第188話:見事な黄金比と、すれ違う翌朝
大浴場へと足を踏み入れた瞬間、俺は己の過ちに気づいた。
『……いや、無理だろこれ』
湯気越しに見えるのは、隠す気など全くない魔王のダイナマイトな肢体、自信満々に胸を張るサンネの引き締まった体、尻尾をご機嫌に揺らすミラの姿、そして微笑みながらこちらを見つめるエリーゼとルミナリア王女だ。
俺は中身がれっきとした大人の男である。目のやり場に困るどころか、直視すれば理性が吹き飛びかねない。
どうやってこの場をやり過ごすか。見えない闇の精霊に頼んでこっそり目隠しでもしてもらおうかと考えたが、すぐに別の妙案を思いついた。
『闇の精霊、聞こえるか。……お前に体のコントロールを一時的に預ける。俺は意識を手放すから、上手くやり過ごしてくれ』
『……複雑ですが、承知いたしました』
闇の精霊からの返答には、どこか呆れたような響きがあった。
実は最近知ったのだが、この空気が読める闇の精霊は、密かに「自分自身の物理的な体が欲しい」と望んでいるらしい。もし手に入るなら、あのスタイル抜群のメイド長、ベルナデッタを小さくしたような体が理想だ……などと野望を抱いているようだが、今は俺の体に憑依し、完璧に立ち回ってくれるはずだ。
俺は「ふむ! よきにはからえ!」と内心でガッツポーズを決め、安心しきって意識を深い闇の中へと沈めた。
……しかし、俺は大きな勘違いをしていた。
闇の精霊が『空気を読む』というのは、つまり『俺の深層心理や性癖を完全に把握して、ありのままを代行する』ということだったのだ。
「ふふっ、ヘンドリック様。私のこの完璧なプロポーション、いかがですか」
最初に動いたのはサンネだった。彼女は自身のスタイルに絶対の自信を持っている。両手で濡れた髪をかき上げながら、自信に満ちた笑みを浮かべて俺の前に立った。
それに対し、俺の体(中身は闇の精霊)は、まるで高名な芸術品を鑑定するような真剣な眼差しで深く頷いた。
「素晴らしい。あなたは見事な黄金比で、ものすごくバランスが良いですね。引き締まった中にある柔らかな曲線がたまりません」
「ほ、黄金比……っ! ええ、も、もちろん計算通りですわっ」
余裕たっぷりだったサンネも、予想外のストレートなガチ褒めに顔から火を噴きそうな勢いで硬直した。
「おいヘンドリック! どうだ、サンネもいいが、アタシの見事な体もすごいだろ? ほれほれ、遠慮せず見ていいんだぜ」
サンネの反応を見て、魔王が対抗するように湯船の中で立ち上がり、惜しげもなくその豊かな胸を張った。サンネをさらに上回る、圧倒的なボリュームだ。
「ええ、実に見事なスタイルです。圧倒的な質量の中にも無駄がなく、まさに芸術的ですね」
「……え? ま、マジ?」
豪快に笑っていた魔王がピタッと止まり、顔を真っ赤にして湯船の底までブクブクと沈んでいった。実は彼女、ああ見えて相当な初心なのだ。
「ボス! アタシはどうなんだゾ!」
魔王の横からミラが身を乗り出してくると、俺(闇の精霊)は彼女の見事に育った胸元をじっと見つめた。ヒロインたちのヒエラルキーにおいて、ミラのそれは魔王すら凌ぐ圧倒的なトップである。
「素晴らしい! あなたのそれは、獣人族でも一二を争う大きさなんじゃないですか? 力強さと柔らかさの共存です」
「えへへ……っ! 獣人は胸が大きいほど強いんだゾ! ボスに褒められたの、一番嬉しい」
ミラは得意げに胸を張り、ふさふさの尻尾をブンブンと振った。胸の大きさが一番大事だと信じている彼女にとって、これ以上の賛辞はない。
「なんじゃおかしいぞ? 今日のヘンドリックは、やけに素直というか、雄弁というか……」
王女が胡乱な目を向けてくるが、俺(闇の精霊)の鑑定眼は止まらない。
「流石は王女殿下ですね。この素晴らしいプロポーションに、気品まで加わっている。ここは天国ですか?」
「なっ……! そ、そなた、いきなり何を言い出すのじゃ……っ」
王女までがパニックに陥り、湯船の中で後ずさった。
そんな様子を少し離れて見ていたエリーゼが、首を傾げる。ヒロインたちの中では最も控えめなサイズの彼女だが、俺(闇の精霊)は優しく微笑みかけた。
「エリーゼ……。あなたを見ていると、本当に癒やされます。知っているでしょう、私の好みを?」
「……っ」
普段なら絶対に言わないストレートな賞賛。エリーゼは違和感を覚えつつも、その言葉の破壊力に完全に撃ち抜かれ、頬を薔薇色に染めて両手で顔を覆った。
こうして、意識を手放して安心しきっていた俺の体は、限界まで赤面したヒロインたちに囲まれ、もみくちゃにされるというカオスな夜を過ごすことになったのだった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
ぐっすりと眠ってスッキリと目覚めた俺は、食堂へと向かった。
しかし、ヒロインたちの様子がどうもおかしい。
「おはよう、みんな。……って、どうしたんだ?」
俺が声をかけた瞬間、魔王は「ひゃうっ!?」と変な声を上げて目を逸らし、サンネと王女は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
エリーゼに至っては、なぜか勝者のような笑みを浮かべながら、俺の顔を見てモジモジしている。
しかも、よくよく耳を澄ますと、彼女たちの間で「黄金比が一番に決まっていますわ」「いえ、私の癒やしこそが至高です」「強さの証明なんだゾ!」と、謎の小声のマウント合戦が繰り広げられていた。
『おーい、闇の精霊。俺の意識がない間、何があったのかな?』
『……いえ、特に大したことは』
心の中で問いかけると、闇の精霊からはすっとぼけた返事が返ってきた。
『そう? でもなんか皆、変なんだよな……』
俺は首を傾げながら、なぜか異常に距離を詰めてくるミラとエリーゼに挟まれ、居心地の悪い朝食の時間を過ごすのだった。




