第202話:黎明の森の副リーダーと、託された采配
皆の驚きの視線を一身に浴びながら、俺は右隣に立つエリーゼを、真正面から見つめた。
「……エリーゼさん、頼めるかな」
エリーゼが、一瞬だけ翡翠色の瞳を大きく見開いて固まる。
「……旦那様?」
「俺が動けない間の全指揮を、副リーダーとして君に任せたいんだけどね。現場の判断も、ギルドとの交渉も、すべて君に委任するよ」
エリーゼが静かに目を閉じ、何か重いものを飲み込むように一度だけ喉を動かした。
「……本気でおっしゃっていますの。わたくしに、すべてを?」
「君が一番向いているよ。最初から、いつかこうなると確信して副リーダーをお願いしたつもりなんだけどね」
エリーゼがゆっくりと目を開ける。その瞬間、彼女の纏う空気が劇的に変化した。
それは、俺の世話を焼く献身的な恋人の顔でも、一介の冒険者の顔でもない。三百九十年という悠久の時を生き抜き、数多の興亡を見守ってきたハイエルフとしての、本来の威厳だった。
「……承りましたわ、旦那様」
エリーゼが全員を見渡す。その眼差し一つで、部屋の中の喧騒が霧散し、緊張感のある静寂が降りた。
「では、情報を整理しましょう。まずギルドマスター、行方不明者の最後の目撃場所と、これまでに判明している街の地下構造の図面をすべて出してくださいな」
ギルドマスターが、その迫力に押されるように「……ああ、すぐに用意させる」と素直に頷く。
「サンネ、あなたには行方不明者の捜索と、組織の残滓の除去を並行してお願いします。魔王は、あなたでなければ突破できない場所があるはずです。前衛として、その圧倒的な力を使ってもらいますわ」
「……分かった。おっさんがそう決めたなら、アタシもあんたの指示に従ってやるぜ」
魔王が不敵に笑い、自らの拳を鳴らす。
「アタシは?」とミラが期待に満ちた目でエリーゼを見上げる。
「旦那様のそばにいてください。敵の狙いは、動けない旦那様にあるかもしれません。なにかあった時の、最後の護衛ですわ」
「任せるんだゾ! ボスのことはアタシが絶対に守るんだゾ!」
ミラが力強く胸を張り、俺の手をぎゅっと握り締めた。
エリーゼの簡潔で的確な指示に、誰一人として異を唱える者はいなかった。彼女を筆頭に、黎明の森が、ヘンドリックという個人の力を超えた一つの組織として動き出した瞬間だった。
◇ ◇ ◇
エリーゼたちが作戦会議のために部屋を出て行き、病室には俺と、俺の手を握ったまま離さないミラだけが残った。
水の都の陽光が窓枠に落ちている。外からは、運河を行き交う船の音と、復興作業に動く人々の声が聞こえてくる。ヘラフテンは、傷だらけのまま、それでも動き続けていた。
「……ボス、本当に大丈夫なんだゾ? 本当はどこか、すごく痛いんじゃないかゾ」
ミラが心配そうに、俺の顔を覗き込んでくる。
「……大丈夫だよ。ちょっと魔力を使いすぎて、疲れているだけだからね。治癒術師の魔力が戻れば、すぐに動けるようになるよ」
ミラが俺の手を、自分の両手でそっと包み込んだ。
「……アタシ、ボスがいなくなるのが怖いんだゾ。地中に引きずり込まれたとき、もう会えないかと思ったんだゾ……」
彼女の言葉は真っ直ぐで、飾ることを知らない。だからこそ、その重みが俺の心にズシリと響く。
『……ミラは、本当に真っ直ぐだね。俺のように遠回しな言い方をしたり、本心を煙に巻いたりしない。だから、たまにこういうことを真正面から言われると、どう返せばいいか困るんだけど……』
「……いなくならないよ」
「……本当だゾ? 約束だゾ?」
「……うん。約束するよ」
俺がそう告げると、ミラはようやく安堵したように、少しだけ力を込めて俺の手を握り返した。
窓の外からは、エリーゼの凛とした声が響き、クランメンバーたちが迅速に動き出す気配が伝わってくる。
『……黎明の森は、もう動き出しているんだね。俺が指一本動かせない間も、彼女たちは自分の足で立ち、世界を守ろうとしている。少し寂しいけれど、それ以上に、誇らしいかな』
その時、部屋の隅の影が不自然に揺らぎ、俺だけに聞こえる細い声が響いた。
「……旦那様。王都から連絡が届いています」
闇の精霊が、すっと俺の枕元に現れる。
「……ルミナリアからかな」
「……はい。闇の商人が解読を終えた、組織の内部文書についてです。黒幕へと繋がる手がかりが、一つ見えてきたようです」
俺は、天井を見つめたまま静かに目を細めた。
『……動き出したね。俺が寝ている間にも、世界は着実に動き続けているんだよね』
「……分かった。その情報をエリーゼさんに伝えておいて。これからは、彼女が判断する」
「……承知しました」
闇の精霊が再び影の中へと消えていく。
「……ボス、また難しい顔してるんだゾ」
ミラが俺の表情の変化を見逃さず、不思議そうに首を傾げた。
「……そうかな。少しだけ、これからのことをね」
「うん。でも、エリーゼたちがいるんだゾ。ボスは安心して寝てていいんだゾ!」
ミラが屈託のない笑顔で笑い、俺の胸元に顔を寄せる。
『……ミラ、君は本当に真っ直ぐだね。その純粋さに、今は少しだけ甘えても、悪くないかな……』
俺は、彼女の温もりを感じながら、次の一手のために深く、深い休息へと意識を委ねることにした。




