第214話:嵐を呼ぶ義父と、更生組の阿鼻叫喚
ミラの誕生日から一夜明けた、王都郊外の新居。
初夏の清々しい朝の光が差し込む寝室で、俺は腕の中に残る心地よい重みと、全身を包む微かな倦怠感と共に目を覚ました。
隣では、幸せそうな寝顔のミラが俺の腕をがっしりと抱きかかえ、ふさふさの尻尾を無意識にパタパタと揺らしている。
『……昨夜は本当に激しかったんだけどね。ミラの魔力回復スキル、こういう場面でも機能するとは想定外だったかな。俺の腰が悲鳴を上げているのは、誰か嘘だと言ってほしいんだけどね』
俺が静かに身を起こそうとした、その時だった。
突如として、新居の頑丈な正門が凄まじい破壊音と共に吹き飛んだ。
「ガッハッハッハ! よくやったぞミラ! さすがは俺の娘だ! 立派にボスの種を貰ったようだな!」
地響きのような豪快な笑い声と共に、土煙を上げて部屋の入り口まで突き進んできたのは、身長二メートルを超える筋肉の塊――ミラの父であり、獣人族の頂点に立つ獣王だった。
「パ、パパ!? なんでここにいるんだゾ!?」
ミラが飛び起きてシーツを被る。俺は慌てて着衣を整えながら、物理的に崩壊したドアの枠に立つ義父を見上げた。
「……獣王殿。朝から賑やかすぎやしないかな。せめてノックくらいしてほしいんだけどね」
「何を言うかヘンドリック! 娘の門出に黙っていられるか! これでミラの子は、将来の男爵位も約束されたというものだ! 王女殿下との約束、俺は一刻も忘れておらんぞ!」
獣王は豪快に俺の肩を叩き、ミラの頭をクシャクシャと撫で回した。かつて王女から突きつけられた「ミラの子は生涯安泰の貴族にする」という約束は、獣人族の未来にとっても大きな希望なのだ。
「ボスの子は、絶対に強くなるんだゾ! アタシが立派に育てるんだゾ!」
「ガッハッハ! その意気だ! ヘンドリック、今後も娘を……そして俺たちの孫を頼むぞ!」
『……気が早いんだけどね。まだ産まれてもいないのに、爵位の話で盛り上がるのは獣人らしいのかな。でも、このお義父さんが毎日来るようになったら、俺の屋敷の壁がいくつあっても足りないんだけど・・・獣王をお義父さんと呼ぶ日がこようとは』
◇ ◇ ◇
その頃。新居から少し離れた、旧屋敷付近の管理区域。
そこでは、ある特殊なグループが、メイド長ベルナデッタの冷徹な指揮のもと、地獄のような早朝訓練に励んでいた。
ヘラフテンで身柄を確保され、現在は軟禁保護されている闇の商人の男。そして、かつて俺を理不尽に追放し、その後自業自得で崩壊した元パーティーの女三人。さらには彼女たちの監視役であり、闇の商人の恋人でもあるイリスだ。
「……腰が高い。やり直しです」
ベルナデッタが無表情でモップを突き出す。
「ひぃっ! もう勘弁してください! 俺はただのグレーな商人で、戦う力なんて……それに、魔王の姐さんとも懇意にしてるんですよ」
涙目で叫ぶ商人の男の前に、イリスがため息をつきながら庇うように立ち塞がった。
イリスは非常に空気が読める女だ。彼女は手の中で白と黒の石を弄んでいる。その石は、当たった対象の物理的な状態や魔力をひっくり返すという、極めて厄介な能力を秘めていた。
「ベルナデッタさん。彼、本当にただの商人なのです。真の黒幕は別にいると分かっているのですから、少し手加減してあげてはどうか」
「……無意味な気遣いは無用です。閣下を危険に晒した罪、そしてこの屋敷を汚した罪。体で贖ってもらいます。……そちらの三人も、いつまで地面に這いつくばっているのですか」
イリスのフォローも虚しく、ベルナデッタが鋭い視線を向けた先では、元パーティーの女たちが、あまりの過酷さに魂が抜けかけたような顔で倒れ込んでいた。
「……ヘンドリックを、ただのおっさんだと思って追い出したバチが当たったのね……」
「……あんな人、もう二度と逆らわないから、お願い、休ませて……」
彼女たちはイリスや魔王の手引きで保護されたものの、その先に待っていたのは、メイド長による再教育という名の修羅場だった。
「……仕方ないわ。あなたたちがきちんと自立できるようになるまで、私の監視は解かないわ」
イリスが呆れたようにため息をつき、倒れた三人と闇の商人を立たせる。
「……イリス。閣下の次のご予定は、サンネ様の誕生日です。それに備え、周囲の警備を完璧に整えてください。失敗は許されません」
ベルナデッタの言葉に、更生組の全員がびくりと肩を震わせ、必死に立ち上がった。
『……通信越しに聞こえてくるんだけど。あっち側も随分と賑やかというか、悲鳴が聞こえるのは何故?イリスたちが彼女たちの面倒を見てくれているのは助かるけれど、ベルナデッタの教育がトラウマにならないか心配だね』
◇ ◇ ◇
そして。
獣王の嵐が去り、ようやく静かになった新居の広間で、俺は次なる包囲網に直面していた。
「閣下。明日は我が娘、サンネの誕生日でございますな」
厳しい表情で俺の前に立ったのは、現在俺の家臣として仕えてくれているサンネの父、ベルンハルトだった。その後ろには、穏やかな笑みを浮かべた母メアリも控えている。
「……ああ。サンネにも、日頃の感謝を伝えたいと思っているんだよね」
「ありがたき幸せ。あの時、王女殿下より承った、我が騎士家の再興、そしてサンネの子に与えられる子爵位の約束……我ら一族、その恩義を生涯忘れません。サンネも、その覚悟はできているようです」
父ベルンハルトが、誇らしげにサンネを見た。
当のサンネは、顔を真っ赤にして鎧を鳴らしながら、激しく視線を泳がせている。
「ち、父上! 閣下の前であまりそのような……! 私は、騎士として閣下を支えるだけで……っ」
「何を言うサンネ。お前の黄金比の肢体は、次代の優秀な跡継ぎを産むための宝だ。閣下、娘を何卒よろしくお願いいたします!」
ベルンハルトが深々と頭を下げる。メアリも「サンネ、頑張るのよ」と、娘の背中を優しく押した。
『……ご両親の熱意がすごすぎて、俺の逃げ場がミクロン単位でも残っていないんだけど。ミラの時もそうだったけれど、サンネのお家再興という重すぎる使命を背負った愛に、俺がどう応えるべきか……明日も、間違いなく動けなくなりそうだよね』
俺は、期待に満ちたご両親と、恥ずかしさで爆発寸前のサンネを見比べながら、静かに胃の痛みを感じるのだった。




