第187話:凍結からの解凍、増設された貸し切り風呂と帰還した監視役
侯爵邸に到着すると、屋敷はすっかり元の美しい姿を取り戻していた。
俺たちが不在の間に、メイド長のベルナデッタとその夫アルフォンスが、手際よく屋敷の『解凍作業』を終わらせてくれていたのだ。
「おお、見事に元通りになってるな! さすがベルナデッタたちだぜ」
魔王が感心したように腕を組んで頷く。
「ええ、本当に助かりましたわ。……あの時は、私が少しばかり取り乱してしまいましたから」
エリーゼが頬を赤らめ、気まずそうに視線を彷徨わせた。
……あの時は、本当に大変だったんだよな。
事の始まりは、ベルナデッタさんが最初の被害者になったことだった。俺を模したダミー人形に宿って実体化した『土の精霊』が、屋敷の女性陣のスカートを次々とベロンとめくり始めたのだ。
……だから俺は、精霊なんて使役したくなかったって言うのにさ!
イリスは三度目の被害で精霊をダミー人形ごと軒先に吊るし延々と大車輪させ、王女は自動防衛のロイヤルガードが発動し、禁断の逆三角形はおろか絶対領域さえ拝めない鉄壁ぶりを見せつけた。
魔王に至っては「減るもんじゃねえ、もっと見るか?」と豪快に笑い飛ばしていた。そもそも彼女は、街中を水着やボディコン姿で平気でうろつくような女傑なのだから当然かもしれない。
サンネは騎士の分厚い装備という物理的な防御によって被害を免れた。
ちなみに、ミラもスカートをめくられたこと自体に気づいていなかったのだが、彼女の時は実体を持たない『闇の精霊』がサッと見えないように隠してカバーしてくれていた。
この空気が読める闇の精霊、どうやら土の精霊よりも先に、いつの間にか俺が使役していたらしい。全く知らなかったのだが、空気が読める子なので、自分から出しゃばらずにひっそりと隠れていたようだ。大活躍だよな、本当に。
そして最大の被害者であり、屋敷が凍りついた元凶がエリーゼだった。
あの時、少し取り乱していたエリーゼを落ち着かせようと、俺は彼女を抱きしめて額にそっとキスをしてあげた。決していい雰囲気だったとか、そういう下心があったわけじゃない。
だが、その直後だった。
空気を全く読まないダミー人形が突撃してきて、ベルトを外してワンピース姿でくつろいでいた彼女の胸元まで、一気にめくり上げてしまったのだ。
不運にも俺は特等席にいたため、彼女の下着姿をガン見してしまった。……誰にも言わない彼女だけの秘密だが、実は大好きな俺に見られたこと自体には、内心激しく歓喜していたらしい。
しかし、直後に羞恥と怒りの限界を突破し『絶対零度』を放ち、屋敷全体をカチコチに凍らせてしまったのだ。
……という凄まじい事件の事後処理を、ベルナデッタ夫婦が見事に片付けてくれていたというわけだ。
俺は気を取り直し、広場での騒動で得た大量のドロップアイテムや素材の処理に取り掛かった。
ギルドに連絡をして、わざわざ専属の受付嬢に屋敷まで来てもらって査定と買取をお願いしたのだ。侯爵という立場になったとはいえ、こうして向こうから出向いてくれるのは本当にありがたい。
「ふぅ、これで一安心なんだゾ。アタシ、もうお腹ぺっこぺこなんだゾ!」
ミラがふさふさの尻尾を振りながら、俺の服の裾を引っ張る。
「ミラ、まずは汚れを落とすのが先です。……ヘンドリック様、少しお疲れのようですね。私が肩を揉みましょうか」
「ずるいですわサンネさん! 旦那様の癒やしは私の役目です」
サンネが控えめに気遣いを見せると、すかさずエリーゼが牽制に入った。
「お前ら抜け駆けはずるいぞ! アタシにも揉ませろ!」
そこに魔王まで乱入し、俺の周りは一気に騒がしくなる。
そんな賑やかなやり取りをしていると、公務で屋敷を離れていた王女が帰還した。
「なんじゃそなたら、ずいぶん汚れておるではないか。……よし、皆で風呂に参ろう!」
王女の鶴の一声で、屋敷中が本格的な風呂モードに突入した。
……のだが、いつの間にかこの侯爵邸、俺の知らないうちに貸し切り風呂が四つも増設されていたらしい。
「じゃ、俺たちはこっちで!」
ロッテとブラムは、さっそく一つの貸し切り風呂へと連れ立って消えていった。
「では、わたくしも商人殿の『洗浄』に向かいます」
「えっ? いや? マジで? いやいやいや……これ何の罠ですか!? え? ちょっ! ええええっ」
イリスが淡々とした表情のまま、闇の商人の首根っこを掴み、別の貸し切り風呂へとズルズルと引きずっていく。
商人の断末魔のような悲鳴が廊下に響き渡ったが、誰も助けようとはしなかった。南無。
そして残されたのは、俺と、王女、エリーゼ、サンネ、ミラの五人。
そこに、豪快な足音が近づいてきた。
「おお! アタシも入るぜ! さあ行こうぜ」
満面の笑みを浮かべた魔王が、俺の背中をバンバンと叩く。
『……うーん、なんだか強烈な既視感があるんだけど』
俺はデジャヴを感じて遠い目をしたが、ヒロインたちの期待に満ちた視線からは逃げられそうにない。
俺は腹を括り、賑やかすぎるメンバーと共に巨大な大浴場へと足を向けるのだった。
そして、俺たちが大浴場へと向かった直後。
「ベルナデッタ、閣下は戻っておいでですか」
屋敷の入り口から、知的な響きを持つ声が聞こえてきた。眼鏡をかけ、大量の書類を抱えた青年……魔術師ギルド随一のエリートにして、侯爵邸の補佐官兼監視役であるシリル・アークライトだ。
「ええ、シリル様。ちょうどお戻りになられたところです。魔術師ギルドでの独自調査、お疲れ様でした」
「最近の情勢について、裏を取っておく必要がありましたので。それにしても、またずいぶんと屋敷の修繕費がかさみそうですね……」
シリルが遠い目をしながら、抱えた書類の束を押し上げる。当初は冷徹な監視者だった彼だが、最近では俺の規格外の魔力を使った生体実験に熱中し、「閣下、次はこれに全力で魔力を……」と目を輝かせるマッドな一面を見せるようになっていた。
だが、彼が予算管理も担当しているため、魔王や獣王が屋敷を破壊するたびに白目を剥いている苦労人でもある。
「それで、閣下はどちらに? 新たな実験のプランをご提案したいのですが」
「閣下は皆様と共に、先ほど大浴場へ向かわれましたよ」
ベルナデッタが微笑みながら答えると、シリルは軽くため息をついた。
「仕方ありませんね。では私も、汚れを落とすために空いている貸し切り風呂を一つ使わせていただくとしましょう」
シリルもまた、静かに三つ目の貸し切り風呂へと消えていった。




