第133話:甘い包囲網と、不運な再会
「あの、ベルナデッタさん。その、執務中の姿勢を正すための『背板』、外してくれないかな? ちょっと……というか、かなり痛いんだけどね」
『これ、拷問器具の間違いじゃないかな。冒険者時代に受けたどんなトラップより、今のこの椅子の方がキツいんだけどさ』
ヘンドリックの弱々しい訴えに、ベルナデッタは一瞥もくれず、淡々と廊下の掃除指示を出していた。
「閣下。侯爵家を背負う背中が曲がっているなど、あってはならないことです。終わるまで外すことは許されません」
あまりにも冷淡なメイド長の態度。それを見ていたサンネが、ガタッと身を乗り出した。
「待て、ベルナデッタ! いくら教育とはいえ、主君をそこまで蔑ろにするのは見過ごせん! 私はヘンドリックの味方だ、私が彼を擁護する!」
「サンネ……! 分かってくれるのかい?」
『おお、サンネが聖女に見えるよ。やっぱり持つべきものは、真っ直ぐな騎士の仲間かな……』
「主君、安心しろ! その背板が痛いなら、私が後ろからずっと支えていよう! これで姿勢も正せるし、一石二鳥なのだ!」
サンネはそう言うと、ヘンドリックの背中に密着して、鎧越しに力強く彼を固定した。
「……あ、いや。サンネ、気持ちは嬉しいんだけどね。鎧が当たって余計に痛いというか、むしろ動けなくなったかな」
『擁護の仕方が力技すぎるんだよ。これ、実質的にサンネに拘束されてるだけだよね……?』
そこへ、あくびをしながらミラがやってきた。
「ボス、なんか疲れてるみたいだゾ。難しいこと考えてるからだゾ。そんなの放り出して、美味しいもん食べに行くんだゾ!」
「ミラ……。そうだね、たまには外の空気を吸わないとやってられないかな」
『そうだよ、これだよ。ミラのこの何も考えてない感じが、今の俺には一番の救いだよ』
「陛下からの命令(闇商人の討伐)の準備って名目なら、アルフォンスさんたちも文句は言わないはずだしね。ちょっと偵察がてら、街へ出てみようかな」
『よし、これで合法的に脱走できる。サンネとミラを連れていけば、ベルナデッタさんも強くは言えないでしょ』
ヘンドリックは、自分を「肯定」して連れ出そうとしてくれる二人の好意に甘え、逃げるように屋敷を飛び出した。
◇ ◇ ◇
王都の下町。活気あふれる市場を、ミラが買った串焼きを頬張りながら歩く。
「ふぅ。やっぱり外はいいよね。水の都にいた頃を思い出すかな……」
『あー、やっぱり俺はこっち側の人間だよ。豪華な絨毯の上より、石畳を歩いてる方が落ち着くんだよね』
「ボス、あっちの店も美味そうだゾ!」
「主君、油断するな。街中とはいえ、闇の商人の息がかかった者がいるかもしれんからな」
サンネが周囲を警戒し、ミラが食べ歩きを楽しむ。そんな平和な(?)偵察の最中だった。
路地裏から出てきた一人の男と、ヘンドリックは正面から肩をぶつけてしまった。
「おっと、ごめんよ。急いでて……って」
「……え?」
ぶつかった相手の顔を見た瞬間、ヘンドリックの思考が停止した。
高級そうな外套を羽織り、冷徹な野心を瞳に宿したその男。手配書で何度も見た、今回の事件の元凶。
「……闇の商人の、トップ……?」
『なんで!? なんでこんなところに普通に歩いてるの!? 王宮の地下とか、もっとこう、秘密の拠点に隠れてるもんじゃないの!?』
闇の商人のボスもまた、まさかこんな庶民的な市場のど真ん中で、当の「討伐責任者」である侯爵と出くわすとは思っていなかったようで、目を見開いて固まっている。
「……ヘンドリック、侯爵……?」
「なんでこんなところにいるんだよおおお!!」
ヘンドリックの絶叫が、市場に響き渡った。
『運が良いのか悪いのか、全然分からないんだけどね! せっかく脱走してきたのに、いきなりクライマックス突入とか、俺の休日はどこへ行っちゃったのかな!?』
三十五歳のおっさんは、想定外すぎる「現場」との遭遇に、顔を引きつらせながらもスキルを発動させる準備に入るのであった。




