第177話:美味しい余韻と抜け駆けの騎士
王都近郊の街道を、俺たち『黎明の森』と不本意な同行者たちは、目的地であるダンジョン周辺の森へと向かって歩いていた。
一行の最後尾では、白黒のメイド服に身を包んだイリスが、元パーティーの三人の女たちに向かって歩きながら冷徹な講義を行っている。
「いいですか。あなた方がこれまで無事でいられたのは、単なる運か、あるいは……他者のリソースを無自覚に食い潰していたからです」
イリスの容赦ない言葉に、三人の女たちはビクッと肩を震わせた。
「ダンジョン内での安全な休息所の確保、罠の警戒、そして何より『魔力を温存しながら戦う』という基本。支援や生産系という裏方の存在なくして、前衛が本来の力を発揮することなど不可能なのです」
淡々と事実を突きつけ、裏方の重要性を説くイリス。
しかし、そのすぐ横を歩いていた魔王が、話の腰を折るように豪快に笑い飛ばした。
「がはははっ! 魔力を温存? アタシにはそんなちまちました戦い方は無理だな!」
魔王は呆れるイリスを意に介さず、腕を組んで豊満な胸を張った。
「そもそも、魔法なんて撃ちたい時に撃ちたいだけ撃つもんだろ! アタシは無駄に長生きしてるからな、おっさんと同じくらい魔力は余ってるんだ! 枯渇なんか気にして魔法を使ったことなんて一度もないぜ!」
『……いや、基準がおかしいんだよ』
俺は前を歩きながら、心の中で激しくツッコミを入れた。
俺の総魔力である七千三百と同等の魔力タンクを持っているとなれば、それはもう歩く災害だ。そんな規格外の魔王に常識を説いても無駄である。
そんな後方のカオスなやり取りを背中で聞きながら、俺のすぐ隣を歩くエリーゼは、信じられないほど上機嫌だった。
金貨五百枚の借金を背負い、副リーダーとして青ざめていた先ほどの顔はどこへやら。今は口元に終始とろけるような微笑みが浮かび、足取りすら少し弾んでいるように見える。
そのあからさまな異変に、生真面目なサンネが首を傾げた。
「エリーゼ殿? 先ほどまでの家計への不安が嘘のように……いや、随分と機嫌が良いようであるな」
「あら、そうですかしら。今はとても心が満たされておりますの」
エリーゼが頬に手を当ててふんわりと笑うと、反対側を歩いていたミラが鼻をヒクヒクさせながら身を乗り出してきた。
「なんだなんだ? エリーゼ、やけに機嫌いいな! おっさんと別室に行った後からだろ? さては、アタシに内緒でうまいもん食ったのか!?」
ミラの野生の勘(ただし食欲限定)が、鋭いのか鈍いのか絶妙なところを突いてくる。
エリーゼは一瞬だけビクッと肩を揺らしたが、すぐに余裕たっぷりの笑みを浮かべてミラを見下ろした。
「え、ええ、そうですね。とても……美味しい思いをさせてもらったわね」
決して、嘘は言っていない。
エリーゼはそう言って、チラリと熱っぽい視線を俺に向けてきた。
『……だから、その艶っぽい視線を俺に向けるのはやめてくれないか』
俺は背中に冷や汗をかきながら、サンネやミラに別室での出来事を勘付かれないよう、ひたすら前を向いて歩き続けた。
エリーゼが「美味しい思い」の余韻に浸り、ふふっと一人で微笑みながら歩いている、その時だった。
スッ、と俺の左腕に、柔らかな感触と、わずかに硬い防具の感触が同時に押し当てられた。
「……サンネ?」
見下ろすと、普段は凛々しい女騎士であるサンネが、俺の腕に自身の腕をしっかりと絡ませ、ピタリと寄り添うように歩幅を合わせていた。
「……その。エリーゼ殿が、ご自身の世界に入っておられるようでしたので。たまには、私にも……少しだけ、こうして甘える権利はあるのではないかと」
サンネは顔を真っ赤にして視線を逸らしながらも、腕に込める力は全く緩めようとしない。
普段の生真面目な彼女からは想像もつかない、大胆な抜け駆けだった。
俺は慌ててエリーゼの方を盗み見たが、彼女はまだ自分の額に指を当てたまま、完全に自分の世界(アウトオブ眼中)を漂っており、サンネの密着に全く気付く様子がない。
『……まあ、たまにはいいか』
俺は小さく息を吐き、サンネの不器用な甘えを受け入れることにした。彼女の体温と、時折すり寄ってくるような仕草が、左腕を通して直に伝わってくる。
だが、そんな両手に華のラブコメ空間を満喫しながらも、俺の頭の片隅では、極めて現実的な「裏方としての計算」が常に回り続けていた。
『土の精霊との契約で一時的に半分を持っていかれた魔力も、翌日にはすっかり全快している。……だけど、今回は大所帯だからな。いつも以上に気を付けないといけない』
俺は後ろを歩く集団をチラリと振り返った。
俺、エリーゼ、サンネ、ミラ。それにブラムとロッテ。ここまではいつものメンバーだ。
しかし今回はそこに、規格外の魔力お化けである魔王、容赦のないイリス、メンタルがスライム以下の元パーティーの女三人、そして非戦闘員である闇の商人が加わっている。
総勢十二名。これまでで最大の大所帯でのダンジョン探索(あるいは野営)になるのだ。
これだけの人数が安全に休息できる石造りの拠点を構築し、全員分の極上の飯を作り、温かい風呂を用意し、さらに索敵や結界まで維持するとなれば、要求される魔力リソースは跳ね上がる。
『道中の無駄な魔法行使は極力控えて、いざという時の拠点構築と支援のために、魔力を温存しておかないとね』
サンネの体温に癒されながらも、俺は便利屋としての気を引き締め直した。




