第249話:コウシャク邸の厄災と、激怒の国王
王都郊外にそびえ立つ、新設されたばかりの壮麗なる『公爵邸』。
その美しく手入れされた中庭で、悲劇は唐突に幕を開けた。
「……ん? 今、地面が揺れま……きゃあああああああああっ!?」
普段は氷のように冷徹で、どんな事態にも動じない完璧なメイド長が、手にしたティーカップを取り落とし、屋敷中に響き渡るような鼓膜を劈く悲鳴を上げた。
ズゴゴゴゴゴォォォッ!!
中庭の美しい芝生が内側から吹き飛び、巨大な地底ワームが顔を出したのだ。
ワームは口に咥えていた土の精霊をペッとうずくまるように吐き出すと、役目を終えたとばかりに満足げに鳴き、再び地中へと潜っていく。
「な、なんだあの巨大な魔物は!? ……い、いや、それよりも穴から何か出てくるぞ!?」
「く、黒い……波……? 待て、波じゃない! 全部、蟲だぁぁぁっ!?」
居残っていた護衛の騎士たちが、顔面を蒼白にして後ずさる。
ワームが開けた巨大な大穴から、赤いバンダナを巻いた一匹のリーダーGを先頭に、カサカサカサカサッ!と一切の無駄な音を立てず、数百万匹のGの軍勢が『新天地への配属』とばかりに行軍を開始したのだ。
彼らは一切人間を襲わない。ただただ有能な従業員として、公爵邸のゴミを拾い、廊下を磨き、温泉の脱衣所を占拠し、恐るべきスピードで屋敷を「黒く」染め上げていく。
「ひぃぃぃっ! 来ないで、来ないでぇぇっ!」
「誰か、火炎魔法を! いや、屋敷が燃える! 踏み潰せ……数が多すぎるぅっ!」
メイド長は気絶し、使用人たちはパニックに陥り、公爵邸は阿鼻叫喚の地獄と化していた。
だが、この日の公爵邸には、最悪のタイミングでもう一人の『超VIP』が滞在していたのだ。
「な……な、なんじゃこの黒い絨毯はぁぁぁっ!?」
新しく公爵となったヘンドリックへの労いと、極秘の視察を兼ねてお忍びで訪れていた国王その人である。
威厳に満ちた国王は今、豪華な応接間のテーブルの上に逃げ登り、ガクガクと震えながら半狂乱で叫んでいた。
「よ、余は蟲が……特にこの黒くてカサカサ動く『G』が、この世で一番嫌いなんじゃああああっ!!」
国王の涙目の絶叫が響く。彼に付き従っていた近衛兵たちも、壁や天井を這い回る数百万の軍勢を前に剣を抜くことすらできず、完全に戦意を喪失していた。
「一体どこの大馬鹿者が、新公爵の神聖なる邸宅にこんなおぞましい生物兵器を仕掛けたのじゃ!? これほどの数、ただの自然発生なわけがない! 誰かの陰謀じゃ! 首謀者を探し出し、市中引き回しの上、極刑にしてくれるわっ!!」
まさかその首謀者が、国王が褒め称えようとしていたこの屋敷の主だとは夢にも思わず、国王はテーブルの上で激怒の咆哮を上げていた。
――時を同じくして。
公爵邸の正門へと、とぼとぼと歩いてくる三人の女性の姿があった。
かつてヘンドリックを「無能な荷物持ち」と蔑み、パーティーから追放した元メンバーの三人娘である。だが、今の彼女たちに当時の傲慢な面影はミクロン単位も残っていない。
「……うぅ、ドブさらい、終わったよぉ……」
「臭い……でも、ヘンドリック様に拾ってもらった恩を返すためには、更生しなきゃ……」
「捨てられないように、真面目に働くって決めたもんね……ヒック」
彼女たちは、ヘンドリックの圧倒的な規格外さを幾度も目の当たりにし、完全に心を折られていた。今は見る影もなく怯えながら、彼に拾われた恩に報いるため、必死に更生のための地味な依頼をこなす日々を送っているのだ。
ボロボロになりながらも、温かいご飯を求めて公爵邸の重い門を押し開ける三人。
「ヘンドリック様ぁ……ただいま戻りまし……」
ザザァァァァァァァッ!!
「……え?」
門を開けた瞬間に彼女たちを待ち受けていたのは、中庭から溢れ出した『黒い津波』だった。
数万、数十万というGの群れが、有能な清掃業務の一環として外へ出ようと一斉になだれ込んできたのだ。
「ぎゃああああああああああっ!?」
「ご、ごめんなさい! 真面目にやります! もう悪いことしませんからぁぁっ!」
「ヒィィィッ! 口の中に、カサカサッてぇぇぇ!」
すっかり小心者になっていた三人は、これを「更生が足りない自分たちへのヘンドリック様からの新しいお仕置き」だと瞬時に勘違いし、圧倒的な質量の黒い波に飲み込まれながら、悲鳴と共にドブさらいよりも遥かに地獄な「Gまみれの波乗り」の犠牲となっていった。
屋敷ではメイドが倒れ、護衛が泣き叫び、国王がテーブルの上でブチ切れ、元メンバーの女たちが黒い波に飲まれていく。
そんな、この世の終わりとしか思えない大カオスが吹き荒れる『我が家』へ向けて――。
何も知らないヒロインたちは、意識を失った(中身は三下の)愛しのヘンドリックを大切に抱き抱えながら、感動の涙と共に帰路を急いでいるのだった。




