第258話:記憶なき反撃と、絶世の美女たち
吹き飛んだ天井から舞い降りてきた、五つの人影。
普通であれば、感動の再会として涙を流し合う場面だろう。だが、記憶を失っているヘンドリックの目には、彼女たちが放つ「愛と執念でドロドロに滾った極彩色のオーラ」が、とてつもなく凶悪な殺気にしか見えていなかった。
『ひえっ……!? なんだよこのプレッシャー! 絶対俺のこと殺すか、生け捕りにして解剖する気でいる。なんでスローライフ初日にこんなヤバい暗殺部隊に包囲されてるんだ……』
一週間動けなかった身体が、極限の生存本能によって完全に覚醒する。
「旦那様、さあ、私の胸に――」
「ボス、会いたかったんだゾ――」
エリーゼとミラが、愛しい主を抱きしめようと一歩前に出た、その瞬間。
「来るな! 侵入者は排除する!」
ヘンドリックの口から、冷酷な迎撃の意思が放たれた。
「えっ……?」
「旦那様……?」
ヒロインたちが戸惑い、動きを止めたほんの一瞬の隙。
便利屋として培ったヘンドリックの戦闘本能は、その絶好の隙を絶対に見逃さなかった。
「【火魔法Lv1】【風魔法Lv1】【土魔法Lv1】【水魔法Lv1】――複合発動!」
無詠唱。そして、息をするのと同じくらい自然な、異常な速度での同時多重発動。
彼が放ったのは、誰もが使える初級魔法のレベル1に過ぎない。だが、その四つの魔法が空中で極めて精密に干渉し合い、融合した結果――。
ゴウゥゥゥゥゥッ!!!
風が火を煽って超高温の熱風を生み出し、土と水が混ざり合って粘着性の高い泥の散弾へと変化する。レベル1の魔法群は、ヘンドリックの変態的な魔力操作によって、優に【レベル10】相当の理不尽な威力を誇る『熱泥の嵐』となってヒロインたちに襲い掛かった。
「なっ!? だ、旦那様!? お待ちになって! 私たちですわ!」
「きゃああっ!? 熱い! 目が開けられないんだゾ!」
想定外のガチ攻撃に、ヒロインたちは完全にパニックに陥った。
「閣下! 落ち着いてください! 私です、サンネです!」
サンネが大剣を盾にして熱泥の嵐を防ぐが、次々と飛んでくる魔法の弾幕に押し込まれ、防戦一方になる。
「わ、わらわじゃ! そなたの妻の、ルミナリアじゃ! 目を覚ますのじゃ!」
ルミナリアが防壁を展開しながら叫ぶ。エリーゼが側面に回り込もうとする。ミラが正面から突破しようとする。
だが、ヘンドリックは冷静だった。三方向からの動きを瞬時に把握し、次の複合魔法を構築し始める。
『……連携が取れている。只者ではないな。だが』
その時だった。
「……貴様、本気でやる気か」
魔王マジカの声音が、明らかに変わった。
先ほどまでの戸惑いが消え、凄まじい魔力が彼女の全身から立ち昇り始める。ヘンドリックのレベル1複合魔法を正面から受け止め、初めてその真価を正確に測った魔王の目に、純粋な戦闘者としての光が灯っていた。
「面白い。ならば、アタシも遠慮はしないぞ!」
「魔王殿! 傷つけすぎてはなりませぬ!」
サンネが鋭く制止する。
「わかってる! 気絶させる程度だ!」
魔王が拳を振り下ろした。
炸裂する魔力の衝撃波。ヘンドリックが咄嗟に【土魔法Lv1】で地盤を隆起させて受け流すが、それでも床が大きく抉れる。
「……速い!」
魔王の二撃目が来る前に、エリーゼが前に出た。
「旦那様……お願いです。思い出してくださいませ……!」
エリーゼの声は、戦闘の最中にありながら、静かで、深かった。
「私たちは旦那様を傷つけるためにここに来たのではありませんわ。ただ……ただ、会いたかっただけですの……!」
一瞬。
ヘンドリックの手が、止まった。
すると相手の手も止まった。
『……なんだ、この感覚』
記憶はない。だが、この銀髪のエルフの声に、何か、胸の奥底が反応するような——
その一瞬の隙を、見逃すヘンドリックではなかった。
「隙あり!」
「しまっ——!?」
ヒロインたちの足元の地面が爆発的に隆起し、鋼のように極限まで圧縮された土の帯が地面から無数に飛び出してきた。一切の殺気も魔力反応も消して足元から襲い掛かる、完全に暗殺者の手口。
防戦地獄で足が止まっていた五人は、回避する間もなく土の壁に押し付けられ、手足を強固な土の帯によって瞬く間に拘束されてしまった。
「な、なんという強固な拘束……力が入らない……っ」
「動けないんだゾ……!」
王国最強の女たち五人が、わずか数十秒の戦闘で、あっけなく土の壁に磔にされるという、屈辱的すぎる全滅を喫したのだ。
「ふぅ……危なかった。まさかスローライフ初日から、こんな凶悪な暗殺部隊に襲撃されるとはね」
ヘンドリックは額の汗を拭い、やれやれと肩をすくめた。
息一つ乱していないヘンドリックのその無駄のない洗練された動きに、捕縛されたヒロインたちは泥まみれになりながらも、呆然とその姿を見つめていた。
「ああ……記憶を失われても、これほどまでに圧倒的で、お強いだなんて……」
「閣下……! 私たちなど一瞬で無力化するその手腕……見事にございます……!」
怒るどころか、頬を赤らめて熱い視線を送ってくる女たち。
砂埃が収まり、視界がクリアになったことで、ヘンドリックは壁に拘束された五人の姿を初めてまじまじと観察した。
『……って、うわ。ナニコレ』
ヘンドリックは思わず瞬きを繰り返した。
『砂ぼこりが晴れてよく見たら……この暗殺部隊、全員見た目のレベルが異常に素晴らしい。エルフに騎士に獣人に……どう見ても国宝級の絶世の美女揃いだ』
『だが……普通、縛り上げられたら怒るか怯えるかするはずなのに、誰も怒ってない。むしろ恍惚とした顔でこっち見てハァハァしてる。全員頭がおかしいのか……』
見た目と態度の恐ろしいギャップに、ヘンドリックがドン引きして後ずさりしていると、ずっと傍らで静かに成り行きを見守っていたミニベルナデッタ姿の闇の精霊が、淡々と口を開いた。
「……お見事な手際です、旦那様」
「あ、ああ。ありがとう。君に怪我がなくてよかったよ」
「……はい。ですが旦那様。今、旦那様が土壁に縛り上げているその方々は、旦那様を慕って王都から駆けつけてきた、旦那様の奥様方ですわ。それにこういうことは以前にもあったのですが」
「……………………へ?」
ヘンドリックの時間が、ピタリと止まった。
壁に磔にされている五人の絶世の美女を見る。
皆、泥まみれになりながら、嬉しそうにこちらを見つめている。
『……え? うそでしょ? 俺、スローライフの第一歩で、自分の超絶美人な妻(?)たちをガチの殺意でボコボコにして拘束したの……それと以前にもあった?』
血の気が引いていく記憶喪失の便利屋と、縛られて喜んでいるヤバい妻たち。
荒野の地下で、真の意味での地獄のコミュニケーションが、今、幕を開けようとしていた。




