第185話:腕を組むことの意味
『黒蠍』という言葉が広場に重く響き渡る中、俺は冷静に現状を分析していた。
『情報が足りなさすぎる。スラム街の奥深くというだけで、敵の規模も、正確な拠点の場所も分からない現状で挑むのは無謀すぎる』
ここで一気にカチ込むのは下策だ。まずは侯爵邸に戻り、確実な情報を集めるのが先決だろう。
俺が撤退の判断を下そうとした時、イリスがスッと商人の方へ歩み寄った。
「よくやりましたね、商人殿。見事な鑑定でした」
「ひぇっ!? あ、は、はい…………」
商人は自分に投げかけられた労いの言葉の意味が全く理解できないらしく、激しく動揺している。
だが、イリスはそんな商人を気にする様子もなく、今度は少し離れた場所で控えていた『三人の女たち』へと視線を向けた。
かつて俺を追放した、元トップランカーのパーティメンバーたち。仮面の組織に心を折られ、俺が助け出した後、現在はイリスの徹底的な『管理(再教育)』の下に置かれている三人だ。
「あなたたちも、よく見ておくことです。……わたくしが徹底的に管理し、導けば、どれほど臆病な者でもこれだけの働きができるのです」
「…………」
イリスの言葉に、三人が何とも言えない微妙な顔で沈黙する。
「ちゃんとできれば、このような扱いになるのですよ。あなたたちは元トップランカーだったのですから、教えた通りに動かせば必ず結果を出せるはずです。……今後の成長が、とても楽しみですね」
冷徹なメイドの顔に、わずかに満足げな笑みが浮かんだ。
まるで優秀な猟犬を育成するブリーダーのような発言だが、当の商人は自分が褒められていることすら気づいていない。一方の三人娘は、イリスの管理の恐ろしさを身をもって知っているため、商人を同情の目で見ていた。
「さあ、侯爵邸へ戻りますよ。行きましょうか」
そう言うと、イリスは驚くべき行動に出た。
すっ、と商人の隣に並び、その腕を自分の腕に絡ませたのだ。
「ひぃぃぃぃぃっ!?」
商人の顔が、恐怖で完全に土気色になった。
はたから見れば、美女が腕を組んでエスコートしている羨ましい光景だ。しかし、商人の目には全く違って見えていたらしい。
『連行される!? 私、このまま地下牢かどこかに連行されて、一生出られないのでは!?』
声にならない悲鳴を上げながら、商人はガチガチに硬直したまま、イリスにズルズルと引きずられて歩き始めた。
そのカオスな光景を見送りながら、ロッテが恋人であるブラムの袖をツンツンと引っ張る。
「ねえブラム。あれって、新しいカップルの誕生ってことでいいのかしら」
だが、戦闘狂のブラムは全く別のことで頭がいっぱいだった。
「ふざけんな! 俺、今日一回も剣振ってねえ!!」
ブラムが血の涙を流さんばかりの勢いで、地面を蹴り飛ばした。
「遊撃隊の出番どこだよ! アタシの獲物だゾとか言ってミラさんが全部持っていきやがって! 俺だって活躍したかったのに!!」
「……やっぱりブラム君って、たまに本当に残念よね」
呆れたようにため息をつくロッテ。
俺はそんな大騒ぎの面々を見渡し、小さく息を吐いた。
『……まあ、全員無事なら、それでいいか』
俺たちは残骸の処理を冒険者ギルドの処理班に任せ、ひとまず侯爵邸へと帰還の途についた。




