第168話:精霊審査会と、最初からいた優秀な子
「……元に戻そうかな。ヘンドリック2号と闇の商人のダミーは返す」
俺がそう宣言すると、それぞれの精霊たちのダミーが解かれた。
元の土気色のダミー人形に戻った土の精霊が、カシャカシャと動いてみせる。
『やっぱり我輩はこれじゃのう! しっくりくるんじゃぞい!』
水の精霊は、元の形の定まらない水の塊へと戻りながら詩を詠み始めた。
『我は還る……形なき姿へ……水は水へ……』
「まだ詠んでいるのか」
サンネが遠い目をしている。
風の精霊は、ダミーを解かれた瞬間にすでにどこかへ飛び去っていた。もはや誰も気にしていなかった。
闇の商人が、心底ほっとしたように安堵の息をついた。
「……私の姿が各地をうろつかなくなる……」
『闇の商人の気持ちは、よく分かるんだけどね』
◇ ◇ ◇
屋敷の一室で、ルミナリアが俺に申し出てきた。
「……一つ、頼みがあるのじゃ」
「うん、なんだろう」
「わらわの影武者が欲しい」
俺は少し考えた。
「……パーティーのみんなは顔が知られすぎてるからね」
「うむ」
「精霊に頼む感じかな」
「……できるのか?」
「やってみることはできるけど……保証はできないかな」
『絶対に何かやらかすんだよね』
『でも、断れる空気でもないんだよね』
俺たちの会話を聞きつけていた精霊たちが、一斉に反応した。
『我輩がやるんじゃぞい! 任せるのじゃ!』
土の精霊が一番乗りで名乗り出る。
『我もまた……流れるままに……その役を引き受けよう……』
水の精霊が静かに進み出る。
『やる!やる! 我もやる! 何をすればいい! 何! 何!?』
どこからともなく戻ってきた風の精霊が飛び回りながら叫ぶ。
俺は全員を見渡した。
『……嫌な予感しかしないんだけどね』
◇ ◇ ◇
かくして、誰も望んでいなかった精霊ヒロイン審査会が開催された。
ベルナデッタが無表情で椅子に座っている。カトリーヌ夫人が扇子を広げてその隣に。エリーゼが腕を組んで静かに立っている。誰も「やりましょう」と言った覚えはなかったが、気づいたらそういう空気になっていた。
まずは土の精霊だ。
全身に泥の紋様を浮かべた人形が、カシャカシャと誇らしげに歩いてくる。
ベルナデッタが静かに言った。
「……ヒロインとは何か、理解していますか」
土の精霊が胸を張る。
『ヒロインとは愛じゃ! 泥にまみれた純粋な愛じゃぞい! 我輩の愛は大地のように深く、岩のように固く——』
「不合格」
『なぜじゃ!?』
カトリーヌ夫人が扇子で口元を隠した。
「……王女様の影武者が泥だらけでは、社交界が騒ぎますわ」
『泥は自然の恵みじゃぞい!』
「不合格です」
次は水の精霊だ。
しっとりと現れ、一礼して語り始めた。
『我は流れゆく時の中で……王女という存在の重さを……静かな水面に映る月のごとく……その孤独を……我は理解する……なぜならば……』
三分後。まだ語っている。
エリーゼが静かに手を上げた。
「……少しよろしいかしら」
『……なんじゃ? まだ序章じゃが』
「不合格ですわ」
『なぜじゃ!? 我の詩の何が問題なのじゃ!?』
「影武者は黙っていなければなりませんの」
『……』
水の精霊が静かに退場していった。退場しながらもまだ詩を詠んでいた。
「……消えながらも喋り続けてるな」とサンネが遠い目をした。
最後は風の精霊だ。
『ヒロインやります!何すればいい!何!何! 立てばいい!座ればいい!歩けばいい! 全部できます!速いです!速いですよ!』
誰も何も言わないうちに、気づいたら廊下の向こうへ飛んでいってしまっていた。
全員が沈黙した。
ベルナデッタが静かに一言だけ呟いた。
「……」
何も言わなかった。それが答えだった。
◇ ◇ ◇
「審査の結果、全員不合格です」
精霊たちが一斉に抗議の声を上げた。
『なぜじゃ!?』
『我の詩の何が悪い!』
風の精霊はまだ戻っていない。
「そもそも無理があったんじゃ——」
俺がそう言おうとした、その瞬間だった。
すっと。
誰も気配を感じていなかったのに、影がそこにいた。
全員が固まる。
ベルナデッタが、初めてわずかに眉を動かした。
「……いつからそこにいましたか」
影が静かに答える。
『……最初からです』
カトリーヌ夫人が、動かしていた扇子を静止させた。
「……あら」
影がゆっくりと、するりとルミナリアの姿に変わった。
完璧だった。所作も、気配も、立ち姿も。
ルミナリアが、もう一人の自分の姿を見て固まる。
「……わらわじゃ」
『……失礼しました。戻します』
すっと、元の静かな影に戻った。
全員が沈黙した。
土の精霊だけが不満そうに声を上げる。
『ずるいんじゃぞい! 我輩だって暗くなれるんじゃぞい!』
誰も聞いていなかった。
◇ ◇ ◇
俺は、その闇の精霊をまじまじと見つめた。
「……君、いつから俺と契約してたのかな」
『……真層のダンジョンで、閣下が地中に潜られた時からです』
俺は固まった。
「……あの時もいたの?」
『……はい。ただ、土の精霊が先でしたので』
土の精霊が胸を張る。
『我輩が一番乗りじゃったんじゃぞい!』
『……怪我してて頭が回らなかったから、気づかなかったんだよね』
『土の精霊が飛び込んでくるから、そっちと契約したけど』
『……申し訳ないことをしたかな』
「……声、かけてくれればよかったんだけどね」
『……閣下はお怪我をされていましたので。邪魔をするのは』
「邪魔じゃなかったよ」
『……』
闇の精霊が少しだけ、静かに頷いた。
エリーゼが静かに目を細める。
「……この子、いい子ですわね」
サンネが頷く。「同意する」
ミラが微笑む。「なんかほっこりするんだゾ」
土の精霊が割り込んできた。
『我輩もいい子じゃぞい!』
全員が、そっと視線を逸らした。
◇ ◇ ◇
闇の精霊が影武者就任を了承した後。
ベルナデッタが、闇の精霊をじっと見ていた。
沈黙。
闇の精霊が静かに待っている。
さらに沈黙。
ベルナデッタが静かに口を開いた。
「……掃除は得意ですか」
『……はい』
「気配を消したまま動けますか」
『……はい』
「廊下の隅まで拭けますか」
『……はい』
ベルナデッタが無言で頷く。
闇の精霊も無言で頷く。
完全無言の契約が成立した瞬間だった。
カトリーヌ夫人が扇子で口元を隠す。
「……うふふ。採用ですわね」
土の精霊が張り切って割り込む。
『我輩も掃除できるんじゃぞい!』
ベルナデッタが無表情で告げた。
「あなたは廊下に泥を落とします」
『……ぞい』
続いて。
ベルナデッタは、イリスの仕事ぶりをしばらく観察していた。
料理、完璧。設営、完璧。後片付け、完璧。気配り、完璧。
ベルナデッタが静かにイリスの前に立った。
「……イリス殿」
「はい」
「うちで正式に働きませんか。料理長として」
イリスが静かに俺の方を見た。
『……うちって、俺の屋敷なんだけどね』
『もう働いてる気がするんだけどね』
『でも、イリスさんが決めることだから』
「閣下のご判断に従います」
俺は静かに言った。
「……一緒に来てもらえると助かるかな。旅の間も、屋敷に戻った時も」
イリスの目が、わずかに輝いた。
「……はい、閣下」
ベルナデッタが静かに頷く。それだけで、全てが決まった。
エリーゼが笑顔のまま言う。「……料理の腕は認めますわ」
サンネが渋い顔で頷く。「……同意する」
ミラが遠い目をした。「イリスのメシ、まじでうまいんだゾ……」
魔王が腕を組みながらそっぽを向く。「……別に認めたわけじゃないが、飯は食う」
闇の商人が呟いた。「侯爵邸より……うまかった……」
◇ ◇ ◇
全員が揃った場で、シリルからの報告を受け、俺は静かに言った。
「……行くしかないかな」
エリーゼが俺の腕にそっと触れた。
「わたくしたちもいるのよ。たまには頼って?」
『……心臓に悪いんだけどね』
「当然だ」サンネが剣の柄に手を添える。
「今度こそ一緒に行くんだゾ!」ミラが拳を握る。
「ふん、アタシも行く」魔王が素直でない顔で言う。
「閣下のお供を」イリスが静かに一礼する。
「え、また行くんですか!?」闇の商人が悲鳴を上げる。
土の精霊が元気よく割り込んだ。
『我輩も行くんじゃぞい!』
闇の精霊が静かに続く。
『……わたしも参ります』
土の精霊が不満そうに言う。
『なんで我輩より注目されるんじゃぞい!』
俺は全員を見渡した。
『……人数が多い』
『でも、今度は一人じゃないんだよね』
『……まあ、悪くないかな』




