第192話:見えざる敵と、地底への引き金
俺が放った広域の土木建築スキルによって、数百人規模の暴徒たちは一人残らず大地に縫い付けられた。
先ほどまでの怒号と剣戟の音が嘘のように鳴り潜め、街の入り口には奇妙な静寂が降り降りている。ボロボロになった教え子たちが、地面に拘束された顔見知りの住民たちの元へ駆け寄り、慎重にその不気味な仮面を剥ぎ取る作業を進めていた。
だが、現場はまだ完全な安全が確保されたわけではなく、混沌とした空気が色濃く漂っている。
「みんな、周囲を警戒して。以前のパターンだと、絶対にすぐ近くにいるはずだからね」
俺が静かに声をかけると、散開していた仲間たちは一斉に武器を構え直し、鋭い視線を周囲へと巡らせた。
風が吹き抜ける荒野。城壁の影。打ち捨てられた荷馬車の裏。どこを見渡しても、それらしき人影や魔物の姿はまったく見当たらない。
「なんもいねえぜ? おっさん、マジでいるのか」
魔王が大剣を肩に担ぎながら、いぶかしげに首を傾げて尋ねてくる。圧倒的な魔力探知能力を持つ彼女が、完全に気を消している空間に違和感を覚えているようだ。
「魔王、あんたならわかるだろう? あなたの時だって、すぐ近くに潜んでいたじゃないか。尤もあれは、拘束された魔王をインキュバスに支配させて、それをさらに何者かが遠隔で指示を出していたんだからね。今回だって、これだけの人数を操っているんだ、術者か中継役が絶対近くにいるはずなんだよ」
「そう言われても、アタシの探知には塵ほどの魔力も引っかからないぜ」
魔王が舌打ちをし、目を細めてさらに遠くの空間を睨みつける。
「騎士としての私の直感にも、まったく何も引っかかりませんわ」
サンネが愛剣の柄を強く握りしめ、周囲の僅かな影の揺らぎすら見逃すまいと身構えている。だが、彼女の黄金比の体が微かに強張っているのは、見えない敵への焦りからだろう。
「うう……ダメなんだゾ。血の臭いと汗の臭いが強すぎて、アタシの鼻も全然利かないんだゾ……」
ミラも悔しそうにふさふさの獣耳を伏せ、己の嗅覚が機能しない状況に苛立ちを見せている。
「私も何も感じませんわ。旦那様、本当にいるのでしょうか」
エリーゼも不思議そうに首を傾げ、俺の背中にそっと寄り添ってきた。
ヒロインたちだけでなく、俺自身の広域魔力感知にも、敵の姿はおろか微弱な魔力の波長さえまったく映っていない。まるで、この空間に最初から俺たちと住民しか存在していないかのような、完璧な隠蔽だった。
『これだけ探って誰も気づかないなんて、どう考えても異常だよ。でも、絶対いる。幾多の死線を潜り抜けてきた戦場での俺のカンが、間違いなく何かが潜んでいると告げているんだ。ここで気を抜いたら、絶対に足元をすくわれるんだけどね……』
俺は内心で嫌な汗を流しながらも、決して警戒を解かず、周囲の空気を探り続けた。
「ブラム君、どう思う? 私ではわからないのよね」
ロッテが双剣を逆手に構え、背中合わせに立つブラムに小声で尋ねた。普段は冷静で身のこなしの軽い彼女の声にも、見えない敵への緊張感と不安がハッキリと滲んでいる。
「いや、さっぱりわかんねえ。だが、おっさんがああ言うんだ、間違いなくいるぜ! くそっ、コソコソ隠れて一般人を操るような卑怯な真似しやがって! 一体どこに居やがるんだ」
ブラムが苛立ちと怒りに任せ、持っていた身の丈ほどもある大剣を、足元の地面に向かって力任せに突き刺した。
ただの八つ当たりの一撃。だが、その直後だった。
ズブッ、という土を穿つ重い音に混じって、信じられない音が響き渡った。
「――ぐげっ」
地面の下から、何かが潰れたような、あるいは肺の空気を強制的に吐き出させられたような奇妙な悲鳴が響き渡ったのだ。
「うわ! なんだ」
ブラムが驚いて大剣から手を離し、反射的に飛び退こうとした。
だが、遅かった。
悲鳴の主――それは、たまたまブラムの足元の地中深くに潜伏し、まさに今、彼を地中へと引きずり込もうと浮上してきていた敵そのものだったのだ。
ブラムの剣が偶然その頭上か肩口に突き刺さり、悲鳴を上げさせた。しかし、敵の狙いはすでに完了していた。
ズボォォォッ、という不気味な音と共に、ブラムの足元の硬い土が、一瞬にして底なしの沼のような泥へと変貌した。
「うおわぁぁっ」
ブラムがバランスを崩し、見えない泥の渦に足を飲み込まれる。
姿なき地底の敵が、ついにその牙を剥いた瞬間だった。




