。あの方も、被害者なんだし」
『……陛下を責める気にはなれないな。俺が怒るべき相手は別にいる』
立ち上がりかけて、ヘンドリックはふと足を止めた。
『……うう。しかし、このまままたどこかへ……』
五人の視線が、ほぼ同時に刺さった。
笑顔だった。温度のない笑顔だった。
『……無理だな』
「……せめて爵位だけでも、このままなかったことに」
「「「「「なりませんわ(じゃ/だ/だゾ)」」」」」
五声同時だった。
『……あきらめよう』
『……スローライフは、まだまだ遠い。でも、まあ』
周囲を見回した。
泥まみれのまま嬉しそうにしている五人。仲良くけんかしている二体の土の精霊。壁にめり込んだままのオブジェ。
『……悪くは、ないんだけどね』
ヘンドリックは小さく笑い、迷宮の出口へと歩き始めた。




