第221話:形見の枝の違和感と、王城への連行
眩しい朝日が、新居の寝室を白く染めていた。
俺は全身を包む凄まじい倦怠感と、これまでにない腰の重みを感じながら、ゆっくりと意識を浮上させた。
『……昨夜は、本当に一生分を使い果たした気分なんだけどね。ハイエルフの三百九十年分の愛というのは、物理的に人を壊す力があるんじゃないかな』
隣では、身支度を整え始めたエリーゼが、普段の氷の美女からは想像もつかないほど潤んだ瞳で俺を見つめている。彼女の少し乱れた髪や、上気した肌は……正直、直視するのが躊躇われるほどに艶やかだった。
俺は意識を逸らすように、枕元に置いた一本の枝を手に取った。
昨日、エリーゼから託された、彼女の故郷の「形見の枝」だ。
「……ねえ、エリーゼ。この枝なんだけどね、少し気になることがあるんだよね」
「……何かしら、旦那様。そんなことより、もっとこちらへ……」
「……いや、真面目な話なんだけどね」
俺は起き上がり、その枝に魔力を込めてみた。
王都に根付いたあの枝は、俺が触れるだけで勝手に魔力を貪り食い、あっという間に大木へと成長した。だが、この枝は違う。いくら魔力を流し込んでも、ほとんど変化がなく、自ら吸い上げようとする気配さえなかった。
『……おかしいね。試しに、全部つぎ込んでみようかな』
俺は鑑定Lv1で状態を見ながら、自分の魔力タンクを全開にした。
普通なら一国の魔導師団がひっくり返るほどの膨大な魔力が、細い枝へと流れ込んでいく。俺の魔力がすっからかんになる寸前、枝がようやく、ほんの僅かに、頼りなく輝いた。
「……旦那様!? 顔色が真っ青ですわ! そこまで無理をして何を……っ」
エリーゼが慌てて駆け寄ってくる。俺はフラつく頭を押さえながら、輝きが消えていく枝を見つめた。
「……おかしいのじゃありませんこと? 旦那様のあの膨大な魔力が……枝に全く蓄積されていませんわ」
「……やっぱり、エリーゼもそう思うよね。吸わないどころか、溜まってもいない。どこかへ消えているみたいなんだけどね」
エリーゼの表情が、一瞬で「ハイエルフの王女」の鋭いものへと変わった。
俺たちの間に、一ヶ月の平穏を切り裂くような、奇妙な違和感が横たわった。
だが、その謎を追及する時間は、今の俺たちには与えられていなかった。
ドンドンドンドン! と、寝室の扉が激しく叩かれる。
「ボス! 時間なんだゾ! 早く出てくるんだゾ!」
「そうです、もう時間は過ぎました! 皆さんお待ちです、閣下!」
ミラの元気すぎる声と、サンネの真面目すぎる怒鳴り声が響き渡る。
「……う、時間が過ぎている。……慌てて着替えないといけないんだけど
、どうするかこれね」
「……っ。致し方ありませんわね。……後で、続きを求めますわよ、旦那様」
エリーゼは名残惜しそうにしながらも、驚異的な速さでいつもの完璧なハイエルフの装いへと着替えていく。俺も震える手足でなんとか服を纏い、悲鳴を上げる腰を叩きながら寝室の扉を開けた。
◇ ◇ ◇
部屋を出た瞬間、俺の前にいたのは、いつもの「氷の美女」としてのエリーゼだった。
昨夜のあの甘えっぷりが嘘のように、彼女は凛とした表情で、俺を迎えに来た二人の前に立つ。
「おはよう、ミラ、サンネ。……お待たせしてしまいましたわね」
「エリーゼだけずるいんだゾ! ボスの顔が心なしかげっそりしてるゾ!」
「……閣下、腰を痛めておられるのですか? 私がお支えします!」
ミラとサンネに左右から両手を取られ、俺は半ば連行されるような形で廊下を引きずられていく。背後でエリーゼが、そんな俺たちの光景を見て「フフフ」と楽しげに微笑んでいるのが見えた。
『……一週間前のサンネの時以上に、体中が悲鳴を上げているんだけどね。でも、どこへ連れて行かれるのかな。みんなで朝食を食べるんじゃないのかな』
だが、俺が連れて行かれたのは、屋敷の食堂ではなかった。
気が付けば、俺は馬車に押し込められ、いつの間にか王城の奥深く――最も厳粛な謁見の間へと足を踏み入れていた。
「……え? なにこれ」
扉が開かれた瞬間、俺は思わず言葉を失った。
そこには、国王を筆頭に、ルミナリア王女、魔術師ギルドのエリートたち、さらにはカトリーヌ夫妻や獣王、サンネの両親まで、俺に関係する面々が、それこそ国の中枢が雁首を揃えて、俺の到着を今か今かと待ち構えていた。
全員が正装し、その視線は一斉に、疲れ果てた俺へと注がれる。
「……遅かったな、ヘンドリック。余は待ちくたびれたぞ」
国王が、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて玉座から立ち上がる。
その隣で、ルミナリア王女が「さあ、主役の登場じゃな」と扇子を広げた。
『……なにこれ美味しいの? というか、俺、まだ寝巻きの下着が少しズレているような気がするんだけどね。こんな国家の中枢が集まるような場所で、便利屋おっさんの出る幕なんて一ミリもないはずなんだけど、どうしろと?』
俺は、あまりにも場違いな状況と、全身の筋肉痛に震えながら、一ヶ月の平穏が粉々に砕け散ったことを悟るのだった。




