第217話:黄金比の騎士と、鎧の下の涙
ミラの誕生日から一週間。王都の初夏の陽光が、世界樹の葉を鮮やかな緑に染めていた。
今日は、黎明の森の前衛騎士――サンネの誕生日だ。
朝から広間で、俺はご両親の期待に満ちた視線を背中に浴びながら、背筋を伸ばして座っているサンネと向き合っていた。
「……さて、サンネ。今日は君の誕生日だね。まずは年齢が上がって得られた一ポイント、スキルの取得を済ませておこうか」
「はっ! 閣下、ご指南をお願いいたします」
サンネは騎士らしい凛とした姿勢を崩さないが、その頬は微かに朱に染まっている。
俺は彼女の現在のステータスを脳裏に浮かべた。剣術、盾術、鉄壁、自己治癒……前衛として完成された彼女に、今必要なのは何かな。
「……そうだね。『身体強化Lv1』はどうかな。すでに持っている鉄壁やスタミナ補正と相乗効果が期待できるし、君のその黄金比と称される完璧な体のポテンシャルを、さらに引き出してくれるはずだよ」
「……っ、私の体を、そこまで評価してくださって……。閣下の仰る通りにいたします!」
サンネは勢いよく頷き、スキルを取得した。
ご両親が「おお、これでさらに素晴らしい跡継ぎが……」と感涙に咽んでいるのが聞こえてくるが、俺は聞こえないふりをした。
『……真面目すぎるんだよね。スキル一つ選ぶのにも、戦場に赴くような覚悟を決めちゃうんだから。でも、その真っ直ぐなところが彼女の良さなんだろうね』
◇ ◇ ◇
午後は、二人で王都の街へと繰り出した。
ミラのように食べ歩きをしたり、エリーゼのように策略を練るわけでもない。サンネとのデートは、彼女の希望により「騎士の巡回」に近い、非常に生真面目な散歩となった。
「閣下、こちらの路地の治安は良好です」
「……うん、そうだね。でも、今日は仕事じゃないんだから、もう少し肩の力を抜いてもいいんだよ」
俺が苦笑いしながら言うと、サンネは一瞬だけ表情を崩したが、すぐにまた背筋を伸ばした。
彼女は時折、俺の腕に触れようとして、寸前で思い止まったように拳を握りしめている。
これまでも彼女は、過剰なほどに抱き着いてきたりアピールを繰り返していたが、あれが彼女にとっての「精一杯」の勇気だったことを、俺は今の彼女の震える指先を見てようやく理解した。
『……今まで、彼女のそんな葛藤に気づいてあげられなかったんだよね。俺が恋愛を拒んでいたせいで、彼女に余計なプレッシャーをかけていたのかもしれないね』
夕暮れ時。俺たちは世界樹の木陰へと戻ってきた。
人目を憚る静寂の中で、サンネが不意に立ち止まり、その場に跪こうとした。
「閣下……私は、誇り高き騎士として、貴方をお守りし、家門を再興せねばなりません。ですが、同時に……一人の女として、貴方をお慕いしているのも事実なのです」
サンネの声が震え、その大きな瞳から大粒の涙が溢れ出した。
「私は、不器用で……。ミラ殿のように素直に甘えることもできず、ただ、跡継ぎを産まねばという焦燥感に駆られて……っ」
「……サンネ。無理しなくていいんだよ」
俺は静かに彼女の前に跪き、その震える肩を優しく抱き寄せた。
「え……?」
「君が騎士として頑張っているのも、俺を想ってくれているのも、全部わかっているよ。……俺、今まで自分から何もしてこなかったね。ごめんね」
俺がそのまま彼女を引き寄せ、驚きに目を見開くサンネの唇に、静かに自分の唇を重ねた。
サンネの体が一瞬で硬直したが、すぐに彼女は声を上げて泣き出し、俺の首に腕を回して強く抱き返してきた。
「閣下……っ、あ、愛しております……っ! ずっと、こうしてほしかったのだ……っ!」
鎧の硬い感触越しに、彼女の激しい鼓動と、熱い涙が俺の首筋に伝わってくる。
俺は、彼女が背負っていた重すぎる荷物を少しでも分かち合えるよう、その背中を何度も優しく撫で続けた。
◇ ◇ ◇
夜。俺たちは新居の温泉に二人で浸かっていた。
湯煙の中で見るサンネの肢体は、まさに「黄金比」と呼ぶに相応しい、鍛え上げられながらも女性らしい曲線美を誇っていた。
俺は、彼女がこれまで一度も俺から「よこしまな視線」を向けられなかったことに安堵し、それを好感していたと知って、少しだけ複雑な気分になった。
『……本当は、俺だって男なんだから、こんな綺麗な体を見せられて何も感じないわけがないんだよね。便利屋としての職業病というか、相手を観察する癖が裏目に出ていたのかもしれないね』
だが、今夜はもう、観察者でいるつもりはなかった。
俺は湯船の中で彼女の手を取り、優しく引き寄せた。
「……サンネ。夜は、これからだよ」
「……っ。はい、閣下。……私を、貴方の騎士に……そして、貴方の女にしてください」
◇ ◇ ◇
翌朝。
眩しい朝日が差し込む部屋で、俺はこれまでにないほどの激しい疲労感と共に目を覚ました。
右腕には、ずっしりとした、しかしこれ以上ないほど満たされた重みがある。
隣では、シーツ一枚を纏ったサンネが、これまでの凛々しさが嘘のような、艶やかで幸せそうな寝顔で俺の胸に寄り添っていた。
『……痛恨のミス、かな。彼女にスタミナ補正や魔力回復、そして身体強化まで取らせたのは……俺の腰が、物理的に悲鳴を上げている……』
初めてだというのに、彼女の体力と情熱は、俺の想像を遥かに超えていた。
騎士としての鍛錬の結果なのか、それとも一途な想いが爆発したのか。俺は今、全身の関節が外れたような感覚に陥っている。
「……ん……閣下……旦那様……」
サンネが愛おしそうに寝言を呟き、俺の腕をさらに強く抱きしめる。
その幸福感に満ちた表情を見て、俺は深い溜息をつきながらも、彼女の美しい髪をそっと撫でた。
『……すごかったんだけどね、彼女。……でも、彼女が救われたなら、俺の腰の一つや二つ、捧げてもいいかなって思えちゃうのが、便利屋の悲しい性なのかな』
俺は少し震える手で、もう一度、大切な家族になった女騎士を抱きしめ直すのだった。




