第144話:神話は一日にして成らず(一ヶ月かかったけど)
今は昔、とある侯爵の屋敷に、一柱の巨大な獣神が残されました。
主が魔王に拉致され、奈落の底へと消えた一ヶ月の間。その獣神はあまりの暇を持て余し、ただ「ちょっくら散歩」に出たと言います。その第一歩は王都の地割れを(偶然)踏み固めて直し、その第二歩は不法占拠されていた空き地を(気まぐれに)更地にし、その第三歩は逃走中だった凶悪犯を(ただ邪魔だったので)尻に敷いて捕らえた……。
人々は彼が歩いた跡に供え物をし、彼が昼寝した場所を「聖域」として囲いました。一ヶ月後、その屋敷はもはや個人の邸宅ではなく、王都最大のパワースポットへと変貌を遂げていたのです。
「……ねえ、アルフォンスさん。俺、一ヶ月で浦島太郎になったのかな?」
ヘンドリックが馬車から降りた瞬間、彼を待っていたのは見知らぬ巡礼者たちの合掌と、なぜか黄金色に輝く正門でした。
『遠征から帰ってきたら、家の門に賽銭箱が置かれてるし、庭には「獣神散歩道」っていう看板が立ってるんだけどさ。もはや俺の家じゃなくて観光地だよね、これ。というか、あの黄金の門、これ絶対アルフォンスさんが賠償金とかで勝手にリフォームしたよね?』
「閣下、お帰りなさいませ。ご安心ください。獣王様が散歩中にうっかり『撫でた』せいで崩落しかけた時計塔は、賠償金の代わりに彼を『王都の守護神』として登録することで解決済みです」
眼鏡を光らせるアルフォンスの横で、ベルナデッタが静かに付け加えます。
「獣王様の抜け毛を『魔除けの御守り』として販売した利益で、屋敷の維持費と、閣下の英雄化プロモーション費用は今後十年分確保いたしました。すべては予定通りにございます」
「……誰も俺の意志を確認してくれないんだね。お父さんが散歩しただけで、俺の屋敷が宗教施設みたいになってるんだけどさ」
しかし、真の混沌は屋敷の中に新設された温泉施設にありました。
「がはは! あのゴリラだけが崇められるのは癪に障る! アタシこそがこの街の真のヒロインだ!」
遠征から戻った魔王様は、獣王が神格化されている現状に激しい対抗心を燃やしました。彼女は本人の徹底した監修のもと、温泉施設に自分の美しさを余すところなく再現した等身大の「立体像」を設置させたのです。
「……で、なんで男湯の真ん中に、この『悩殺ポーズの魔王像』が設置されてるのかな?」
『しかも本人監修って。自主規制の限界を攻めすぎじゃないかな、これ。水蒸気を模したエフェクトで絶妙に隠されてはいるけど、逆にそれがエロさを加速させてるんだけどさ。隣にある獣王の仁王立ち像との温度差がすごすぎて、入浴中に風邪ひきそうだよ』
そんな温泉の湯気に紛れ、二人の影が満足げに頷いていました。ベルナデッタとカトリーヌです。
「……素晴らしい出来栄えですわね、ベルナデッタ。あの子の『魔性』が、見事に定着しているわ」
カトリーヌが扇子で口元を隠して笑います。彼女の懐には、この像をさらに精巧に、そしてさらに過激に再現した手のひらサイズの「ミニチュアフィギュア」がありました。
「ええ。王都の闇市場では、このミニチュアが既に金貨数枚で取引されています。利益の半分は、閣下の今後の活動資金として回収済みです」
「うふふ、ヘンドリックちゃんも知らないうちに大金持ちね。年の功かしら、こういう転がし方は私たちが一番分かっているもの」
影の支配者タッグによる「魔王ビジネス」は、既にヘンドリックの感知しないところで巨大な利権を生み出していたのでした。




