第254話:老公爵の帰還と、便利屋の伝説
王都の権力の中枢たる、王城の謁見の間。
かつては数多の臣下たちで賑わっていたその神聖な広間は今、重苦しい沈黙と、引き裂かれるような後悔の空気に支配されていた。
「……余は、知らぬ者を追放したというのか。あろうことか、この国を幾度も救ってくれたという『真の英雄』を、余自身のこの手で……」
豪華な王座に腰掛けた国王は、王冠が落ちそうになるのも構わず、両手で頭を深く抱えて座り込んでいた。
その傍らでは、公爵邸での激戦を終えたばかりの執事アルフォンスが、煤けた衣服を正しながら、淡々と、しかし残酷なほど明確に現在の状況を説明し終えたところだった。
「はい。陛下が敵の悪辣な瘴気に操られ、国宝【強制転移の宝玉】を砕かれたのは紛れもない事実でございます。……ですが陛下、ご自身をそこまで責め立てる必要はございません。すべては王都の転覆を狙った仮面の集団の策なのですから」
「そうではない、アルフォンス! 操られていたとはいえ、余が何も覚えておらぬというのが……何よりも恐ろしく、そして申し訳ないのだ。ヘンドリック……誰だ。余の記憶のどこをひっくり返しても、その者の顔も、声も、何一つ出てこぬのだ……っ」
王としての責任感と、完全に抜け落ちてしまった救国の大恩人への記憶。その矛盾に挟まれ、国王は深い後悔の淵で身悶えしていた。
誰もが言葉を失い、重苦しい沈黙が再び謁見の間を押し潰そうとした、その時だった。
――コツン、コツン、と。
静まり返った廊下から、年齢を感じさせない、しかしどこか悠然とした大きな足音が響いてきた。
重厚な大扉が左右に開かれ、一人の老人が堂々たる足取りで謁見の間へと入ってくる。長く白い髭を蓄え、その瞳には老練なる鋭い光を宿した男。
「……陛下。目的地での野暮用を切り上げて戻ってみれば、随分と賑やかなことになっておりますな」
王国の重鎮にして、ヘンドリックを公爵へと推薦した張本人――ヴァレリウス公爵だった。
彼は王都の異変と、仮面の集団による襲撃の報を遠方で聞きつけ、滞在予定を大幅に切り上げて急ぎ戻ってきたのだ。
「ヴァレリウス公爵閣下。お帰りなさいませ」
アルフォンスが恭しく一礼する。
老公爵は軽く手を上げてそれに応えると、王座で打ちひしがれている国王を真っ直ぐに見据えた。
アルフォンスから手短に経緯を聞かされると、ヴァレリウスは珍しく、その眉根を深く寄せて険しい顔をしてみせた。
「陛下が、あのヘンドリック殿を知らぬ、と。……ほう、なるほど。敵もなかなか、えげつない手を打ってきたものですな」
だが、その険しい表情は長続きしなかった。老公爵はすぐに、いつもの食えない老人としての深い笑みをその口元に浮かべ、ニヤリと笑った。
「では、この老いぼれが少々口を挟ませていただきましょうか。……本当は陛下に、あの男がどれほど面白い男であるかを詳しくご披露するのは、余生の楽しみにとっておいたのですがね。まさかこのような形になるとは思いもしませんでしたな」
◇ ◇ ◇
「……陛下。余が初めてあの男に出会ったのは、ある街道での魔物の騒動の最中でした」
ヴァレリウス公爵は、かつて自身がヘンドリックに命を救われた時のことを、昨日のことのように熱量を持って語り始めた。
「乗っていた馬車は横転し、周囲の護衛は壊滅。老いぼれ一人が魔物の牙に引き裂かれるのを待つばかりの絶望的な状況の中、ふらりと現れたのが、あのヘンドリックという男でした。……あの男は、余計なことを何も言わなかった。大層な名乗りもせず、法外な報酬を求めることもせず、ただ黙ってこの老いぼれを守り、目の前の魔物をいとも容易く蹴散らしたのです」
国王は頭を上げ、老公爵の言葉を一言も聞き漏らすまいと、静かに耳を傾けていた。
「事態が収束した後、この老いぼれがせめて報いようと名を尋ねても、男は酷く面倒くさそうに『しがない便利屋です』とだけ言い残して去っていきました。……いやはや、一発で気に入りましたよ、あの欲のない、それでいて底の知れない男のことがね。だからこそ、わしなはこの国の未来のために、彼を公爵へと推薦したのです」
「……世界樹をこの王都に根付かせたのも、王家ですら手を焼いていたフェルウェ大迷宮のスタンピードをたった一人で鎮圧したのも、すべては同じ男。陛下、あのヘンドリックという男は、我が王国の至宝でございます」
ヴァレリウスの言葉が、謁見の間を熱く震わせる。
だが、その言葉を受け止める国王の胸には、より一層鋭い刃が突き刺さるようだった。
「……それほどの、この国の宝たる者を……余が、この手で追放してしまったのだな」
「ええ、陛下がなさった。……ですが、それは瘴気に操られていたが故の過ち。真に糾弾されるべき責任は、陛下ではなく、陛下を呪った敵の側にございます」
ヴァレリウス公爵は、着ていた外套をバサリと翻し、力強く立ち上がった。
「この老いぼれの辞書には、命の恩人を見捨てるという選択肢はございません。……陛下、あやつが『やはりあの国はクソだった』と呆れて戻ってこなくなる前に、追放の勅令を無効化する手続きを、今すぐ始めていただきたい」




