第225話:魔王同士のガチバトルと、ディ家の令嬢
ズドドドドォォォンッ!!
俺のこうしゃく邸(俺は未だに侯爵邸だと思っている)の裏手に無断で建設されたコロッセウムから、昨日よりもさらに常軌を逸した爆発音が響き渡った。
「……また始まったね。今日は一段と激しいみたいだけどね」
俺がバルコニーから闘技場を見下ろすと、そこには凄まじい光景が広がっていた。
闘技場の中央で、ミラの父親である巨大な獣王と、ヨガウェア姿の魔王が、魔法も武器も使わず、ただ純粋な拳と拳の壮絶な殴り合いを繰り広げていたのだ。
拳が交差するたびに衝撃波が巻き起こり、精霊たちが作った強固な石畳が次々と粉砕されていく。
客席では、ミラとサンネが目を輝かせてそのド迫力のガチバトルを見学していた。
「がはははっ! やるじゃねえか、獣人のおっさん! アタシの拳を正面から受け止める奴なんて、そうそういねえぞ!」
「ガッハッハ! やっぱり闘いはこっちの『こぶし』だよなあ! 若えのに見事な力だ! 魔王同士、王でなくっちゃなあ! がはははは!」
二人は血湧き肉躍る様子で、豪快に笑い合いながらさらにギアを上げた。
だが、バルコニーで見物していた俺の思考は、獣王の放ったある言葉で完全にフリーズしていた。
「……え? 魔王同士?」
俺が呆然と呟くと、いつの間にか俺の隣でお茶を飲んでいたルミナリア王女が、扇子で口元を隠しながら呆れたように息を吐いた。
「おや、旦那様は知らぬのか? 獣王殿は、周辺諸国からは『獣の魔王』として恐れられている最古参の魔王じゃぞ。……あのアホな新米魔王は、引き継ぎ書を読んでおらんから、自分が大先輩と殴り合っていることにも気づいておらんようじゃがな」
『……ちょっと待ってほしいんだけどね。俺の義父さん、人類の脅威である魔王の一人だったの!? ただの豪快な田舎の村長じゃなかったの!?』
俺の胃がキリキリと音を立てて痛み始めた、その時だった。
闘技場で拳を交えながら、獣王がふと思い出したように大声を上げた。
「そういやお前、魔王って名乗ってるが、そいつはお前の本名じゃねえぞ! なんだったか……マジカ……何とかディじゃなかったか?」
「うおぉぉぉぉいっ!! おっさん、やめろ! それ以上言うんじゃねえぇぇっ!!」
魔王が顔を真っ赤にして叫び、獣王の口を塞ぐように、凄まじい勢いで顔面へ跳び蹴りを放った。
獣王は「むぐふっ!?」と声を詰まらせて後方へ吹き飛ぶ。
「ぜぇ、ぜぇ……。あぶねえ……。親が適当につけた名前なんて、誰にも聞かせるわけには……」
魔王が冷や汗を拭いながら安堵の息を吐いた、その直後だった。
「……『マジカ・ルキャン・ディ』ですわね」
俺の隣にいたエリーゼが、紅茶のカップを置きながら、さも当然のように涼しい顔でその名前を口にした。
「……あ?」
魔王の動きがピタリと止まり、首だけがギギギとこちらへ向く。
「アタシも知ってたんだゾ! だから時々、マジカって呼ぼうとして怒られるんだゾ!」
「……私も、耳にはしておりました。騎士として、他者の名を弄るような真似はいたしませんが」
客席からミラとサンネも加わり、ヒロインたちは全員「知っていて当然」という顔で頷き合っている。
必死に獣王の口を塞いだ魔王の努力は、正妻組のあっさりとした暴露によって完全に無に帰した。
「……マジカ・ルキャン・ディ……?」
俺の口から、無意識にその名前がこぼれ落ちる。
『……ファーストネームがマジカで、ミドルネームがルキャン。ということは、彼女はディ家の令嬢ということなのかな。そうかそうか、魔族の社会にも貴族のような家名制度がしっかり存在しているんだね』
俺は一人で深く納得し、ポンと手を打った。
「……じゃあ、これからは親しみを込めて、マジカって呼んでもいいのかな」
「うわああああああっ!! お前、そういう真面目な分析してんじゃねえよ!! おっさんに天然で言われるのが一番恥ずかしいんだよおおおっ!!」
マジカ・ルキャン・ディ(自称魔王)が、顔を真っ赤にして頭を抱え、コロッセウムの地面をゴロゴロと転げ回った。
『……どうして彼女はあんなに照れているのかな。由緒正しいディ家の令嬢なら、もっと胸を張ればいいと思うんだけどね』
ヒロインたちも獣王も、その名前が「マジカル・キャンディ(魔法のキャンディ)」というふざけた言葉遊びになっていることに気づいているのに。
俺だけは、その致命的な可愛らしさにミクロン単位も気が付いていなかった。
「……ガッハッハ! 照れるなディ家の令嬢! お前もヘンドリックの番になるなら、家族も同然だ!」
「だからその名前で呼ぶなっつってんだろぉぉぉっ!!」
眼下で繰り広げられる、「獣の魔王」と「マジカ・ルキャン・ディ」の地形を変えるほどの姉弟喧嘩のような大乱闘を見つめながら。
俺は、自分が世界で一番情報から取り残された「ただの便利屋(公爵)」であることを悟り、静かに胃薬の瓶を取り出すのだった。




