第201話:動けない便利屋と、絶対安静の包囲網
水の都ヘラフテンの朝の陽光が、病室の窓から静かに差し込んでいた。
ベッドの上には、指一本動かせない俺と、その両脇にぴったりと寄り添うエリーゼとサンネがいる。二人ともネグリジェ姿で、布団が肌をかろうじて覆っている。昨夜の添い寝じゃんけんの結果だ。
そのベッドの傍らに、すでにギルドマスターと受付嬢が立っていた。
部屋の隅では、じゃんけんに負けたミラが椅子の上で丸くなって寝落ちしており、窓際には魔王が腕を組んだまま椅子に深く沈んでいびきをかいている。二人とも悔しくて部屋を出られなかったのだろう。負けてもここにいるあたり、素直じゃないんだけど、彼女たちらしいな、と俺は思った。
「……で、街の被害状況だが」
ギルドマスターが苦い表情のまま、淡々と続ける。この状況に今更驚く様子もない。長年冒険者を束ねてきた男の、ある種の達観だろうか。
受付嬢はといえば、布団から微かに見えるエリーゼとサンネのネグリジェの裾に目を丸くしながら、必死に視線を書類へと戻している。
エリーゼは目を覚ましていたが、布団から出るつもりは微塵もなさそうだった。むしろ俺の腕にさらに力を込めながら、完璧に澄ました顔でギルドマスターを見ている。
「……続きをどうぞ、ギルドマスター。聞いておりますわ」
サンネは半分だけ目を開けた状態で、俺の肩口に顔を埋めたまま動かない。
「……閣下の体温が、最高に心地よいのです……もう少しだけ……」
『……この状況でギルドマスターが報告しているとか。二人とも起きる気が全くないんだけど。まあ、俺も動けないんだよな』
ギルドマスターが一度だけ咳払いをして、話を続けた。
「……正直に言って、想定より遥かに深刻だ。お前たちが仮面の怪人を制圧した裏で、複数の住民が行方不明になっている。一部は下水道の奥で保護できたが、まだ二十人近い住民の足取りがつかめていない」
「……組織は、まだ動いているんだね」
「ああ。しかも厄介なことに、街の治癒術師やシスターたちは今、全員が魔力枯渇で動けない。住民数百人の怪我の治療を優先したせいで、お前とブラムへの回復魔法も最低限しかかけられなかったのが現状だ。つまり、今のヘラフテンには……」
「……ヒーラーがいない、ということだね」
俺がその先を引き取ると、ギルドマスターが重く頷いた。
「ここヘラフテンだけの問題じゃなくなってきた。街道沿いの複数の街から、似たような報告が来始めている。やつら、根を張る速度が異常だ」
ギルドマスターの報告を聞きながら、俺は意識の奥で情報を整理し始める。
『……想像以上に広がっているようだ。俺が一か所を力業で潰したところで、組織は別の場所で同じことを淡々と繰り返している。そして今、街の回復魔法使いは全員が魔力切れ。治癒術師なしでは、俺もブラムも当面は動けない。最悪のタイミングで、最悪の状況が重なってる』
「……俺は今、からだが動かない。治癒術師がいない以上、しばらくこのままだよ」
「分かってる。だからこそ聞きに来たんだ」
ギルドマスターが、ベッドに横たわる俺を真っ直ぐに射抜くような目で見つめた。
「お前のクラン――黎明の森は、動けるか。この街を、そして周辺の安全を、お前抜きで守り抜く覚悟があるかを聞きたい」
その言葉が届いたのか、部屋の隅でガタッと音がした。
「……ん、んぅ……ボス、声がするんだゾ……」
ミラが椅子の上でもぞもぞと目を覚まし、寝ぼけ眼で辺りを見渡す。
窓際では魔王がゆっくりと瞼を開け、腕を組んだまま一度だけ大きく息を吐いた。
「……ギルドマスターか。朝から賑やかだな」
二人がそれぞれ伸びをしながら意識を取り戻したところで、ギルドマスターが苦笑した。
「全員ここにいたのか……まあ、それでいい。聞いておいてくれ」
◇ ◇ ◇
ギルドマスターの言葉に、俺の体内のどこかに残っていた「便利屋」としての本能が火を灯した。
動かないと。俺が動かなければ、被害は広がるばかりだ。
その一心で、俺はガタガタになった上半身を無理やり起こそうとした。
だが、その瞬間、四方八方から容赦のない圧力が俺をベッドへと押し戻した。
「……動かないでくださいな、旦那様」
エリーゼが、氷のように冷たく、けれど慈愛に満ちた笑顔のまま俺の右肩を力強く押さえる。
「閣下、今は絶対安静です。騎士の命令だと思って、大人しくしていてください」
サンネが両腕をベッドの枠に固定するように抑え込み、その鋭い眼光で俺の逃げ道を塞ぐ。
「ボスが動いたらダメなんだゾ! まだ体がボロボロなんだゾ!」
ミラが俺の足を抱え込むようにして全体重を預け、必死の形相で動くことを禁じている。
「おっさん、アタシが許可するまで起きるなよ。これ以上無理をするなら、アタシが力ずくで気絶させてやるぜ」
魔王が腕を組んでベッドの足元に立ちはだかり、その圧倒的な魔力の余波で俺を威圧する。
ギルドマスターが、その光景を呆れたような、けれどどこか羨ましそうな顔で眺めている。
「……これは、俺が引き剥がそうとしても無理だな。首が飛んでも動けないとは、このことか」
受付嬢もまた、頬を赤らめながら「まあ……なんて素敵な主従愛なのでしょうか」と場違いな感嘆の声を漏らしている。
『……見事に四人に物理的に押さえ込まれているんだけど。確かに指一本動かせない。治癒術師もいない。俺自身の魔力回復だって、まだいつ戻るか分からない。でも……黎明の森は俺だけじゃないってことなんだよな』
「……分かったよ。俺は動かない」
全員が一斉に「え?」と拍子抜けしたような声を上げた。




