第233話:迷宮の野営と、開けてはいけない扉
浅層から中層へと下り、周囲の魔物を粗方蹴散らしたところで、俺は足を止めた。
「よし、そろそろ安全を確保できそうな広場があるから、ここで一旦休もうか。食事タイムとお花摘みタイムにしよう」
俺がそう宣言すると、一行はそれぞれ安堵の息を吐いた。
だが、記録係として同行しているエルフのアレンとセリアだけは、周囲の岩肌を見渡して絶望的な表情を浮かべていた。
特にセリアは、先ほどから内股気味に歩き、脂汗を流している。
彼女は限界まで『お花摘み』を我慢しているようだったが、気高いエルフのプライドが邪魔をして、男の俺には絶対に口に出せないのだろう。
「……あの、ヘンドリック様。こんな何もない迷宮のど真ん中で休むと申されましても、その……女性が身を隠せるような場所など……」
アレンが震える声で尋ねてきた。
彼らの常識では、迷宮内での野営といえば文字通り岩陰で野宿し、用を足すのも物陰で尻を晒して済ませるしかないのだ。
「……エ、エリーゼ様。わたくし、その……お花を摘みに……っ」
ついに限界を迎えたらしいセリアが、涙目でエリーゼの袖を引いてこっそりと耳打ちした。
「ああ、なるほどね。よし、やるか!」
俺は頷き、地面に手を突いた。
土魔法と精霊の力を応用し、岩壁に沿って堅牢な石造りの仕切りを隆起させる。さらに内部には水魔法と浄化魔法を組み込んだ、完全個室の水洗トイレを数人分、一瞬で創り上げた。
「さあ、女性陣はあっちを使ってね。使用中はちゃんと防音結界も張られるから」
「ふぅ、助かった。アタシ一番乗りな!」
「私も行かせていただきます!」
魔王とサンネを筆頭に、女性陣が秒で衝立の奥へと消えていく。
セリアは目の前に突如現れた立派な近代設備に目を丸くしていたが、背に腹は代えられないとおっかなびっくり衝立の奥へと駆け込んでいった。
『……エルフのプライドも、生理現象には勝てないみたいだね。でも、あんなに我慢しなくても言ってくれればすぐに作ったんだけどね』
女性陣がスッキリしている間に、俺たちは寝床と厨房の設営に取り掛かった。
とはいえ、俺がやるまでもなく、影からスッと現れたイリスが完璧な手際で準備を進めていく。
「イリスさん、料理はお任せしてもいいかな」
「ええ、もちろんです。皆様のお口に合うものを用意いたしますね」
イリスが美しい所作で調理器具を展開し、手際よく料理を作り始めた。
『……おお! 流石はレベル10! 知り合いのレベル10の料理人から最高級の携帯食料を買って持ってきているんだけど、水で戻して食べられるようにする時、俺のレベル1の料理スキルだとどうしても味を劣化させてしまうんだよね。それでも破格の美味しさなんだけど、ここにレベル10の腕前を持つイリスさんがいれば、迷宮の中でも最高の味が楽しめるんだよね』
やがて、衝立の奥からスッキリとした顔で戻ってきた女性陣が、厨房から漂う暴力的なまでに食欲をそそる匂いに目を輝かせた。
「……し、信じられませんわ! このような死地で、王宮の晩餐会のような香りが……!」
セリアとアレンは、渡された温かいスープとふっくらとした肉料理を一口食べた瞬間、雷に打たれたように固まり、やがてボロボロと涙を流しながら完食した。
「……エルフの長い歴史の中でも、これほど美味な食事は初めてです。ヘンドリック様、貴方様の陣営は一体どうなっているのですか……」
アレンが震えながら記録用の羊皮紙に何かを猛スピードで書き込んでいる。
「さあ、お腹も膨れたし、寝床の準備も終わってるよ。ここの扉は元々外からは絶対に開けられない仕様だけど、今回はさらに内側から厳重な『ロック解除』の操作をしないと開かないようにしておくからね」
俺が広場全体を覆う物理・魔法障壁の入り口に、念入りにロック式の扉を設置すると、闇の商人がスープを啜りながら遠い目をして震え出した。
「……助かります。あの時の『うっかり開けたら即大爆発』の恐怖は、二度と味わいたくありませんからね……」
以前、別のダンジョンで同じように立派な野営拠点を作った時のことだ。
深夜に『コンコン』と扉をノックされた瞬間、俺はいち早くその異常性に気づいた。だが、当時まだ迷宮探索の素人だった闇の商人は、俺の作った拠点の居心地があまりにも街の宿屋と同じだったため、ダンジョンの中だということを完全に忘れて「はーい」と日常の感覚で扉に近付いてしまったのだ。
俺は「開けるな!」と叫びながら、彼を止めようと真っ直ぐ扉へ向かって駆け寄った。
しかし、当時の扉は内側からは簡単に開けられる構造だった。俺の制止の声が彼の耳に届くよりも早く、商人がうっかり扉を開けてしまい――その瞬間、凄まじい爆発が起きた。
扉の外に立っていたのは、何者かに呪いの仮面を被らされ、意思を奪われて襲撃してきたイリスだったのだ。
扉を開けた商人と、彼を止めようと一直線に駆け寄って完全に射線の真正面に入ってしまった俺は、二人揃って仲良く吹き飛ばされ、戦闘不能になるという大惨事になったのである。
今回のロック追加は、その「反射的に開けてしまう事故」を物理的に防ぐための対策だ。
「……あの節は、大変ご迷惑をおかけしました。仮面に操られていたとはいえ、お二人を爆破してしまったことは反省しております」
イリスが美しい顔に少しだけ申し訳なさそうな色を浮かべ、静かに頭を下げた。
『……反省してるならいいんだよ。仲間を助けようと走った結果、俺まで真正面から爆発を食らって黒焦げになったあの光景は、今思い出しても泣けてくるんだけどね』
「よし、それじゃあ明日の最下層アタックに備えて寝るか」
気を取り直し、俺が用意された巨大なベッド(全員が川の字で寝られるサイズ)に向かった、その時だった。
「旦那様。今夜はわたくしが右腕の担当ですわね。迷宮の冷えから、わたくしがお守りいたしますわ」
「待てエリーゼ。ここは危険な迷宮じゃぞ? いざという時【万象還元の聖具】をすぐに使えるよう、わらわが旦那様に密着しておくのが筋であろう」
「……お二人とも、護衛という意味では私の出番です。閣下の背中は、このサンネがお預かりします」
「アタシはボスの正面から抱きつくんだゾ!」
「おいおい! アタシだってたまにはヘンドリックと一緒に寝てえんだぞ! 場所空けろ!」
俺が横になった瞬間、エリーゼ、ルミナリア、サンネ、ミラ、そして魔王までもが、俺の隣のポジションを巡って凄まじい火花を散らし始めた。
「あの! エルフの乙女の責任を取るという意味では、私がヘンドリック様の隣にいくべきですわ!」
なぜかそこにセリアまで顔を真っ赤にして参戦してくる始末だ。
『……ちょっと待ってほしいんだけどね。俺の完全失踪日の野望はどこへ行ったのかな。これじゃあ一人になるどころか、息もできないくらい圧死しそうなんだけどね』
俺は、ダンジョンの底で繰り広げられるヒロインたちの熾烈な添い寝争奪戦のど真ん中で、静かに天井の岩肌を見つめながら胃薬を飲み込むのだった。




