第208話:静まり返る都と、終わりの始まり
水の都ヘラフテンを揺るがしていた騒乱は、あまりにも唐突に、そして不可解な形で幕を閉じた。
地下通路で激戦を繰り広げていたサンネやロッテ、そして単独で敵陣を突き進んでいた魔王の報告によれば、仮面の怪人たちはある一瞬を境に、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちたのだという。
逃走した形跡も、自爆した様子もない。ただ、そこにあったはずの「意志」だけが、どこか遠くへ回収されてしまったかのような、不気味な沈黙だけが地下に広がっていた。
街の混乱が収束し、それから数日の月日が流れた。
過労と魔力枯渇で倒れていた街の治癒術師やシスターたちが、ようやく職務に復帰できるまでに回復した。彼女たちの最初の大仕事は、当然ながらこの事態の最大の功労者である二人の男を、完膚なきまでに治療することだった。
「……ヘンドリック様、大変長らくお待たせいたしました。聖教会の秘儀を以て、そのお体に残る全ての痛みを取り除きましょう」
病室に響くシスターの清らかな声と共に、温かな黄金の光が俺の全身を包み込んだ。
これまで最低限の応急処置しか受けていなかったガタガタの骨身に、高位の回復魔法が隅々まで浸透していく。無理やり繋ぎ止めていた筋肉が本来の弾力を取り戻し、濁っていた魔力回路が澄み渡っていくのが分かった。
『……やっと、まともに息ができるようになったかな。指一本動かせない生活も、コメディとしては悪くなかったけれど、やっぱり自分の足で立てないというのは、便利屋としては致命的だったんだよね』
治療が終わると、俺は数日ぶりに自分の力でベッドから起き上がった。手足に力を込めても、もう鋭い激痛が走ることはない。
そんな俺の元へ、バタンと勢いよくドアを開けて一人の男が入ってきた。
「よう、おっさん。生きてるか」
入ってきたのは、俺と同じく全身を包帯で巻かれていたはずのブラムだった。彼もまた、ロッテに伴われて高度な治療を終えたばかりらしく、顔色は以前より遥かに良くなっている。
「ブラム。君の方も、ようやく回復が終わったみたいだね」
「ああ、死ぬかと思ったぜ。身体の方はピンピンしてるが……ロッテが看病してくれてうれしかったしありがたかったんだが、恥ずかしすぎて、魔法の治療より何倍も精神力が減ったよ」
ブラムは背後のロッテに聞こえないような小声でぼやきながら、俺の隣に腰を下ろした。
「……おっさんも、相当なもてなしを受けてたみたいだな。サンネさんたちが交代でここに張り付いてたって聞いたぜ」
「……その話は、あまり掘り返さないでほしいんだよね。確かにありがたかったけれど、別の意味で命の危機を感じる瞬間が何度かあったよ」
俺とブラムは、お互いに重すぎる愛を背負わされた者同士、無言で深く頷き合った。
◇ ◇ ◇
病室の窓の外には、平和を取り戻したはずのヘラフテンの街並みが広がっている。だが、その静寂は、さらなる大きな災厄が訪れる前の嵐の前の静けさのように思えてならなかった。
「……敵の動きが止まったのは、勝ったからじゃないんだろうね」
俺がぽつりと呟くと、ブラムの表情からも冗談の色が消えた。
「ああ。やつら、何か別の準備に入っただけだ。……おっさん、次はどう動く」
「……まずは、エリーゼたちが集めてくれた情報を整理しないとね。それと、王都から届いた報告の件もある」
俺は少し間を置いた。
「……どうも、穏やかじゃない内容でね。俺たちが寝ている間に、向こうでも何かが動き始めているみたいなんだよね」
ブラムが眉をひそめる。
「王都で、何かあったのか」
「……まだ詳細は分からないんだけどね。だから早めに戻らないといけないかな」
『……嫌な予感がするんだよね。敵がここでの動きを止めたのと、王都からの不穏な連絡が、無関係とは思えないんだけどね』
俺は立ち上がり、数日ぶりに履くブーツの紐を固く結んだ。
指一本動かせなかった寝たきりの生活は、ここで終わりだ。
『……黎明の森が動き出した。次は俺が、その道筋を確かなものにする番かな』
病室の壁にかかっていた愛用の道具袋を肩にかけ、俺はブラムと共に、再建の活気に満ちた街へと足を踏み出した。
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