第166話:孤独な王女と、必殺【ケツ土砲】
その頃、各地では奇妙な噂が広まり始めていた。
ある村の近くで魔物の群れが発生した時のことだ。逃げ惑う村人たちの前に、どこからともなく小柄で土気色の男が現れた。
『おお! 魔物じゃぞい! 我輩が守ってやるのじゃ!』
誰も頼んでいないのに、その男は謎の掛け声とともに強力な土魔法を展開し、魔物を次々と撃破していった。
「侯爵様が……!」
「一人で魔物を!」
「しかもあの動き……規格外だ……!」
また、別の辺境の村では、水滴を滴らせた小柄な男が、なぜか村人の人生相談に乗っていた。
『我は流れゆく時の中で……お主の悩みもまた、泡沫の夢……』
その詩的な言葉に、村人が感動の涙を流している。
「侯爵様の連れの方が……!」
「人生の真理を……!」
俺が全く知らないところで、俺と闇の商人の株が各地で爆発的に上がっていく現象が起きていた。
◇ ◇ ◇
王都。王城の謁見の間。
そこでは、非難派の貴族たちが声を荒らげ続けていた。
「侯爵が城を捨てた!」
「無責任な逃亡者だ!」
「あのような者、婚約など破棄すべきだ!」
ルミナリア王女は、一人でその怒号の矢面に立っていた。
扇子で顔の半分を隠しながら、冷ややかな視線で彼らを見下ろす。言葉にはしない。表情にも出さない。だが、その胸の奥には、ぽっかりと空いたような空洞があった。信頼できる者がいないわけではない。ただ、ここには、決定的に欠けているものがあった。
擁護派の貴族たちがたまらず立ち上がる。
「侯爵閣下を非難するとは何事か!」
「閣下はすでにスタンピードの脅威に向けて動いておられるのだ!」
真っ二つに割れた場が、沸騰していく。
ルミナリアが静かに立ち上がった。
その動作一つで、全員が水を打ったように黙り込む。
「……一つ、聞かせてもらおうか」
静寂。
「擁護しておる者たちは、すでに動いておるようじゃ」
視線が擁護派に向けられる。彼らは騎士団の配備、周辺ダンジョンの調査手配、物資の調達と補給を、すでに完了させつつあった。口だけではなく、体を動かしていた。
ルミナリアの視線が、ゆっくりと非難派へと移動する。
「では……非難しておるお前たちは、何をしておるのじゃ?」
重く、冷たい沈黙が広がる。
「一つでも答えられる者がおるならば、聞こうぞ」
誰も、答えられない。
ルミナリアの目が、静かに冷たく細められた。
「わらわはすでに、調査させた」
王女の合図で、側近が一枚の書状を読み上げ始めた。それは、非難派の貴族たちの税収報告の改ざんと、隠蔽された不正収益のリストだった。数字が次々と暴露されていく。
非難派の顔色が一斉に青ざめた。
◇ ◇ ◇
完全に追い詰められた非難派の貴族たちが、奇妙な動きを見せた。
複数人が同時に懐に手を入れ、黒ずんだ禍々しいアイテムを取り出したのだ。
「……っ」
ルミナリアが瞬時に察する。あれは、闇の商人組織が流通させていた危険な品だ。最初から、こやつらは組織と繋がっておったのか。
アイテムが起動する。濃密な煙幕が謁見の間を覆い、パニックが起きる。
「逃げよ!」という貴族たちの声が響く。
だが、残されたアイテムが、彼ら自身も予期していなかった形で暴走を始めた。
凄まじい爆発。
城の一部が轟音とともに崩壊する。そして、開いた地下の亀裂から、おぞましい魔物の群れが這い出してきた。
◇ ◇ ◇
同じ頃、城壁の外。
騎士団が血相を変えて駆けつけた時、そこでは信じがたい光景が繰り広げられていた。
水の精霊が、腹部の……もっと下のあたりから、濁流のような何かをまき散らかしながら魔物に向かって進んでいる。時折、口からも「おげえ……」とでも言うような動きで汚物めいた何かを吐き出していた。それでも魔物は確実に減っていた。
『我が……臍より……さらに下より……湧き出ずる……生命の……奔流よ……』
風の精霊は背中のあたりから竜巻を出しながら、超高速で飛び回っている。早口で叫びながら。
『ここから出すと速いんじゃ! 速いじゃろ! 速いじゃろ!?』
誰も聞いていない。
でも魔物は着実に全滅しつつあった。
騎士団長が目を背けながら呟いた。
「……我々の出番が」
「「「なかった」」」
見てはいけないものを見た顔で、騎士団全員が立ち尽くしていた。
◇ ◇ ◇
城内では。
崩れた瓦礫の陰から、小柄で土気色のダミー人形が顔を出した。
『じゃじゃーん! 我輩の出番じゃぞい!』
王女が固まる。
「……お前は」
精霊がきょろきょろと周囲を見渡した。
『……呼ばれていない?』
「呼んでおらぬ」
『失礼いたしましたぞい』
踵を返して逃げようとした精霊を、王女がむんずと掴む。
「待て」
そこへ、扇子を広げたカトリーヌ夫人が、瓦礫を優雅に避けながら現れた。
精霊が、カトリーヌ夫人の顔を見た瞬間に完全に固まる。
『……ベルナデッタよりやばい人キタ』
「うふふ。ちょうどよかったわね」
精霊に逃げ場はなかった。
迫り来る魔物の咆哮が響く。精霊が観念したように魔物の方を見た。
『……仕方ない。主からもらった魔力を使うか』
精霊は魔物に向かって、なぜか背を向けた。
「何をするつもりじゃ?」
王女の問いには答えず、精霊が低く腰を落として構える。
「……え?」
カトリーヌ夫人が、扇子を開いたまま珍しく静止した。
ブリブリブリブリ。
凄まじい勢いで、土魔法が精霊の尻から発射された。圧倒的な質量を持った土の塊が、魔物たちを次々と飲み込み、生き埋めにしていく。美しくもなんともない、だが完璧な殲滅だった。
精霊が振り返り、誇らしげに胸を張る。
『どうじゃ! 我輩の必殺技、【ケツ土砲】じゃぞい!』
王女が、ひどく疲れた顔で言った。
「……命名するな」
カトリーヌ夫人が、そっと扇子で口元を隠した。
「……あら」
その目が、わずかに笑っていた。
◇ ◇ ◇
同じ頃。
俺たちはダンジョンの最奥で、黒幕の痕跡を掴んでいた。
しかし。
「……また逃げられたね」
そこに残っていたのは、周到に準備された逃走の跡だけだった。転移魔法陣の残滓と、燃やされた書類の灰。
闇の商人が悔しそうに唇を噛む。
「……いつでも逃げられるように、最初から準備していたようです」
『この組織、戦うより逃げることに特化してるんだよね』
『追いかけるより、待ち構える方がいいかもしれないね』
『それに……』
俺は、王都の方角を一度だけ見た。
「……仕方ないね。一度帰ろうかな」
エリーゼが静かに頷いた。「ええ」
サンネが剣を鞘に収める。「同意する」
ミラが目を丸くしている。「ボスが自分から帰るって言ったんだゾ!?」
魔王は「ふん」とだけ言い残し、すでに歩き始めている。
イリスが静かに一礼した。「閣下のご判断に従います」
闇の商人が泣きそうな顔をしている。「帰れるんですか!?」
『帰る理由は、王命が進展しなかったからだよ』
『王女が心配だからじゃないんだよ』
『……そういうことにしておこうかな』
◇ ◇ ◇
王都へ帰還した後。
俺はルミナリアと騎士団長から、城での出来事について報告を受けた。
非難派の貴族の遁走。城の一部崩壊。魔物の出現。
「……それで、どうやって魔物を倒したのかな?」
王女とカトリーヌ夫人が、一瞬だけ無言で視線を交わした。
「……精霊が」
「うん」
「城内では、尻から土を発射して」
「……うん」
「城壁の外では……その……」
騎士団長が顔を引きつらせながら続ける。
「口から……」
「うん」
「腹部の……もっと下から……」
「うん」
「何かを……まき散らかしながら……」
俺は静かに手を上げた。
「ちょっと待って」
『……俺たちの姿で何しちゃってんだよ』
『いや待って』
『口から汚物って何?』
『腹部のもっと下って何?』
『俺の顔でそれやってんの?』
『やめてくれ頼むから』
珍しく、俺の顔が引きつっていた。
エリーゼが静かに目を逸らす。
サンネが天井を見上げる。
ミラが「……なんか想像したくないんだゾ」と震える。
闇の商人が「私の姿でも何かしてたんですか!?」と蒼白になる。
魔王が腕を組んで「……精霊って何なんだ」と遠い目をしている。
イリスだけが「閣下、大丈夫ですか」と静かに寄り添っていた。
「……よくやってくれたかな」
絞り出すように言った。
どこからともなく、カシャカシャと音がした。
『ほめられたんじゃぞい! うひょひょひょ!』
「……だから今まで使役しなかったんだよおお!!」
俺が叫んだ。
これが、精霊使役Lv1を取得してから今まで、ほとんど使わなかった本当の理由だった。
精霊の足音が、全速力で遠ざかっていった。




