第213話:ミラの誕生日と、獣人の直球すぎる愛情
王都の郊外、巨大な世界樹の根元に新設された石造りの新居には、初夏の心地よい風が吹き込んでいた。
今日は、黎明の森の特攻隊長であり、俺の大切なパーティーメンバーであるミラの誕生日だ。
ヒロインたちが強引に可決した「誕生日の者は旦那様を丸一日独占できる」という特別ルールにより、俺は朝からずっと、リビングの大きなソファで銀色の獣人の少女に密着され続けていた。
「ボス、もっと撫でるんだゾ」
「……はいはい。今日は特別だからね」
俺が彼女の頭の上の獣耳と、腰から生えたふさふさの尻尾を優しく撫でると、ミラは目を細めて喉の奥でグルグルと心地よさそうな音を鳴らした。
「……そういえば、ミラ。年齢が一つ上がって、スキルポイントが一つ増えているはずなんだ。今のうちに新しいスキルを取得しておこうか」
「スキル? アタシはそんなのより、ずっとボスにくっついていたいんだゾ」
「……いや、せっかくだから取っておこうよ。前衛で戦うミラには、『魔力回復Lv1』がいいと思うんだよね。すでに持っている魔力消費軽減と合わせれば、かなり継戦能力が上がるはずだよ」
俺がステータス画面をイメージしながら真面目にアドバイスすると、ミラは不満そうに頬を膨らませた。
「魔力回復……ボスの魔力補給がいらなくなるのは、嫌なんだゾ」
「……そうじゃなくて、魔力と一緒に体力的な回復力も上がるから、ずっと元気でいられるんだよ。戦闘中だけじゃなくて、普段から疲れにくくなるはずかな」
「! ずっと元気に、夜もずっと起きてボスと一緒にいられるんだゾ!? それにするんだゾ! すぐ取るんだゾ!」
俺の言葉を聞いた途端、ミラのシルバーの瞳がカッと見開き、彼女は一切の迷いなくスキルを取得した。
『……なんか解釈が決定的に違っている気がするけれど、まあ本人が納得したならいいかな。実際、彼女の生存率を上げるには一番のスキルだしね』
俺は深く追求することを諦め、再び彼女の銀色の髪を優しく撫で続けた。ミラは幸せそうに俺の胸に頬を擦り寄せてくるのだった。
◇ ◇ ◇
同じ頃。新居の別の部屋では、ヘンドリックとの接触を禁じられた女性陣が集まり、奇妙なお茶会――女子会が開かれていた。
大きな円卓の中心で、エリーゼが分厚い手帳を開き、羽ペンで何事かをびっしりと書き込んでいる。
「……ミラの次はサンネ、そして最後が大トリであるわたくしの番ですわね。私にとってこれまでにない、最も完璧な一日にせねばなりませんわ。分刻みのスケジュールを再確認します」
「……エリーゼ殿。あまり気合を入れすぎると、閣下が引いてしまうのではないか」
向かいの席で紅茶を飲んでいたサンネが、呆れたようにため息をついた。だが、そのサンネの頬も、微かに朱に染まっている。
「そういうサンネはどうなのです。自分の番の計画は立っているのですか」
「わ、私は騎士として、決して恥ずかしくない、節度ある一日を過ごすつもりだ。……ただ、少しだけ、閣下に髪を梳いてもらうくらいなら、許されるかもしれないが……」
サンネが両手で顔を覆いながらぶつぶつと呟いていると、上座で優雅に扇子を広げたルミナリア王女がふふっと笑った。
「お主ら、乙女じゃのう。わらわがヘンドリックに降嫁するためにも、彼には侯爵としての絶対的な箔をつけてもらわねばならん。誕生日の祝いなどという個人的な感情よりも、まずは王族との結びつきを……」
「……王女様よ。そう言いながら、さっきから脚が貧乏ゆすりみたいに震えてるぜ。本当はおっさんの横に行きたくて仕方ないんじゃねえの」
壁に寄りかかっていた魔王が、ニヤニヤと笑いながらルミナリアをからかった。
「なっ! む、無礼な! これは武者震いじゃ!」
「ふん。アタシはあんなおっさん関係ねえし。勝手にやってろっての」
魔王はそっぽを向いて鼻を鳴らしたが、耳の先は、誰よりも真っ赤に染まっていた。
一方、そんな彼女たちの会話を、お茶を淹れるためにたまたま廊下を通りかかったヘンドリックが聞いていた。
『……部屋の中から、とてつもなく重くて恐ろしい空気が漏れてきているんだけど。聞かなかったことにして通り過ぎるのが、一番長生きできる秘訣かな。それにしても、俺の胃がもつかどうか心配になってきたよ』
ヘンドリックは足音を忍ばせ、そっとその場から離脱した。
◇ ◇ ◇
そして、夜。
土の精霊たちが世界樹の魔力を引き出して作った天然の温泉には、湯気と共に夜空の月が美しく反射していた。
俺が一人で湯船に浸かり、これまでの戦いの疲れを癒やしていると、ガラリと脱衣所の扉が開いた。
「ボス、お待たせしたんだゾ」
現れたミラは、湯浴み着すら纏わず、その奇跡のようなプロポーションを隠すことなく堂々と立っていた。
「……ミラ、今日はもう一日中くっついていたから、お風呂くらいは別々でもいいと思うんだけどね」
「誕生日はまだ終わってないんだゾ! ボスの背中は、アタシが流すんだゾ」
俺のささやかな抵抗など意に介さず、ミラはざぶんと湯船に入り込み、俺の背中にぴったりと張り付いてきた。彼女の豊かな胸の感触と、獣人特有の高い体温が背中越しに伝わってくる。
「……ボス。アタシたち獣人は、小難しいことはよく分からないんだゾ」
背中を流すミラの声が、いつになく真剣で、そして熱を帯びていた。
「……アタシたちの部族にとっては、強くて、でかいのがすべてなんだゾ」
「……そうだね。それが自然の掟だからね」
俺が静かに相槌を打つと、ミラは俺の背中から離れ、正面へと回り込んできた。
湯気の中で、ミラのシルバーの瞳が、俺を真っ直ぐに射抜く。それはもう、俺の庇護を必要とする子供の目ではなく、明確に「番」を求めるメスの目だった。
「だから……アタシ、一番強くて大きなボスの、強い子種が欲しいんだゾ。アタシを、ボスの本当のお嫁さんにしてほしいんだゾ」
あまりにも直球すぎる、一切の飾り気のない愛情表現。
その言葉に、俺は完全にフリーズしてしまった。
『……ミラは、本当に真っ直ぐでごまかしがきかないんだよね。俺はずっと、パーティーメンバーとはそういう関係にならないって決めていたけれど……ここまで真っ直ぐにぶつかってこられて、逃げるのは男としてどうかと思うんだよね』
俺は、熱を帯びた呼気を吐く彼女の肩に、そっと手を置いた。
「……後悔しないかな。俺はただのおっさんで、便利屋だよ」
「しないんだゾ! アタシはボスじゃなきゃ、絶対に嫌なんだゾ!」
ミラが俺の胸に飛び込んでくる。
月明かりに照らされた温泉に、微かな水音が響いた。俺は彼女の銀色の髪を撫でながら、静かに目を閉じた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
窓から差し込む眩しい初夏の朝日が、ベッドの上を照らしていた。
俺は重い瞼をこすりながら、ゆっくりと目を覚ました。右腕には、ずっしりとした心地よい重みがある。
視線を下ろすと、そこには一枚の薄いシーツに包まり、俺の腕を抱きしめるようにして眠るミラの姿があった。
その寝顔は、昨日までのあどけない少女のそれではなく、愛する者と結ばれた女性特有の、艶やかで満ち足りた表情をしていた。
「……ん、ボス……えへへ……大好きだゾ……」
ミラが寝言を呟きながら、さらに俺の腕に頬を擦り寄せてくる。
「……おはよう、ミラ」
俺が小さな声で囁き、彼女の獣耳をそっと撫でると、ミラはゆっくりとシルバーの瞳を開いた。
「ボス……おはようだゾ。アタシ、夢じゃないんだゾ……?」
「……夢じゃないよ。よく眠れたかな」
「うんっ! アタシ、とっても幸せなんだゾ!」
ミラが満面の笑みを浮かべ、再び俺の胸に飛び込んできた。
『……随分と激しかったけれど、彼女に魔力回復のスキルを取らせたのは正解だったのか失敗だったのか、俺の腰の痛みを考えるとよく分からないんだけどね。でも、彼女がこれだけ幸せそうに笑ってくれるなら、それでよかったのかな』
俺は少しばかりの疲労感を感じながらも、腕の中の愛おしい重みを、もう一度しっかりと抱きしめ返した。
黎明の森の特攻隊長は、今日から名実ともに、俺のたった一人の大切な家族になったのだった。




