第215話:世界樹の木陰と、ハイエルフの静かな包囲網
サンネのご両親からの、あまりにも熱烈な「跡継ぎ」への期待。
その重圧から逃れるようにして、俺は逃げるように新居の外へと足を向けた。
ふと横を見ると、そこにはいつの間にか、銀色の長い髪を揺らしたエリーゼがぴったりと寄り添うように歩いていた。
「……旦那様、随分とお疲れのようですわね」
エリーゼが、涼しげな翡翠色の瞳を細めて微笑む。
「……サンネのご両親の熱意がすごすぎて、少し胃が痛いんだけどね。だから、頭を冷やしがてら周囲の点検をしておこうかなって」
「ええ。わたくしもご一緒いたしますわ」
俺たちは並んで歩きながら、王都の郊外にそびえ立つ巨大な世界樹と、その根元に広がる新しい拠点を見渡した。
二体の土の精霊――王都の「ぞいの子」と、俺が予備パーツを適当に繋ぎ合わせて作ってしまった「エリーゼの顔にミラの豊満なボディ」を持つキメラ精霊――が協力して作り上げた新居は、短時間で建てたにしては驚くほど立派な石造りの館だった。
だが、あくまで「精霊が力任せに隆起させただけの石」であるため、便利屋である俺の目から見ると、あちこちに粗が目立っていた。
「……壁の強度が少し足りないね。それに、魔力の流れも整えておかないと、すぐにひび割れてしまうかな」
俺は壁に手を当てて魔力を練り上げた。
土魔法Lv1に火魔法Lv1を複合させ、石の表面を瞬時に焼き固めて強度を底上げする。さらに、道具作成Lv1と付与Lv1を組み合わせ、防汚と防壁の魔術式を屋敷全体に薄くコーティングしていった。
ザラザラだったただの岩肌が、大理石のようになめらかで美しい白亜の壁へと変貌していく。
「……さすがは旦那様ですわ。わたくしの顔をしたあの無駄に発育の良い精霊が作ったにしては、少し品がない造りだと思っておりましたの」
エリーゼが、微かに棘のある言葉を口にしながら、俺の完璧な補修作業に感嘆の息を漏らした。どうやら、まだあのキメラ人形の件を少し根に持っているらしい。
『……あれは土の精霊のオーダー通りに作っただけなんだけどね。でも、ハイエルフの美意識には合わなかったみたいだね』
俺は深く追求するのを避け、そのまま屋敷の裏手にある天然の温泉へと向かった。
ここも精霊たちが世界樹の地脈から直接引き当てたものだが、そのままだと温度が高すぎる。俺は水魔法Lv1と土木建築Lv1を駆使して、水路の幅と水流を微調整し、誰もが心地よく浸かれる極上の露天風呂へと完成させた。
さらに、周囲の目隠しとなる岩壁を配置し、光魔法Lv1の小さな魔力球を等間隔で浮かべて、夜になっても幻想的な光で照らされるように細工を施した。
「完璧ですわ、旦那様。これなら、夜の湯浴みも一層素晴らしいものになりますわね」
エリーゼが、俺の腕にそっと自分の細い腕を絡ませてきた。
彼女の透き通るような肌の温もりと、ハイエルフ特有の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「……これで、拠点としての最低限の設備は整ったかな。ただの便利屋の作業なんだけどね」
「ただの便利屋で、これほど巨大な要塞を一日で完成させる者など、この世界にはおりませんわ。旦那様は、もっとご自身の異常性に自覚を持つべきですのよ」
エリーゼはクスクスと笑いながら、俺の腕を引いて世界樹の根元へと歩き出した。
見上げれば、首が痛くなるほどの高さを誇る大樹が、初夏の青空に向かって青々とした葉を広げている。
かつて俺が迷宮の真層から持ち帰り、王都脱出の際に足止めとして突き立てた一本の枯れ枝。それが俺の純粋なレベル1の魔力を吸い上げ、ここまで成長したのだ。
エリーゼは、世界樹の太い幹にそっと白い手を触れた。
「……わたくしは、この温もりを再び感じるために旅をしてきましたの。そして今、それが旦那様の魔力によって、この王都の地に根付いている……わたくしにとって、これほどの奇跡はありませんわ」
エリーゼの翡翠色の瞳が、感極まったように潤んでいた。
彼女がどれほどの孤独と絶望を抱えて三百九十年を生きてきたのか。それを思えば、俺がやったことなど些細な魔法の行使に過ぎない。
「……世界樹が元気を取り戻して、本当に良かったよ。俺は少し魔力を分けただけだけどね」
「いいえ。旦那様だから、できたのですわ」
エリーゼは振り返り、真っ直ぐに俺を見つめた。
その瞳には、三百九十年分の重たい愛情と、絶対に逃がさないという揺るぎない覚悟が宿っていた。
「……明日は、サンネの番ですわね」
エリーゼが、突然話題を変えた。
「……そうだね。あのご両親の熱意に応えられるか、正直自信がないんだけどね」
「サンネも、不器用ながらに旦那様をお慕いしておりますわ。明日は、どうか彼女の騎士としての誇りと、乙女としての想いを受け止めてあげてくださいませ」
エリーゼはそう言って微笑んだが、すぐにその手で俺のエリをきゅっと掴み、顔を近づけてきた。
「ですが、お忘れなきよう。……最後の大トリは、わたくしですわよ。三百九十年分の期待を、どうか裏切らないでくださいませ」
吐息が掛かるほどの距離で囁かれたその言葉は、どんな高位魔法よりも強烈に俺の心臓を跳ね上げさせた。
『……プレッシャーの方向性がご両親とはまったく違うけれど、やっぱり俺の胃が痛くなるのは変わらないんだけどね。スローライフしたかっただけなんだけど、どうしてこうなったのかな』
俺は、世界樹の葉が風に揺れる心地よい音を聞きながら、明日から続く激動の誕生日ラッシュに向けて、静かに遠い目をするのだった。




