第212話:夏の足音と、エルフの逆鱗と新居建築
王都の空は、抜けるような青さに染まっていた。
石造りの街並みに照りつける日差しは、数日前とは明らかに強さを増している。湿り気を帯びた熱風が、外套の隙間を抜けて肌を撫でていった。
「……地味に暑いね」
俺が額の汗を拭いながら呟くと、隣を歩いていたエリーゼが、翡翠色の瞳を僅かに細めた。
「ええ。もう夏ですわね、旦那様。……わたくしたちハイエルフにとっては、少々過ごしにくい季節かもしれませんわ」
エリーゼはそう言いながら、普段よりも薄手の、涼しげな素材の法衣を整えた。
背後では、ミラやサンネも心なしか軽装になっている。ミラの圧倒的なスタイルや、サンネの均整の取れた肢体が強調される薄着姿に、俺は目のやり場に困って、意識的に視線を前方へと固定した。
『……季節感が急に出てきたのはいいんだけどね。彼女たちの薄着に、どう反応していいか分からないんだよね。便利屋としては、平静を装うのが一番かな』
王都の混乱が一段落し、俺たちは再建されたばかりの拠点へと移動していた。
そこで俺は、気配を殺し近くにいるはずのミニベルナデッタ(闇の精霊)から、静かに、しかし抗いようのない圧をかけられた。
「……旦那様。そろそろ、こちらの暴れん坊に別の『体』を用意していただけないでしょうか。わたくしの依代が、内側からの衝撃でもう限界です」
人形の中から「出すんじゃ! わらわも外を歩きたいんじゃ!」という土の精霊(女)の声が漏れ聞こえる。
「……分かったよ。無理をさせてごめんね」
俺は空間収納庫を開き、予備のパーツを組み合わせて新しい依代を作成することにした。
土の精霊(女)からは、事前に強烈なリクエストが入っていた。
『わらわはとにかく、一番でっかい体がいいんじゃ! あの獣人の娘のような! でも顔は、あの胸が平らなエルフの顔がいいんじゃ!』
俺は深く考えず、収納庫からミラのサイズを模したグラマラスなボディと、エリーゼの顔を模した頭部パーツを取り出し、がっちゃんこと結合させた。
「……これを使ってくれるかな」
俺が差し出したのは、エリーゼの涼しげな美貌を持ちながら、体つきだけはミラのように豊満という、奇跡のようなキメラ・ダミー人形だった。
それを見た瞬間、周囲の空気が絶対零度まで凍りついた。
「…………旦那様?」
エリーゼが、この世のものとは思えないほど美しい、しかし一切の光を宿さない笑顔で俺を見つめた。
「……わたくしの顔に、あのような無駄に大きい脂肪の塊をくっつけるなど、どのような嫌がらせですの? 旦那様は、わたくしに足りないのは『あれ』だと仰りたいのですか」
「……いや、土の精霊のオーダー通りに作っただけなんだ。なぜ俺が怒られてるのかな」
俺が冷や汗を流しながら目を逸らすと、隣でミラが「おお!」と声を上げた。
「アタシの胸のサイズが使われてるんだゾ! やっぱりボスはアタシのが一番好きなんだゾ!」
「……黙りなさい、ミラ」
エリーゼの静かな声が響く。サンネは「……私の黄金比のボディを使えば、もっとバランスの取れた人形になったものを」と、少し不満げにぼやいていた。
そんな修羅場などどこ吹く風で、土の精霊(女)は「おお! 立派なものが二つも付いておるんじゃ!」と大喜びで人形に飛び込み、カシャカシャと新しい体を動かし始めた。
◇ ◇ ◇
新しく受肉した土の精霊(エリーゼ顔・巨乳)と、王都の「ぞいの子」の初対面は、案の定、怒号から始まった。
『お主が我輩の屋敷を壊したんじゃぞい! この不届き者め!』
『なんじゃと!? お主こそ、メイドから逃げてきただけの腰抜けのくせに!』
二体の土の精霊が、世界樹の根元で激しく言い争いを始める。
だが、俺が「世界樹の周辺に新しい拠点を作ってほしいんだよね」と頼むと、二人は鼻を鳴らし合いながらも、驚くほどの連携を見せ始めた。
二人が同時に地面を叩くと、地脈のエネルギーが世界樹の魔力と混ざり合い、真っ白な石造りの新居がみるみるうちに組み上がっていく。
さらには、世界樹の根元から、魔力が溶け込んだ天然の温泉までもが湧き出した。
『……なんで仲悪いのに、息ぴったりで並んでるのかな。というか、俺が頼む前に温泉まで作ってるんだけど。土の精霊たちの基準がよく分からないなあ』
◇ ◇ ◇
新居が完成した日の夜。
翌日にミラの誕生日を控えた一行は、静かな前夜祭のような空気に包まれていた。
だが、その裏で、エリーゼの機嫌は目に見えて悪かった。
昼間の「巨乳ダミー事件」に加え、誕生日の順番が自分が最後であることに、ハイエルフとしてのプライドが傷ついていたらしい。
俺は廊下の隅で、一人で月を眺めていたエリーゼの隣に並んだ。
「……エリーゼさん。機嫌を直してほしいんだけどね。あの人形、本当に悪気はなかったんだよ」
俺が静かに声をかけると、エリーゼはぷいっと顔を背けた。
「……別に、怒ってなどおりませんわ。ただ、旦那様がわたくしの顔であのような……ふしだらな……」
「……エリーゼさんは、そのままで十分綺麗だよ。俺は、今の君が一番いいと思っているんだ。知っているだろ。完璧な機能美」
俺が本音を口にすると、エリーゼの耳がピクリと動き、僅かに赤く染まった。
「……本当ですの?」
「……嘘を言っても仕方ないよ。だから、あんまり落ち込まないでほしいんだよね」
俺が彼女の肩にそっと手を置くと、エリーゼはようやく溜息をつき、俺の腕に頭を預けてきた。
「……分かりましたわ。今回は、免じて差し上げます」
エリーゼの機嫌が回復したのを確認し、俺は次にサンネの元へと向かった。
彼女は新居の警備を理由に、一人で庭に立っていた。
「サンネ。ヘラフテンでの戦闘、本当によく頑張ってくれたね。君がいなければ、被害はもっと大きかったはずだよ」
「閣下……。私は騎士として当然のことをしたまでです」
「……それでも、俺は君に感謝しているんだよ。これはご褒美かな」
俺が彼女の頭を優しく撫でると、サンネは一瞬だけ体を強張らせたが、すぐに「……ありがとうございます」と、蕩けるような表情で目を伏せた。
最後に、不満そうにこちらを伺っていたルミナリア王女が、扇子をバサリと閉じて歩み寄ってきた。
「ヘンドリックよ。わらわにも、何かないのかえ? わらわも城を守り抜いたというのに」
「……そうだね。王女殿下も、本当に頼もしかったよ」
俺は苦笑いしながら、彼女をそっと抱きしめた。
「……これでいいかな」
「……む、無礼者め。……だが、今日だけは許してつかわす」
ルミナリアは顔を真っ赤にしながらも、俺の胸に顔を埋めて大人しくなった。
『……一人ずつのケアが、戦いより疲れるんだけど。魔王は……まあ、彼女は明日でもいいかな、どっか行っていないし』
全員の機嫌がとりあえず収まったところで、エリーゼが凛とした声で、翌日の予定を宣言した。
「……さて、明日からはミラの誕生日ですわ。黎明の森の特別ルールにより、誕生日の者は旦那様を丸一日独占できます。……他の方々は、大人しく順番を待つことですわね」
エリーゼがそう告げると、ミラが「やったんだゾ!」と歓喜の声を上げ、俺の腕に飛び込んできた。
『……明日から、さらに動けなくなりそうだよね』
俺は、夏の夜風に揺れる世界樹の葉音を聞きながら、静かに覚悟を決めるのだった。




