第115話:現実逃避のバグと、巨乳派への寝返り
翌朝。
王都の拠点には、早朝からなんとも言えない奇妙な空気が漂っていた。
「……ああっ、なんて素晴らしい柔らかさと質量なんだ……! これぞ究極の癒やし、男のロマン! ずっとここに埋もれていたい……」
「しゅ、主君!? な、なにを急に甘えて……っ!?(嬉しい! 嬉しいが、いったいどうしたのだ!?)」
「ボスがアタシの胸に顔をスリスリしてるんだゾ……? いつもは『暑苦しい』って逃げるくせに、なんか変なんだゾ」
リビングのソファの上。
記憶喪失のヘンドリックは、サンネの豊満な双丘とミラの暴力的なボリュームの間に挟まれ、幸せそうに頬を擦り寄せていた。
昨晩、スレンダー好きの性癖を爆発させていたはずのおっさんは、たった一晩で完全なる『巨乳派』へと寝返っていたのである。
理由は単純だった。
昨日、ルミナリアの「機能美(まな板)」を崇め奉った結果、スリッパで容赦なく頭をスパーンと叩かれた痛みが、記憶が白紙状態のヘンドリックの脳に強烈なトラウマとして刻まれてしまったのだ。
『平坦な板=痛い、厳しい、凶器』
『豊かな胸=柔らかい、優しい、安全』
ただでさえ複雑な記憶のショートを起こしている脳は、自己防衛本能(現実逃避)を働かせ、これまでの確固たる性癖を180度ねじ曲げてしまったのである。
「す、素晴らしい……。昨日は息が詰まるなんて言ってすみませんでした。今は、この圧倒的な包容力に甘えてもいいですか……?」
「よ、よいぞ主君! 存分に私の胸で羽を休めるがよい!」
「ボスがいっぱい撫でてくれるんだゾ! えへへー!」
顔を真っ赤にして騎士の矜持もどこへやらとヘンドリックを抱きしめるサンネと、無邪気に尻尾を振るミラ。二人は突然のデレ期到来に困惑しつつも、満更ではない至福の時を味わっていた。
そこへ――。
「旦那様、朝食の準備が……って、何をしていますの!?」
「ヘンドリック! 朝から破廉恥な……っ!」
トレイを持ったエリーゼと、ルミナリア王女がリビングに入ってきた。
二人は、昨日自分たちを「ダブル神」と崇め奉っていた男が、正反対の属性の女たちにデレデレに甘えている光景を目撃し、愕然と立ち尽くした。
「だ、旦那様! 昨日は私の『つつましい機能美』をあれほど絶賛していたではありませんか! さあ、今日も私を崇めてもよろしくてよ!」
「そうじゃ! わらわの神々しい板のようなフォルムを……」
二人が自信満々に胸を張り、ヘンドリックに近づこうとした、その瞬間。
「……ひぃっ!?」
ヘンドリックはビクッと肩を震わせ、サンネの背後にガタガタと震えながら隠れてしまった。
「硬そう! 痛そう! まな板の角で頭を叩かれそう!! こないで、俺はもう痛いのは嫌だ! 柔らかくて優しい世界で生きていくんだぁぁっ!!」
ガシャァァァンッ!!
エリーゼの手から、朝食のトレイが滑り落ちて粉々に砕け散った。
「ま……まな板の角で、叩かれそう……?」
エリーゼは、信じられない言葉を浴びせられ、真っ白に燃え尽きたように膝から崩れ落ちた。
「わらわの……わらわの神々しい機能美が、凶器扱いだと……?」
ルミナリアもまた、両手で顔を覆い、その場にへたり込んでしまった。
記憶喪失というチート状態での刷り込み合戦。
機能美の神として頂点に君臨したはずの二人は、自らの「物理的暴力」が原因で、たった一晩にして最下層へと転落してしまったのである。
◇ ◇ ◇
部屋の隅。
朝食のパンを齧りながら、ブラムとロッテはその阿鼻叫喚の光景を冷静に見つめていた。
「……なぁロッテ。おっさんの性癖、自己防衛のために真逆に振り切れたな」
「ええ、ブラム君。ですが、あの怯え方を見るに、本能的に『正妻を怒らせると一番怖い』という事実だけは、無意識下に残っているようですね」
歓喜と困惑の巨乳派。
絶対的な絶望に沈むスレンダー派。
記憶喪失のおっさんが引き起こした理不尽な派閥争いは、かつてないほどのカオスを生み出していた。




