第173話:三度目のベロンと、スルーされた魔女
目覚めると、猛烈に首が痛かった。
視界がはっきりしてくると、目の前でサンネが床に額を擦り付けていた。
「……閣下、申し訳ありませんでしたぁっ!」
涙声での、見事な土下座である。俺はまだジンジンと痛む首をさすりながら、小さくため息を吐いた。
「……大丈夫だよ、サンネ。わざとじゃないのは分かってるから」
俺は床にめり込みそうなサンネの肩を掴んで引き起こし、そのままポンポンと背中を叩いて抱きしめてやった。
その瞬間。
ガシャンッ! ガシャガシャガシャァァン!!
「……え?」
けたたましい金属音と共に、サンネの全身を覆っていた重装甲が、一瞬にして四散し、床に転がった。
俺の腕の中には、なぜか薄着のインナー姿になって顔を赤らめるサンネがいる。
「……かっ、閣下……!」
サンネが、自慢の黄金比プロポーションを、俺の胸にさらに強く押し当ててきた。
「実はこのパージ機能……閣下に素早く『中身』を確認していただくための特注仕様なのです。いかがでしょうか、私のこの仕上がりは……」
意味深に耳元で囁かれ、俺は分かりやすくタジタジになった。
『いや、俺が絞め落とされた側なのに、なんでこんな理不尽なラッキースケベが発生してるの!? でも、俺はどれが来てもいいように心の準備はしてるからね!』
「ボス、朝ごはんは焼肉定食がいいんだゾ!」
俺が内心でパニックに陥っていると、今度はミラが暴力的な巨乳を無自覚に揺らしながら乱入してきた。
サンネの完璧な黄金比と、ミラの暴力的な質量。俺は完全にたじろぎ、冷や汗を流しながら視線を泳がせた。
そして、ふと助けを求めるように、優雅に紅茶を淹れているエリーゼと視線が交差した。
エリーゼは一切動じていなかった。ただ極上の、そして夜を思わせるような艶やかな微笑みを俺に向けた。
その瞬間、俺の背筋にゾクッとしたものが走り、ゴクリと喉が鳴った。大きなものに圧倒されるタジタジ感とは全く違う、理性が弾け飛ぶような本能的なスイッチが入る感覚。
その俺の反応を見て、エリーゼは満足げに目を細めた。
『(ええ、大きいものに狼狽えるのは男の性。ですが……旦那様がわたくしにだけ見せる、あの余裕のない反応。本当のお好みは、わたくしが一番存じておりますから)』
正妻の圧倒的な余裕である。サンネ渾身のマウントは、エリーゼの心にはかすり傷一つ負わせていなかった。
◇ ◇ ◇
気を取り直して。
俺たちは屋敷の広間に集まり、今後の活動の要となる「クラン名」の決定会議を開いていた。
だが、会議は早々に迷走を極めていた。
「【あきらめの悪いおっさんと狩人】!」
ブラムが、無駄にキメ顔で言い放つ。
「……ブラム、なんだいその絶望的にダサくて悲壮感漂う名前は」
俺が呆れていると、その大カオス空間に、最悪のタイミングで闖入者が現れた。
「泥だらけの森にも夜明けは来るんじゃぞい!」
呼ばれてもいないのに、土の精霊が窓から乱入してきた。そして次の瞬間、一直線にイリスの足元へと滑り込む。
「ベロォォォン!!」
土の精霊の手が、イリスのスカートを豪快にめくり上げようとした。
だが、その直後。イリスの指先から放たれた白黒の石が、土の精霊の脳天にクリーンヒットした。
「ぐふぇっ!?」
土の精霊の体が、物理法則を無視したように空中で綺麗にひっくり返る。床に激突した精霊を見下ろし、イリスは完璧な笑顔で小首を傾げた。
「……これで三度目ですね。満足されましたか?」
怒りなど微塵もない、純粋な確認。それが逆に恐ろしい。
しかし、土の精霊は床でピクピクしながらも「まだまだぁ!」と執念で立ち上がろうとしている。俺はこれ以上の惨劇を防ぐため、立ち上がって声を張り上げた。
「もう無茶苦茶だ……! いいかい、俺たちはもっとこう、それぞれが個性を活かしながらも調和するような……そう、桜梅桃李! 明鏡止水! 初志貫徹!」
俺が説教じみた四字熟語を連呼し始めた、まさにその背後。
復活した土の精霊が、ミラの背後へとスライディングした。
「百花繚乱!」
俺の叫びに被せるように、土の精霊が謎の造語を叫ぶ。
「捲布開帳!!」
隠された布を捲り真理を開くという最低のアホ発言と共に、土の精霊がミラのスカートを豪快にめくり上げた。
「焼肉定食がいいんだゾ!!」
下着としっぽが丸出しになったミラが、めくられていることすら気づかずに両手を挙げて叫んだ。
俺の四字熟語、土の精霊の造語、そしてミラの欲望。見事なまでのカオスな三重奏である。
その大惨事の中、俺の視界の端で黒い靄がスッと動いた。
見れば、いつの間にか俺の背後の影に、大人しそうな女性の姿をした闇の精霊がひっそりと控えているではないか。
俺が驚愕する中、闇の精霊は一切言葉を発さず、静かな所作で手をかざした。すると、めくれ上がって丸出しになっていたミラのお尻が、即座にダークミストで覆い隠された。
我が道を往く変人たちの中で、ただ一人、完璧に空気を読み、地味に、しかし確実に役立ってくれる闇の精霊。
『(……あの精霊使役の時からずっと控えてくれてたのか。このクランの良心は、彼女だけかもしれない)』
俺が心の中で涙ぐんでいた、その時。
土の精霊が這いずりながら軌道を逸らし、エリーゼの目の前を通過した。
……通過した、だけだった。
スカートをめくる気配すらない。本能的に死の危険を察知したのだろう。土の精霊はエリーゼを完全にスルーし、そのまま床に転がった。
部屋の空気が、ピシッ、と凍りついた。
エリーゼの動きが止まっていた。
「……土の精霊さん」
極上の笑顔だった。だが、瞳の奥に絶対零度の吹雪が吹き荒れていた。
「胸は、見ましたよね?」
「み、みとらんぞ! わしは尻しか興味がないんじゃあ!」
土の精霊が必死に叫ぶ。
エリーゼの笑顔が、さらに深くなった。
「……では、わたくしのヒップには、魅力がないと?」
物理的に、窓ガラスに霜が張り始めた。ミラの吐く息が白くなる。
その恐ろしい光景を見ながら、俺の脳裏には場違いな煩悩がよぎっていた。
『……いや、一瞬だけでも、エリーゼの絶対領域と、その奥にある禁断の逆三角形を見てみたい……とか、ちょっと思ったんだけどね。口が裂けても言えないけど』
俺が必死に平静を装っていると、背後の闇の精霊が、スッと俺の周囲にだけ冷気と衝撃を完全に遮断する「闇の結界」を展開した。
そして、控えめな、しかし切実な声で呟いた。
「……旦那様。奥様のお怒りが限界を突破するまで、あと三秒かと……」
闇の精霊が、さらに言葉を絞り出す。
「……夜明けの前に、世界が終わってしまうかもしれません……」
『……あ、これ全員終わったな』
温かい結界の中で、俺の心の中に無情なカウントダウンが響き渡った。




