第261話:迷宮の拠点と、知られざる報告書
地中を爆走するワームの背の上で、ヘンドリックは腕を組みながら考えていた。
追ってくる気配はない。今のところは。
だが、あの五人を放置して半日で済むとは、どう考えても思えなかった。あの目は、本気の目だった。記憶はなくても、長年の便利屋稼業で培った「面倒なことになる予感」だけは、魂に刻み込まれている。
『……とりあえず、安全な場所に落ち着きたい』
ヘンドリックが考えていると、ワームが自然な流れで進路を定めていくのに気づいた。
「……どこに向かってる?」
「キュウ」
記憶はないが、ワームが迷いなく進んでいるということは、主と縁のある場所なのだろう。
『……まあ、任せよう』
◇ ◇ ◇
ワームが到達したのは、巨大な迷宮の最深部だった。
そこには、どう見ても迷宮の深層に存在すべきではない空間があった。
純白の石材で作られた無駄に豪華な玉座。意味もなく金色に縁取られた柱。天井には誰も見ないのに精緻な装飾が施されており、部屋の隅には使い道のまったく不明な噴水まである。
『……なんじゃこれ』
記憶はない。しかし、この悪趣味を極めた空間が自分の作ったものだという確信だけは、なぜかあった。
棚には魔石や素材が整然と並んでいる。作業台には途中で止まったままの魔道具の部品。玉座の脇には金色のティーカップが放置されていた。
「キュウッ」
ワームが得意そうに鳴く。俺が作ったのか、と問うと、嬉しそうに頷いた。
『……俺は一体どういう精神状態でこれを作ったんだよ』
闇の精霊が水を用意し始める。ヘンドリックは金色に縁取られた豪華な椅子に、うんざりした顔で腰を下ろした。
暇だった。
ふと、空間収納の中に何か入っていないか確認してみる気になった。魔力を通して収納を探ると、何冊かの冊子が入っていた。
『……ああ、そうだ。活動報告書を書いていた気がする』
記憶の断片が微かに引っかかる。書いていたという感覚だけはある。中身は覚えていない。
ヘンドリックは革張りの冊子を取り出し、ぱらりと開いた。
◇ ◇ ◇
最初のページには、パーティーメンバーと思われる人物たちの詳細な記録が並んでいた。
実務的なメモのはずだった。しかし読み進めるうち、ヘンドリックの手が少しずつ止まり始めた。
【エリーゼ(ハイエルフ・390歳・副リーダー)】
『魔法・交渉・判断力は申し分なし。副リーダーとして戦闘中の指示出しも的確。ただし自身で抱え込む癖がある。自信を持たせることで爆発的に伸びるタイプ。精霊魔法と結界術の同時展開は消耗が激しいため、魔力譲渡で補填すること。』
『世界樹について:何年もの間、枯れた世界樹の復活のために旅を続けてきたらしい。詳しいことは話してくれないが、何か深いところで思うところがあるようだ。彼女の悲願が叶えられるよう、俺にできることがあれば手助けしたい。』
『個人的な所見:スレンダーな体型で見た目は18歳程度。三百九十年間、誰のことも信用しなかったらしいのに、なぜか俺だけは例外らしい。……あの体型は俺の完全なドストライクなのだが、プロとして距離を保つことが最優先事項である。』
『追記・要警戒:ルミナリアと二人で何やら目で合図をし合っているのをよく見かける。こちらが気づいていないと思っているようだが、気づいている。二人とも勝ち誇った様子で笑っている時がある。策士同士が手を組んでいる。これは非常にまずい。』
【サンネ(人間・28歳・前衛ディフェンダー)】
『盾の構えは完璧だが、右への踏み込み時に一瞬タメができる。実戦で致命傷にならないよう、模擬戦で重点的に修正を促す。真面目すぎて自分を限界まで追い詰めがちなため、定期的に強制休息が必要。感謝の言葉を素直に受け取れないので遠回しに伝えること。』
『家族について:父ベルンハルト・母メアリが屋敷の家臣として力を貸してくれている。没落しかけた騎士家系の再興という重責を一人で背負ってきた子だ。家族がそろって屋敷に来てくれていること、本人は表に出さないが救われているはずだ。こちらも感謝している。』
『個人的な所見:鍛えられたしなやかな体躯に凛々しい顔立ち。いわゆる黄金比というやつで、騎士としての佇まいが完璧すぎる。しかし俺の前でだけ、その仮面が少し崩れる瞬間がある。あれを見るたびに、プロとしての距離感の維持が試される。』
【ミラ(獣人・26歳・近接アタッカー)】
『反射神経と突破力は申し分なし。ただし野生の勘に頼りすぎるきらいがある。より安全に立ち回れるよう、彼女専用の魔道具の設計を急ぐ。直球すぎて突出しやすいため、周囲への声かけを習慣づけること。』
『個人補足:耳と尻尾を撫でてやると機嫌がよくなる。ただし獣人族の耳と尻尾は非常にデリケートな部位で、他者に触れさせることは通常ありえないらしい。族長にそれとなく確認したところ「ボスだから特別なんじゃ! ガッハッハッハ!」と言われた。意味が分からない。』
『個人的な所見:銀色の耳と尻尾、健康的な肌、獣人族特有の規格外の体型。子種がどうとか直球で言ってくるのは習性らしいが、毎回心臓に悪い。俊敏性は全員の中でも群を抜く。父親が毎日来るのを何とかしたい。』
【魔王(マジカ・ルキャン・ディ・年齢不詳・別動隊リーダー)】
『豪快で判断が速い。戦闘力は最上位クラス。ただし単独行動に走りがちなため、連携時は事前の打ち合わせを徹底すること。攻撃に転じると周囲への被害が大きいため「気絶させる程度」という加減を覚えてもらう必要がある。』
『個人補足:街中を水着やら体の線が出る格好で平気で歩く悪癖がある。本人に悪気は一切なく、むしろ「何が問題なんだ」という顔をする。周囲の反応を見て楽しんでいる節もある。外出時は何かはおらせること。』
『個人的な所見:「アタシは関係ない」と言いながら気づけば近くにいる。サンネをさらにダイナミックにしたような体型で、街中での格好を止めるのが難しい最大の理由でもある。乙女な一面があるのに本人は絶対に認めない。』
【ルミナリア(王女・年齢非公開)】
『王族の権力と情報網を持つ。政治的な局面では最も頼りになる。有事の判断が速く、感情より論理で動ける。ただし前線に出ようとするのを毎回止めなければならない。王女という立場上、万が一があってはならない。』
『個人的な所見:気品ある美貌に、エリーゼに勝るとも劣らない体型をしている。王女という立場ゆえの制約が多く、本人の意志とは別のところで動かなければならない場面も多い。策士だと思っていたが、最近どこか必死に見える時がある。他はエリーゼのところに記載したとおりだ。』
◇ ◇ ◇
さらにページをめくると、別の記述があった。
『かつて、俺は仲間の自立を促せなかった。裏で全てを処理しすぎた結果、彼らの慢心を招き、ブラムやロッテのような若者まで傷つけてしまった。……俺の力不足だ。今のメンバーを、決してあんな風にしてはならない。俺はプロとして、彼女たちを正しく導く責任がある』
自分が追放されたことへの恨みは、どこにも書いていない。
ただ己の不甲斐なさを悔やみ、目の前のメンバーを守ることだけを考えている男の記録だった。
そして最後のページ。【特記事項】という見出しがあった。ここだけ、少し文体が砕けていた。
『なお、一つだけ深刻な問題がある。エリーゼ、サンネ、ミラ、魔王、ルミナリア。メンバーの全員が、女性としてあまりにも魅力的すぎる。共に活動しているだけで、三十五歳の独身男としては理性の維持が極めて困難だ。プロとしての距離感を保つため、毎夜の魔力枯渇による強制気絶が欠かせない。……正直なところ、彼女たちの無自覚なアプローチは、俺の心臓にとって深層の魔物よりも恐ろしい』
ヘンドリックはしばらく、そのページを見つめていた。
『……俺が、これを書いたのか』
今日の彼女たちの顔が、脳裏に浮かぶ。
泥まみれになりながら、怒ることなく、ただこちらを見ていた目。声が震えていたエルフの女。剣を握りしめていた騎士の女。涙をこぼしていた獣人の女。縛り上げられながら恍惚とした顔でこちらを見ていた、あの五人。
『……本当に、俺を慕っていたのか』
『あんな美女たちが。全員。俺のことを』
『毎夜、魔力を枯渇させるほど……それほど俺は、必死に理性を保っていたのか』
ヘンドリックは冊子を閉じ、天井を見上げた。
『……とんでもないことをしてしまったのではないか』
逃げ続けることへの迷いが、初めて胸の中に生まれていた。
◇ ◇ ◇
その時。
微かな振動が、岩盤を通して伝わってきた。
規則的で、力強い。何かが地中を掘り進んでくる振動だ。
ワームが慌てたように触角を動かした。
「キュウ……?」
ヘンドリックは立ち上がり、冊子をそっと収納の中に戻した。
『……来た』
地中から迫る振動は、少しずつ、確実に大きくなっていた。




