第260話:残された楽園と、追撃の地底戦車
荒野の地下深く。
ヘンドリックがワームに乗って逃亡してから、数時間が経過していた。
「……パラパラと、土が崩れ始めましたわね」
土壁に磔にされていたエリーゼが、静かに呟いた。
ヘンドリックが宣言した通り、彼から供給される魔力が途絶えたことで、王国最強の女たちを拘束していた鋼のように硬い『土の帯』は、徐々にその強度を失い、脆い砂塊へと変化しつつあった。
「ふんっ!」
サンネが全身の筋肉をわずかに躍動させると、完全に限界を迎えていた土の帯がパァンッと音を立てて弾け飛び、サラサラの砂となって崩れ落ちた。
「……ようやく解けましたわね」
「まったく、殿方も手加減というものを知らぬ……じゃが、その強引さ、ますます惚れ直してしまったのじゃ!」
「ボスの土、いい匂いがしたんだゾ……」
次々と自由を取り戻したヒロインたちが、手首を回したり、服についた泥を払いながら地面に降り立つ。怒るどころか、ヘンドリックの圧倒的な実力(しかもレベル1魔法の複合という異常な技巧)を身をもって体感したことで、彼女たちの瞳に宿る熱情はさらにドロドロと深まっていた。
「……さて。問題は、あの厄介で愛おしい男がどこへ向かったか、だが」
魔王マジカが、吹き飛んだ天井から差し込む夕日を見上げながら腕を組んだ。
「ワームの掘った穴は、崩落防止の処理がされていない。このまま地中を走って追うのは、いくら我々でも骨が折れるぞ」
サンネが、ワームが逃げていった巨大なトンネルの入り口を覗き込みながら顔を顰める。
追跡の手立てをどうするか。彼女たちがそう考えながら、激戦の舞台となった地下空間を改めて見渡した、その時だった。
「……それにしても」
エリーゼが、周囲の光景をまじまじと見つめながら、ほうっと感嘆の吐息を漏らした。
「……ここは何ですの? 楽園ですか?」
ヒロインたちの視線が、空間の細部へと向けられる。
天井こそ先ほどの彼女たちの強行突入によって吹き飛んでいるものの、壁や床の処理は異常なほど滑らかだった。
魔力で生成されたとは思えないほど座り心地の良い岩のソファ。壁には淡く発光する苔が美しく配置され、目に優しい間接照明となっている。さらには、地下水脈から完璧に濾過された透明な水が、優雅な石造りの手水鉢へと絶え間なく注ぎ込まれていた。
「……これ、旦那様が一週間、指一本動かせない状態で……魔力だけで作り上げたとおっしゃるの?」
「信じられん……王城の貴賓室すら凌駕する居住性だぞ。まさに地下のリゾート施設ではないか」
サンネが岩のソファを撫でながら戦慄する。
「……しかも、見てくださいな」
エリーゼが、壁の焦げ跡や水濡れの跡を指差した。
「先ほどの旦那様の迎撃魔法……『熱泥の嵐』も『土の拘束』も、この居住空間のコアとなる家具や設備には、一切の傷をつけていませんわ。戦闘の最中でありながら、周囲の被害を完全に、最小限に抑え込んでいらしたのです」
ヘンドリックからすれば、「せっかく作った快適な家具を壊したくなかっただけ」である。
だが、恋は盲目。激重ヒロインたちの脳内フィルターを通すと、その事実は全く別の真実へと変換された。
「……ああ! そういうことでしたのね! 記憶を失ってなお、旦那様の心の奥底には『私たちを迎え入れるための愛の巣(楽園)を護る』という無意識の優しさが働いていたのですわ!」
「なんと……っ! 記憶がなくとも、愛だけは残っているというのか!」
「ボスの愛、重くて最高なんだゾ!」
完全に明後日の方向へと勘違いを加速させ、ヒロインたちはボロ泣きしながら熱い抱擁を交わした。
「クンクン……ん? エリーゼ、あっちの奥から、ボスの魔力の匂いがプンプンするんだゾ!」
涙を拭ったミラが、獣の嗅覚を頼りに、居住スペースのさらに奥――不自然に土でカモフラージュされた一角を指差した。
「……何か隠してあるようですわね」
エリーゼが杖を振り、【土魔法】でカモフラージュの壁を取り払う。
土煙が晴れた奥の隠しガレージに鎮座していた『それ』を見て、五人は息を呑んだ。
「な、なんじゃこれは……っ!?」
「金属の……いや、超高密度に圧縮された『土と鉱物』の塊……?」
そこにあったのは、流線型のフォルムを持った、巨大な鉄の塊のような乗り物だった。
先端には魔力を帯びて回転するであろう巨大なドリルが備え付けられ、後部には魔力排出用の推進器。内部には、五、六人は余裕で乗れるふかふかの革張り(魔物の皮)シートが完備されている。
「……地中潜行用の、魔導車……?」
魔王マジカが、信じられないものを見る目で呟いた。
一週間、動けない状態で地下リゾートを作り上げるだけでも常軌を逸しているというのに。ヘンドリックは暇を持て余したのか、あるいはスローライフのための移動手段としてか、己の魔力と【土木建築】のスキルのみを極限まで酷使し、こんなオーパーツじみた超兵器まで密かにクラフトしていたのである。
「す、凄いんだゾ! タイヤがないのに、土の魔力で浮いてるんだゾ!」
「信じられぬ……これほどの魔導機械、ドワーフの国でも見たことがないぞ……っ!」
ヒロインたちが驚愕する中、エリーゼは静かに運転席へと歩み寄り、計器類(魔力回路)にそっと手を触れた。
「……この魔導車、ベースは極めて高度な【土魔法】の術式で構築されていますわ。周囲の土を液状化させて掘り進み、後方で再び固める……つまり、ワームと同じ原理です」
エリーゼの瞳の奥で、絶対零度の冷たい炎が燃え上がった。
彼女は、エルフ族の頂点に立つ魔法使いであり、当然ながら高度な土魔法も完璧にマスターしている。
「……私なら、この魔導車の回路に同調して、完璧に操作できますわ」
ガチャリ、と。
エリーゼは美しいドレスの裾を翻し、迷うことなく魔導車の運転席へと乗り込んだ。
「……乗るがよい、皆の者! これで殿方のタクシー(ワーム)を追いかけるのじゃ!」
「うむ! まさかご自身の作った乗り物で追撃されるとは、閣下も思ってもみないだろうな!」
「ボス、待ってるんだゾー!」
「フッ……最高の余興だ。さっさと出せ、エルフ」
ルミナリア、サンネ、ミラ、魔王が、次々と後部座席に乗り込み、シートベルト(謎のツル植物)をしっかりと締める。
計器盤にエリーゼが魔力を流し込むと、魔導車全体に青白い魔力ラインが走り、先端の巨大なドリルがキュイィィィィンッ!と凄まじい駆動音を上げて回転し始めた。
「さあ皆さん、行きますよ?」
エリーゼが、ハンドル(魔力制御盤)を強く握りしめ、極上の笑みを浮かべる。
「どこまでも、地の果てまでも……愛しい旦那様を、お迎えに……っ!!」
ズゴゴゴゴゴゴォォォォォォォォッ!!!
ヘンドリックの作り上げた最高傑作である地中潜行用魔導車は、ワームが逃げていったトンネルの跡を正確にトレースし、爆発的な推進力で地中へと突入していった。
それは、便利屋の叡智の結晶が、己の生みの親を追いつめる「最強の猟犬」へと変貌した瞬間であった。




