第222話:すれ違う爵位と、脳筋たちの舞踏会
王城の最も奥深く、重厚な扉の向こうにある謁見の間。
ずらりと並んだ国の中枢たちを前に、俺は寝起きでガタガタと震える腰を必死に庇いながら、冷や汗を流して直立していた。
玉座に座る国王が、鷹揚に頷きながら重々しく口を開く。
「よくぞ集まった。本日は他でもない、余の愛娘ルミナリアと、ヘンドリックとの正式な婚姻を執り行う運びとなったことを、ここに宣言する」
「……は?」
俺の口から、間抜けな声が漏れた。
確かに以前、王女の権力と策略で、侯爵になってしまっていた気がする(気がするではなく既になっている)……展開が早すぎないか。俺はまだ、自分の領地の場所すらまともに把握していないというのに、というか領地あるんだっけ?王都に住処はあるが。
『……ちょっと待ってほしいんだけど。俺の意見はミクロン単位も聞かれていないんだけど』
混乱する俺の視界の端で、なぜか見覚えのある、露出の激しいヨガウェア姿の女がニヤリと笑って手を振っていた。
『……なんであそこに魔王がいるのかな。数日前にやることができたとか言って旅に出たんじゃなかったっけ。王城の警備はどうなっているのかな』
俺が盛大に内心でツッコミを入れている間にも、当のルミナリア王女本人は、書記官が差し出した羊皮紙を見ながら淡々と口を動かしていた。
「……結婚の儀式は来月の新月の夜がよかろう。各国への招待状の発送は明日までに済ませよ。警備の配置は近衛騎士団を総動員する。……ヘンドリックよ、そなたの衣装の採寸は後でカトリーヌに任せるゆえ、大人しくしておくのじゃぞ」
『……自分の結婚式なのに、なんで他人の領地経営みたいに事務処理を進めているのかな。王族のメンタルはどうなっているのかな』
圧倒的な置き去り感に俺が白目を剥いていると、国王がさらに言葉を続けた。
「うむ。こうしゃく殿とわが娘との結婚、王家を挙げて盛大に行うこととなるが……そのほう、邸を与えてから一度もパーティを開催しておらぬであろう。貴族たるもの、社交界への顔見せとしての舞踏会は必須ぞ」
『……こうしゃくだからって、急に舞踏会なんて言われても困るんだけどね。俺はただの便利屋で、貴族の作法なんてカトリーヌ夫人に少し教わっただけなんだけどね』
俺は、自分が呼ばれた「こうしゃく」という響きを、当然のようにこれまで通りの「侯爵」だと思って聞いていた。
まさかこの一ヶ月の間に、王女との結婚を大義名分として、俺の爵位が王家の身内と同等である「公爵」にまで爆上がりしているなどとは、夢にも思っていなかったのだ。
「ぶとうかい……? ボス、それは美味しいお肉の料理なのか?」
空気を一切読まないミラが、目を輝かせて俺の袖を引いた。
「いえミラ殿。ぶとうかいとは、おそらく『武道会』のことでしょう。強者たちが集い、互いの技を競い合う血湧き肉躍る儀式……閣下、ついに私の剣術Lv5をお見せする時が来たのですね」
サンネが、かつてないほど真剣な顔で腰の剣の柄に手を当てた。
『……いや、そこは気づくだろ普通。なんでドレスを着て踊る場所が、血湧き肉躍るデスマッチ会場になるのかな。でも、よく考えたらサンネは没落騎士の出身で、社交界デビューをする前に家が傾いちゃったんだよね。……不憫すぎてツッコミづらいんだけど』
隣では、唯一正解を知っているであろうエリーゼが、片手で顔を覆って静かに溜息をついていた。
「がはは! 武道会か。いいぜ、アタシもヘンドリックの番として、その舞踏会とやらに参加してやるよ。この新しい戦闘服の威力を試す絶好の機会だからな」
旅先から戻ったばかりの魔王までが、ヨガウェアの胸元を強調しながら参戦を表明した。
「……魔王よ。そなたには、後でわらわの専属侍女から王宮礼儀作法を百時間ほど叩き込ませるゆえ、覚悟しておくことじゃな」
ルミナリアが頭痛を堪えるようにこめかみを押さえている。
玉座の間は、もはや国の中枢の厳粛な会議というより、身内のもめ事の延長戦のような混沌とした空気に包まれていた。
「うむうむ、皆も乗り気のようじゃな! ちなみにヘンドリックよ、そなたの領地はそのまま世界樹の周囲とする!」
国王が上機嫌で高らかに宣言した。
「今までの侯爵の館はそのまま残すが、新たにこうしゃく領に相応しい建物を、すでに世界樹の周囲に建てておる。それを新たなこうしゃく邸とするとよかろう! いやあ、めでたい、目出たいな!」
『……ちょっと待ってほしいんだけどね。すでに世界樹の周囲に建ててある建物って、それ昨日俺と精霊たちで作った石造りの新居のことだよな? なんで王家が用意したことになってるの。ただ俺の……あれは土の精霊がやらかした奴だったか……あの物件にこうしゃく邸って表札を掛け替えただけだよね』
俺は、あまりの王族の調子の良さに内心で激しくツッコミを入れた。
だが、同時に少しだけ安堵もしていた。見知らぬ土地に立派すぎる屋敷を押し付けられるよりは、自分たちで手直ししたあの快適な新居に住み続けられる方が、俺にとっては都合が良かったからだ。
『……まあ、引っ越さなくていいなら別にいいんだけどね。侯爵領のままで世界樹の周りに住めるなら、それが一番気が楽かな』
俺は、自分が呼ばれた「こうしゃく」という響きを、最後まで「侯爵」だと思い込んだまま安堵のため息をついた。
この一ヶ月の間に、俺の爵位が王家の身内と同等の「公爵」にまで爆上がりし、国庫から莫大な維持費が動き出しているなどとは、これっぽっちも考えていなかった。
「フフフ……。旦那様とわたくしの世界樹の家が、本拠地として認められましたのね。最高ですわ」
俺の隣で、エリーゼが嬉しそうに呟いている。そのわずかな表情の輝きは、俺にしかわからない「一番の女」としての喜びのサインだった。
『……どうやら、俺の腰と精神が休まる日は、まだ当分先みたいだね。誰か、本当に俺にスローライフを返してほしいんだけどね』
俺は、迫り来る舞踏会という名の地獄の特訓に向けて、静かに遠い目をするのだった。




