第145話:誘惑の桃色迷宮と、じゃんけんの理(ことわり)
時は少しさかのぼる……
魔王様に半ば拉致される形で王都を飛び出してから数日。俺たちはついに、魔力が飽和し変質したという「誘惑の桃色迷宮」の入り口に立っていた。
「……ねえ、魔王様。ここ、本当に入るのかな? 入り口からしてピンク色の霧が立ち込めてて、健全な三十五歳には刺激が強すぎるんだけどさ」
ヘンドリックが引き気味に尋ねると、ボディコン姿の魔王はガハハと豪快に笑い、彼の背中をバンバンと叩いた。
「何をビビってるんだおっさん! これはアタシの魔力が漏れ出したせいだからな、中身はもっとすごいぜ! 魂がとろけるような最高のステージが待ってるから、覚悟しな!」
「いや、その『すごい』の方向性が怖いんだけどね。……あ、ブラム君、ロッテ。君たち、なんでそんなに遠い目で俺を見てるのかな?」
背後では、必死に後を追ってきたブラムとロッテが、もはやツッコミを入れる元気もなさそうに立ち尽くしていた。
「……ロッテ。俺、冒険者になってからいろんな迷宮を見てきたけど、入り口から甘い香水みたいな匂いがする場所は初めてだよ」
「ブラム君。ヘンドリックさんの周りだけ、いつもジャンルが違うからね。もう諦めて、手記のネタにでもしよう?」
そんな若手二人の冷静な分析を置き去りに、一行は迷宮へと足を踏み入れた。
一歩入れば、そこは視界すべてが薄桃色の世界。迷宮の防衛機構として現れた小さな淫魔たちが、チチチと鳴きながら群れをなして飛んでくる。
「旦那様! 淫魔の術にかかってはいけません! 私がこの身を挺してお守りしますわ!」
「ずるいぞエリーゼ! わらわの方が魔力抵抗が強い! ヘンドリック、わらわの側にいろ!」
「主君! 私が背後を固めます! 一切の誘惑は私が斬り伏せます!」
エリーゼ、ルミナリア、サンネが瞬時にヘンドリックに密着する。しかし、今回はさらにもう一人、小さな影が猛然と突っ込んできた。
「ボスはミラのなんだゾ! 変なハエはアタシが叩き落とすゾ!」
「ミラまで!? ちょっと待って、君たちは俺を守るって言いながら、全員で俺を押し潰すつもりなのかな!?」
四方向からの「奥さん(自称)」たちの密着攻撃に、ヘンドリックの理性がきしみ声を上げる。そんな中、ヒロインたちの間で不穏な火花が散り始めた。
「……皆様、このように全員でくっついていては進軍の邪魔ですわね。ここは公平に、『順番』を決めませんか?」
エリーゼの提案に、他の三人が鋭く反応した。
「ふむ、順番か。それは名案じゃな。では……」
「「「「最初はグー、じゃんけん、ぽん!!」」」」
迷宮の通路で、淫魔の群れを無視して唐突に始まる、嫁(仮)たちの命懸けのじゃんけん大会。
「……ねえ、ブラム君。迷宮のど真ん中でじゃんけんしてる人たち、初めて見たんだけど。あれ、何に勝ったら何の権利がもらえるのかな?」
「ロッテ、聞いちゃだめだ。……ヘンドリックさん、顔が真っ赤を通り越して白目剥いてるから」
ブラムの言う通り、ヘンドリックは迷宮の「本音を引き出す魔力」と、ヒロインたちの物理的な体温に挟まれ、限界を迎えていた。
「……あー、もう! 君たち、そんなに俺を独り占めしたいなら、じゃんけんなんてしなくていいよ! 俺だって、君たちが側にいてくれないと……怖くて一歩も進めないんだからさ!」
「「「「…………!!」」」」
ヘンドリックの口から、迷宮の魔力のせいで「本音100パーセント」の殺し文句が飛び出した。
「おっさん、絶好調だな! がはは、これは奥に行けばもっと面白い本音が聞けそうだぜ!」
「……ねえ、魔王様。今のは俺の本意じゃないというか、環境のせいというか……。あ、みんな、そんなキラキラした目で俺を見ないで! まだ結婚してないし! 順番とか決めなくていいから!」
三十五歳の侯爵の絶叫は、ピンク色の霧に包まれた迷宮の奥深くへと、虚しく吸い込まれていくのであった。




