第189話:微乳同盟の暗躍と、水の都への出陣
朝食の席で繰り広げられたヒロインたちの謎のマウント合戦は、執務室に移動してもなお収まる気配がなかった。
「違うんだゾ! 獣人は胸が大きいほど強いんだゾ! だからアタシが一番なんだゾ」
ミラがふさふさの尻尾を振り回し、自分の豊かな胸を張って主張する。
「……お、おいヘンドリック。アタシの芸術的なスタイル、そんなに良かったか……?」
魔王までもが、もじもじと指を絡ませながら上目遣いで聞いてくる。
「ち、違いますわ! ヘンドリック様は私の『黄金比』が素晴らしいと……っ」
サンネが顔を真っ赤にしながら一歩前に出た、その時だった。
「……皆、まだ分かっておらぬようじゃな」
それまで静観していたルミナリア王女が、ふっとあざとい笑みを浮かべて口を開いた。
「昨晩、ヘンドリックは確かに申しておったではないか。『王女殿下の気品が加わり、ここは天国か』と。……余とエリーゼは、ずっと前から知っておったぞ。こやつが、あのような無駄な大きさなどよりも、『気品』や『癒やし』といった控えめなものを何より好むという、真の性癖をな」
「なっ……!?」
「そ、そんな……っ」
サンネと魔王が息を呑むが、彼女たちも決して負けてはいない。
「旦那様の好みがどうであれ、私の黄金比が至高であることに変わりはありませんわっ」
「ア、アタシだって……その、これからもっと魅力的に……っ」
「大きい方がいいに決まってるんだゾ」
必死に張り合う三人を見ながら、王女とエリーゼが一瞬だけ視線を交わし、ニヤリと黒い笑みを浮かべた。二人はアイコンタクトだけで、完全な勝利を確信していた。
「ほら……旦那様。いつでも癒やして差し上げますわよ」
エリーゼが甘い声を出しながら、俺の腕にぎゅっと抱きついてきた。
『びくっ!』
腕に押し当てられた、控えめだが確かな柔らかさと、彼女から漂う甘い香りに、俺の体は無意識に反応してしまった。サンネやミラの時は困惑するだけだったのに、だ。
その瞬間、俺を見上げたエリーゼの瞳の奥に、「やはり旦那様はこれが一番お好きなのですね」という揺るぎない確信の光が宿ったのを、俺は見逃さなかった。
ヒロインたちの中では控えめなサイズであるこの二人は、密かに結託した恐るべき『微乳同盟』だったのだ。二人の完璧な連携とあざとさに、執務室の空気は完全に腹黒コンビに支配されてしまった。
「閣下、ついに無意識下での広域魅了魔法を完成させたのですね。素晴らしい」
書類を抱えたシリルが眼鏡を光らせながらトンチンカンな感心をしている。
「ああっ……ここは天国ですかぁ……イリス様ぁ……もっと私を洗浄してぇ……」
さらにその後ろでは、イリスに一晩で完全に骨抜きにされ、すっかり尻に敷かれてしまった闇の商人が、だらしない笑みを浮かべて虚空を見つめていた。
俺が重いため息をついた、まさにその瞬間だった。
バンッ、と執務室の扉が勢いよく開け放たれた。
「ヘンドリック様! た、大変です」
そこに立っていたのは、今日の午前中に出直してくる予定だったギルドの専属受付嬢だった。いつもは冷静な彼女が、血相を変えている。
「どうした、受付嬢。一体何が起きている」
「王都のギルド本部へ、緊急用の魔道具から直接通信が入ったんです! 水の都……きゃあっ!?」
緊迫した報告の最中だった。開いた扉の隙間から、俺を模したダミー人形が猛スピードで滑り込んできたかと思うと、あろうことか息を切らす受付嬢のスカートを「ベロン!」と勢いよくめくり上げたのだ。
だが、その直後だった。俺の体に潜んでいた闇の精霊が瞬時に飛び出し、土の精霊が宿るダミー人形へと直接憑依してコントロールを奪い取ったのだ。
『この大馬鹿者が! 空気を読みなさい』
ダミー人形(中身は闇の精霊)が自らの手で自分の頭をバコンッと容赦なく殴り飛ばし、土の精霊を厳しく叱り飛ばす。
『なんだよ! ちょっと挨拶しただけだろ!』とダミー人形の中で土の精霊が騒いでいる気配がしたが、この緊急事態に、変態精霊の暴走と内ゲバにツッコミを入れる者など誰もいなかった。全員が完全にスルーである。
「……それで。水の都がどうしたって?」
俺が何事もなかったかのように続きを促すと、受付嬢も必死にスカートを押さえながら報告を再開した。
「み、水の都ヘラフテンです! 大規模な襲撃を受けており、解決にはヘンドリック様の助力が必要不可欠とのことです」
「……ヘラフテンだと!?」
俺は思わず立ち上がった。
水の都ヘラフテン。そこは俺が長年拠点として活動していた街であり、サンネやロッテ、ブラムにとっても深い思い入れのある大切な場所だ。
「大至急、アイテム庫からありったけの回復薬と結界石をかき集めろ! 準備ができ次第、すぐに出発するぞ」
俺は侯爵の顔を捨て、歴戦の冒険者としての命令口調で怒鳴った。
「は、はいっ」
「急ぐんだゾ」
サンネとミラが即座に反応し、エリーゼも先ほどの勝利の余韻をピタリと消し、真剣な表情で部屋を飛び出していく。
「ヘンドリックのおっさん! 俺たちも行くぜ」
騒ぎを聞きつけたロッテとブラムも飛び込んできて、すぐさま準備に走り出した。
仲間たちが慌ただしく動き出す中、ルミナリア王女がいつの間にか執務室からスッと姿を消していることに気づいたが、今は気にかけている余裕はない。
俺は残った受付嬢から、ヘラフテンの現在の状況や襲撃の規模について、できるだけ詳細な情報を聞き出していた。
それからしばらくして、足早に執務室へ戻ってきた王女が、ふっと頼もしい笑みを浮かべて口を開いた。
「案ずるな、ヘンドリック。すでに余の伝手で、頼りになる助っ人を呼んでおいたぞ」
「お久しぶりですわね、ヘンドリック様」
王女の背後から上品な声と共に現れたのは、公爵の妹であるカトリーヌと、その夫のロバートだった。
「カトリーヌ様にロバート殿……どうしてここに」
「ルミナリア殿下から緊急の報せを受けまして。兄のコネをフル活用して、王都の防衛や物資の手配はあらかた済ませてきましたわ。後のことは、すべて私たちに任せてもらって構いません。ねえ、ベルナデッタ」
「はい、カトリーヌ様。旦那様が不在の間、この屋敷は私たちが必ずお守りいたします」
かつてカトリーヌの紹介でこの屋敷にやってきたメイド長のベルナデッタが、深く頭を下げた。
「そういうことだ。ルミナリア王女殿下、イリス、そして商人にはここに残ってもらう。あの三人の女もだ」
俺がそう告げると、シリルが目を細めた。
「閣下、戦力は多い方がよろしいのでは。なぜ王女殿下たちを残すのです」
「……懸念事項がある。『黒蠍』の連中のことだ。ヘラフテンへの襲撃が、王都を手薄にするための陽動である可能性も捨てきれない。だからシリル、お前もカトリーヌ様たちと協力して妹の安全を最優先で確保しろ。ルークとアイシャには、絶対に妹から離れるなと伝えろ」
「……承知いたしました、閣下」
「おっさん、アタシも行くぜ。出し惜しみしてる場合じゃねえだろ」
準備を終えた魔王が、圧倒的な覇気を纏って声をかけてくる。
「ああ、頼む。……移動は『魔導車』を使う。俺の魔力を全力で注ぎ込んでかっ飛ばすぞ。振り落とされるなよ」
普段はのんびりと安全運転で走らせていた魔導車だが、今日ばかりは別だ。俺はかつての仲間たちが待つ水の都を救うため、魔導車のハンドルを握り、アクセルを限界まで踏み込んだ。




