第137話:悪の輪郭と、逃亡犯の確保
水着の魔王が嵐のように去った後の市場。
取り残されたヘンドリックは、パイプ椅子の上で小さくなって正座している闇の商人のトップを見下ろしていた。
「……で、おじさん。ちょっと聞きたいんだけどさ」
「ひっ! な、なんでしょうか、侯爵閣下……!」
怯えきった商人の顔を見ながら、ヘンドリックは頭を掻いた。
『なんだろう、この違和感。かつての仲間だったルークと対峙した時もそうだったけど……この人、本当に絵に描いたような「絶対悪」なのかな?』
確かに、危険な魔石を裏で流通させていたのは事実だ。しかし、彼から漂うのは「世界を滅ぼしてやる」といった魔王的な邪悪さではなく、単なる「利益を追求しすぎた越後屋」の匂いだった。
「あのさ。王都のトップランカーパーティー、【神創の覇星】のリーダーたち……あいつらが悪事に手を染めたのって、あんたたちが意図して指示したことだったの?」
ヘンドリックの問いに、闇の商人のトップは勢いよく首を横に振った。
「め、滅相もございません! 私どもはあくまで、彼らから『絶対にスタンピードを起こせる兵器が欲しい』と依頼を受けて、あの魔石を売っただけでして……! 彼らが何を標的にするつもりだったかまでは……!」
「……なるほどね」
『つまり、闇の商人があいつらを操っていたわけじゃないのか。俺を狙うため、俺を引きずり出すために、あいつら自身が手段を選ばずに危険な魔石に手を出しただけ……』
兵器(魔石)を売った商人は当然悪だが、それを使って悪意を撒き散らしたのは、間違いなく人間側の身勝手なエゴだった。
どこからどこまでを「闇の商人の罪」として裁くべきか。ヘンドリックには即座に判断できなかった。
「うーん……。これ、俺がパパッと討伐して終わるような単純な話じゃない気がするかな。どうしたもんか……って、あれ?」
ヘンドリックはふと、隣を振り返った。
「ミラ、サンネはどこ行ったの?」
「ん? サンネなら、さっきおねーちゃん(魔王)の話を聞いて『これは大事件だ! 屋敷にいる有能な者たちにすぐ報告せねば!』って、すごい勢いで走っていったんだゾ」
「……は?」
『有能な者たちって……まさか』
ヘンドリックの背筋に、魔王や闇の商人とは全く別次元の、恐ろしい悪寒が走った。
振り返るよりも早く、両側からふわりと、とても嗅ぎ慣れた高貴な香水と花の香りが漂ってきた。
「――見つけましたわ、旦那様」
「――まったく、少し目を離した隙に脱走するとは、悪い夫じゃのう」
「ヒッ……!」
いつの間にか、ヘンドリックの両脇をエリーゼとルミナリアが完全に固めていた。彼女たちの背後には、冷ややかな視線を送るメイド長ベルナデッタと家令アルフォンスの姿まである。
「いや、ちょっと待って! 違うんだよ! これは本当にたまたま市場で遭遇しただけで、俺から探しに行ったわけじゃないし……!」
『俺、今回は悪くないよね!? 勝手に街に出たのは悪いかもだけど、結果的に闇の商人のトップを無傷で確保したんだから、むしろお手柄だよね!?』
「言い訳は執務室の『姿勢矯正椅子』の上で聞きますわ。さあ、戻りますよ」
「アルフォンス、この哀れな商人のお縄を頼むぞ。……ヘンドリックはわらわたちが逃がさんからな」
「あだだだだ! 腕! 腕引っ張らないで! 自分で歩くから!」
魔王からのクエスト受注、闇の商人との邂逅、そして事件の裏側の真実。
これだけ重要なイベントをこなしたというのに、ヘンドリックの扱いは「迷子になっていた大型犬の捕獲」と何ら変わらなかった。
こうして、三十五歳の侯爵(兼・冒険者)は、自称妻たちによる鉄壁の護送のもと、再び逃げ場のない書類仕事と姿勢矯正の地獄へと連行されていくのであった。




