第116話:魔族の恋人へのダイブと、妹の治療(物理)
カオス極まる王都の拠点に、来客を告げるノックの音が響いた。
「失礼します。ヘンドリックさんがお怪我をされて、しかも記憶喪失になったと聞いてお見舞いに……」
扉を開けて入ってきたのは、魔族のルークと、かつてヘンドリックと同じパーティーで苦楽を共にし、現在はルークの恋人となっているアイシャ。そして、報せを聞いて駆けつけたヘンドリックの妹であった。
「お兄ちゃん! 大丈夫なの!? 記憶がないって……」
心配そうに駆け寄ろうとする妹。
だが、ソファで巨乳二人に挟まれていたヘンドリックの視線は、妹でもルークでもなく、その後ろでオロオロしている魔族の美女、アイシャの『豊満で母性に溢れたプロポーション』に釘付けになっていた。
「あ……アイシャ!! 会いたかったぁぁぁっ!!!」
ヘンドリックはサンネとミラの腕をすり抜け、弾かれたようにアイシャへとダイブした。
そして、アイシャの柔らかく包容力のある胸元に顔を埋め、全力でスリスリと頬を擦り寄せ始めたのである。
「ひゃああっ!? へ、ヘンドリック、どうしたの急に!?」
かつての仲間の突然の変態的ハグに、顔を真っ赤にしてパニックになるアイシャ。
それを見たルークの顔色が変わった。
「ちょっ、ヘンドリックさん!? それは俺のです!! 離れてください!!」
ルークは慌てて二人の間に割って入り、愛する恋人をヘンドリックからベリベリと引き剥がして自分の背後に隠した。
だが、今のヘンドリックは『柔らかくて安全な場所』に執着する謎のデバフがかかっており、「ああっ、俺の癒やしが!」とルークの背後へ手を伸ばそうとする。
その光景を見て、リビングの空気が一瞬にして絶対零度まで冷え込んだ。
「……なるほど。私達の胸から、今度は他所の恋人に乗り換えるというのですわね?」
「許さん……! わらわ達スレンダー派を迫害した挙句、新たな巨乳(しかも魔族)に走るなど……万死に値するわ!」
エリーゼとルミナリアから、ゴゴゴゴとドス黒い殺気が立ち昇る。
「むっ!? 主君、私の胸では不満だというのか!」
「アイシャから離れるんだゾ! ボスはアタシのなんだゾ!」
サンネとミラも武器を構え、威嚇の唸り声を上げる。
――ヒロイン四人による、血で血を洗う修羅場が勃発するのか?
いや、空気を読んだのは、他ならぬ実の妹だった。
「この……ド阿呆兄貴がァァァッ!!」
妹は一切の容赦なく踏み込むと、ルークとアイシャに絡もうとしているヘンドリックの顎に目掛けて、完璧なフォームから繰り出される『右のカウンターパンチ』を叩き込んだ。
ドゴォォォォンッ!!
「あべしっ!?」
ヘンドリックの体は綺麗な放物線を描いて宙を舞い、リビングの壁に激突してずり落ちた。
「お見舞いに来てくれたルークさんたちの邪魔をして、アイシャさんにセクハラするなんて、いくら記憶喪失でも許さないからね! バカ! 変態! お行儀見習いからやり直せ!」
妹の愛(物理)の鞭が炸裂する。
「いってぇぇ……! 顎が外れるかと思った……って、あれ?」
壁際で頭を押さえるヘンドリックの瞳に、かつての『飄々としたおっさんの光』が戻っていた。
強烈な物理的ショックを与えられたことで、ショートしてロックされていた記憶回路が、ガコンッ!と音を立てて正常な位置にハマったのである。
「ルークにアイシャ、それに妹まで……。なんでお前らウチにいるんだ? っていうか、エリーゼたち、なんでそんな般若みたいな顔で俺を睨んで……」
ヘンドリックはそこで言葉を切り、自分の置かれている状況と、ここ数日間の『やらかした記憶』をすべて思い出した。
スレンダー至上主義を爆発させて王女を土下座で崇めたこと。
スリッパで叩かれてトラウマになり、サンネやミラの胸でバブみを感じていたこと。
そして今しがた、ルークの恋人であるアイシャにダイブしたこと。
「あ、あの……。これはその、不可抗力というか、脳のバグというか……」
滝のような冷や汗を流すヘンドリック。
「記憶が戻って、本当に良かったですわ、旦那様」
「うむ。正気に戻ったのなら、たっぷりと落とし前をつけてもらおうかのう(ニッコリ)」
完全に目が笑っていないエリーゼとルミナリアが、ゆっくりと指の関節を鳴らしながら距離を詰めていく。
「ぎゃああああああっ!!」
直後、王都の屋敷に最強の便利屋の悲鳴が響き渡った。
◇ ◇ ◇
部屋の隅。
お説教(という名のリンチ)を受けるおっさんと、それを見てオロオロする魔族のカップルを眺めながら、ブラムとロッテは出されたお茶をズズッと啜っていた。
「……狂も平和だなあ」
ブラムがしみじみと呟く。
「ブラム君、なんか文字が違う気もしますが……はい、生温かくて平和な日常ですね」
ロッテも生温かい目を細めながら頷いた。
迷宮の真層での命がけの死闘も、闇商人による暗躍も、記憶喪失という絶体絶命のピンチも。
結局のところ、この騒がしくも愛おしい日常の前では、ただのスパイスに過ぎない。
最強の便利屋ヘンドリックの明日は、きっと今日より少しだけ痛くて、騒がしい。




