第219話:賑やかな再会と、三百九十年の朝
平穏な日常が戻ってから、さらに数日が過ぎた。
世界樹の根元に建てられた白亜の新居には、朝から懐かしい顔ぶれが次々と集まっていた。
「閣下! お待ちしておりました! さあ、本日はこちらの新型魔導計測器を用いて、世界樹と閣下の魔力バイパスの深度を測定いたします! さあ、早くこちらへ」
玄関を開けるなり、眼鏡を光らせたシリルが鼻息荒く俺の腕を掴んできた。
「……シリル君。朝から元気だね。でも、俺を実験対象みたいに引きずり回すのは、いい加減勘弁してほしいんだけどね」
「何を仰いますか! 魔術師ギルドから派遣された私にとって、閣下の魔力は宇宙の真理そのもの! さあ、この数値をこう! 閣下、ここにもう少し魔力を込めてください」
シリルは俺の困惑などお構いなしに、怪しげな機械を押し付けてくる。彼は有能な魔術師なのだが、一度研究に火がつくと周囲が見えなくなるのが玉に瑕だ。
ヘンドリック家に仕える家臣という一面もあり、普段はベルナデッタやアルフォンスと共に屋敷を切り盛りし、主に財政面を厳しく見てくれているはずなのだが……どうやら今日は完全に「ダメな日」のようだ。
「……シリル。閣下はこれから大事な予定があるのです。屋敷の維持管理に関する報告があるのなら、アルフォンスと手短に済ませなさい」
そこへ、冷徹な声と共にベルナデッタが現れた。彼女の背後には、几帳面に眼鏡を押し上げる家令のアルフォンスも控えている。
「……ベルナデッタ殿の仰る通りです。シリルの収集したデータに基づいた屋敷の補強案は、すでに私が精査しております。閣下の手を煩わせるまでもありません」
アルフォンスがシリルを宥めるように引き離すと、俺はようやく解放されて大きく息を吐いた。
『……魔術師ギルドのエリートなんだけどね、彼は。俺を人間だと思っていない節があるのが、便利屋としては少し寂しいんだけどね』
◇ ◇ ◇
騒がしい玄関先に、今度は王城からの馬車が到着した。
中から降りてきたのは、俺の自慢の妹と、彼女を守るように寄り添うルーク、アイシャの二人。そして肩にはミニベルナデッタ姿の闇の精霊が乗っている。
「お兄ちゃん! また会いに来ちゃった」
妹が満面の笑みで駆け寄ってくると、俺の目尻は自然と下がった。王女の配慮で筆頭侍女として迎え入れられた彼女は、城での生活にもすっかり慣れたようで、以前よりも表情が明るくなっている。
「……いらっしゃい。今日も元気そうで何よりだよ」
「ヘンドリック、また邪魔するよ。……相変わらず、ここは精霊の密度が濃すぎて笑える」
ルークが飄々とした態度で手を挙げ、その隣でアイシャが穏やかに微笑んだ。
「ヘンドリック、お久しぶりね。……サンネさんたちの様子はどうですか」
「……みんな元気だよ。ちょうど今、賑やかになっているところだからね」
俺がそう答えると、闇の精霊がすっと俺の肩に飛び移ってきた。
「……旦那様。王城の警備状況、および周囲の不穏な動きについては異常ありません。……それと、あちらの『更生組』も、メイド長の指導に耐えながら今のところは大人しくしております」
『……闇の精霊が一番の苦労人に見えてきたんだけどね。妹たちを守ってくれて、本当に感謝しているんだよ』
◇ ◇ ◇
午後になると、さらに高貴な客人が現れた。
王都社交界の重鎮であるカトリーヌ夫人と、その夫であるロバートだ。
「あら、ヘンドリック。随分と立派な屋敷になりましたわね。……エリーゼさん、世界樹の様子はいかがかしら」
カトリーヌは優雅に扇子を広げ、俺の隣に控えていたエリーゼに声をかけた。
ロバートもまた、世界樹の巨大な幹を見上げ、その生命力に感嘆の息を漏らしている。
「カトリーヌ様、ロバート様。お越しいただき光栄ですわ。……旦那様の魔力のおかげで、世界樹はかつての輝きを取り戻しつつありますわ」
エリーゼは、カトリーヌ夫妻を世界樹の近くへと案内し、その生態や里での伝承について熱心に語り合い始めた。ロバートは世界樹のアクセス権に関する知識を豊富に持っており、エリーゼにとっても彼は最高の相談相手なのだ。
そんな彼女たちの背中を見守りながら、俺はふと、今日という日の重みを反芻した。
『……一ヶ月の平穏な期間を経て、ついに来たんだよね。ミラの誕生日、サンネの誕生日……そして今日。エリーゼさんが言っていた「三百九十年分の期待」という言葉の意味を、俺はやっと理解できた気がするんだけどね』
ハイエルフである彼女は、これまで実年齢は三百八十九歳だと言っていた。
だが、その三百八十九年という途方もない孤独の旅が終わりを告げ、今日、彼女は記念すべき真の意味で三百九十歳の誕生日を迎えるのだ。
◇ ◇ ◇
夕暮れ。来客たちがそれぞれの場所へと落ち着き、屋敷に静かな夜の帳が降りようとしていた。
俺は、リビングで一人、窓の外の世界樹を見つめていたエリーゼの元へと歩み寄った。
「……エリーゼ」
「……旦那様」
エリーゼが振り返る。その翡翠色の瞳には、これまで見せたことのないような、深い慈しみと緊張が同居していた。
「……ついに、わたくしの番ですわね。三百九十年という、わたくしの人生において……今日ほど、待ち遠しかった日はありませんわ」
「……三百九十歳、おめでとう。エリーゼ。……今日は、君のためだけに、俺の全部を捧げるつもりだよ」
俺がそう告げると、エリーゼは一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから花が開くような、至福の笑みを浮かべた。
「……不謹慎かもしれませんけれど。わたくし、三百九十年生きてきて……今が、一番幸せですわ」
エリーゼはそう囁くと、俺の腕にそっと自分の腕を絡ませてきた。
ミラやサンネとは違う、永い時を生き抜いてきた者だけが持つ、重厚でしっとりとした愛情が、彼女の肌の温もりを通して伝わってくる。
『……さあ、大トリの始まりだね。便利屋おっさんには荷が重すぎるかもしれないけれど……彼女が守ってきた三百九十年の重みを、俺が今夜、最高の思い出に塗り替えてあげないといけないからね』
俺は、愛おしげに俺を見つめるハイエルフの瞳を見据え、静かに彼女の手を握りしめた。
三百九十歳のハイエルフ、エリーゼ。
彼女の孤独を癒やし、新たな契約を刻むための、運命の一日が幕を開けたのだった。




