第231話:逃亡への願望と、忘れられた回転体
嵐のような大集団がダンジョンへと出発し、嵐の後の静けさが戻ったこうしゃく邸。
メイド長のベルナデッタは、誰もいなくなったリビングで静かに一息ついていた。
だが、窓の外からは依然として「ヒュンヒュンヒュン……」という、空気を切り裂く奇妙な音が聞こえてくる。
ベルナデッタが視線を向けると、そこには軒下で逆さに吊るされ、イリスの魔力によって未だに高速回転を続けている土の精霊(男)の姿があった。
「……愚かな。自業自得とはいえ、あのような姿になってもまだ回り続けるとは」
ベルナデッタは冷ややかな一瞥をくれ、「さて、掃除の続きを」とリビングを去った。
だが、数分後。彼女がふと思い出して再び窓の外を見たとき――そこに吊るされていたはずの精霊の姿は、影も形もなくなっていた。
残されていたのは、不自然に噛み切られたような魔力の紐だけだった。
◇ ◇ ◇
一方その頃、王都郊外の迷宮入り口。
最強のパーティー(というか大行列)の最後尾を歩きながら、俺はふと思い立って隣を歩くブラムに声をかけた。
「……そういえばさ、ブラム。君の誕生日っていつなんだっけ?」
「えっ、俺か? ああ、俺は来月だけど……それがどうかしたのか、おっさん?」
「いや、ちょっと気になっただけなんだけどね。……お祝いとか、ロッテと二人きりで過ごしたいだろうなと思ってね」
「へへ、そうだな! その時はおっさんに特大のケーキでも焼いてもらうぜ!」
『……来月か。舞踏会の準備でそれどころじゃない気がするんだけどね。でも、若い奴にはちゃんとプライベートな時間が必要だよね』
ブラムの無邪気な返事を聞きながら、俺は自分の胸に手を当てた。
『……そういえば、俺の誕生日はどうなっていたのかな。便利屋としてがむしゃらに生きてきたから、自分の生まれた日なんてミクロン単位も意識していなかったんだけどね』
記憶を辿れば、俺の誕生日はもうすぐそこに迫っていた。
普通なら、愛する妻たちに囲まれて盛大に祝ってもらうのが男の幸せなのだろう。だが、今の俺の状況はどうだ。
エリーゼ、サンネ、ミラの三人との、一睡もできない過酷なローテーション。
そこに加わる王女の公務、魔王のガチバトル、そして責任を取れと迫るエルフの美女……。
『……正直、誕生日プレゼントに欲しいのは、豪華な食事でもレアアイテムでもないんだけどね。俺が今一番欲しいのは「一日だけ誰にも見つからない権利」なんだけどね』
俺は、ダンジョンの暗い入り口を見つめながら、密かに壮大な計画を練り始めた。
『……このダンジョンの最下層、世界樹の根元あたりに、俺にしか見つけられない隠し部屋でも作れないかな。そこで一日中、誰の視線も気にせず、ただひたすら何もしないで寝ていたいんだけどね。……そうだよ、この探索は、俺の「誕生日隠れ家」を探すための聖戦なんだよね』
「旦那様、先ほどから何をニヤニヤしておるのじゃ? 気味が悪いぞ」
不意に、俺の隣から凛とした声がかけられた。
見れば、いつもの完璧な王族のドレスから、迷宮探索用の動きやすい実用的な軽装へと着替えたルミナリア王女が、ジト目で俺を見上げていた。
動きやすい格好とはいえ、その気品あふれる美貌は全く失われていない。ただ、装いが軽くなった分、エリーゼと同様にその『つつましい体型(胸部)』が強調されてしまっている気がするが、絶対に口には出せない。
「あ、いや、なんでもないんだけどね。最下層の魔物が強いかなって、ワクワクしてただけなんだけどね」
「フフ、流石は旦那様ですわ。……わたくしも、最下層では旦那様と二人きりになれる時間が持てないかと、今から楽しみにしておりますの」
エリーゼが俺の腕に絡みつき、妖艶な微笑みを浮かべる。
その隣で、ルミナリアが胸を張り、古風な口調で堂々と宣言した。
「ふん、心配するでない。わらわも国宝の魔道具【万象還元の聖具】を持参しておる。旦那様が再び三下の雑魚になろうとも、いざとなればわらわが助けてみせるゆえ、大船に乗ったつもりでいるがよい!」
『……逃げ場がないんだけどね。俺の誕生日隠れ家計画、実行する前にエリーゼの魔力感知と王女様の情報網で速攻でバレる気がするんだけどね。……神様、俺に本当のスローライフを一日だけでいいから恵んでくださいマジお願い』
俺は、自分の誕生日を「完全失踪日」にするという野望を胸に秘め、共闘関係をすっかり構築してしまった正妻同盟たちと共に、懐かしのダンジョンへと一歩を踏み出すのだった。




