第112話:魂の性癖と、ダブル神の誕生
「――よそ見は命取りですわよ、ソロ冒険者さん?」
気配を完全に断つ【隠遁のヴェール】を纏ったエリーゼが、ヘンドリックの真後ろからサンネの大剣の柄を振り下ろした。
完全に意表を突いた完璧な一撃。
誰もがヘンドリックの昏倒を確信した、その瞬間だった。
「……いい所を突いていたんだがな。残念だったな、エルフの美人さん」
ガシッ!
ヘンドリックは振り返りもせず、背後に振り下ろされた剣の柄を、いとも容易く片手で受け止めていた。
「なっ……!?」
エリーゼが驚愕に目を見開く。
「いくら気配を消しても、殺気までは消し切れてなかったぜ。さて、お嬢ちゃんも大人しく石になってもらおうか……ん?」
振り返り、そのままエリーゼを拘束しようとしたヘンドリックの動きが、ピタリと止まった。
彼の視線は、エリーゼの顔ではなく、その首から下のつつましい胸元に釘付けになっていたのだ。
「ま、まさか……嘘だろ……」
「だ、旦那様……?」
ヘンドリックは手から剣の柄を取り落とし、ワナワナと震え始めた。
そして、岩室中に響き渡るような大声で叫んだ。
「あ……これだ!! これだがやあぁぁぁっ!!!」
「は、はい!?」
突然の謎の叫び声に、エリーゼは目を白黒させる。
「なんだこの無駄を一切削ぎ落とした、洗練されたラインは! 戦闘において一切の邪魔にならない究極の空気抵抗! まさに神が創り賜うた完璧な機能美!! エルフのねーちゃん、あんたのスタイル、神か!?」
「えっ、あ、ええっと……?」
呪環の代償によって記憶は完全に改竄されていたが、ヘンドリックの細胞の奥底、魂に深く刻み込まれた『究極のスレンダー好き』という変態的な性癖だけは、何一つ変わっていなかったのだ。
「す、すげえ……俺、お宝よりあんたのそのスタイルに感動してる……!」
ヘンドリックはすっかり戦意を喪失し、エリーゼの平坦な胸元をキラキラした目で食い入るように見つめ始めた。
(……記憶を失っても、私への愛……いえ、私のこの機能美への執着は変わっていないということですのね……!)
状況を即座に理解したエリーゼは、困惑しながらも悪女の笑みを浮かべ、わざと胸を反らしてヘンドリックの注意を完全に釘付けにした。
「そこじゃ! 食らえ、国宝の光!!」
その隙を突き、ヘンドリックの真後ろからルミナリア王女が飛びかかった。
先ほど適当に縛られただけの拘束を自力で解き、王族に伝わるチート魔道具【万象還元の聖具】を額に押し当てようとしたのだ。
だが。
「おっと。背後からの奇襲はもう見切ってるぜ」
ガシッ!
ヘンドリックは振り返りざまに、ルミナリアの手首を的確に掴み取った。
「なっ……わらわの動きまで……!?」
その衝撃で、王女の手からペンダントがポロリとこぼれ落ち、カランと乾いた音を立てて岩室の床を転がっていく。
「お前も石に……って、あれええぇぇっ!?」
ヘンドリックの視線が、再び強烈に吸い寄せられた。
今のルミナリアは、豪奢なドレスでも、魔法のコルセットでもない。戦闘の邪魔にならないよう実用面を極めた、軽装の身であった。つまり、エリーゼに負けず劣らずのつつましいシルエットが、そこにはあった。
「こ、こっちもスレンダー!! 無駄のない洗練されたラインがここにも!? なんてこった、俺は夢でも見てるのか!?」
「えっ? ひゃっ……!?」
「ここには機能美の神が二人もいたのか! ダブル神だ!!」
ヘンドリックは感極まり、エリーゼとルミナリアの二人の前で、まるで神に祈るかのように深々と土下座をしてひれ伏し、崇め奉り始めた。
「おおぉ……至高の機能美よ……! 無駄のないまな板の如き芸術的フォルム……! 頼む、俺のソロパーティーに入ってくれ……!」
最強の男から土下座で崇拝されるエリーゼとルミナリアは、微妙すぎる表情で顔を見合わせた。
「……ルミナリア殿下。私、女として熱烈に崇められているはずなのに、一ミリも嬉しくありませんわ」
「奇遇じゃな、エリーゼよ。わらわも今、理不尽な悲しみに襲われておる。……なぁ、泣いていいか?」
愛する男が正気に戻る手がかりを掴んだというのに、乙女としてのプライドは粉々に砕け散り、二人はどうしようもない敗北感で涙目になっていた。
その時である。
「ん? お、なんか落ちてるぞ?」
二人の前で地面にひれ伏していたヘンドリックが、顔を上げた拍子に、床に転がっていた『何か』に気がついた。
それは先ほどルミナリアが落とした、【万象還元の聖具】だった。
「なんだこのペンダント、高そうだな。俺のモノに……」
欲深いソロ冒険者の人格が働き、ヘンドリックが無防備にその魔道具を拾い上げ、素手で触れた。
ピカーーーンッ!!
「うおっ!?」
ペンダントから眩い聖なる光が放たれ、ヘンドリックの体を包み込む。
『あらゆる呪いや代償を完全に無効化し、失われたものを元に戻す』というチート魔道具の力が、改竄されたヘンドリックの記憶と魂に直接アクセスし、本来の記憶を無理やり引っ張り出し始めた。
「ぎゃああああっ!? な、なんだこれ、頭に色んな記憶が……! 俺はお行儀見習いから逃げて、便利屋になって……いや、俺は金持ちのソロ冒険者で……!」
二つの記憶が激しく交差してショートを起こし、ヘンドリックは目を回した。
「……ふぅ。これで元通りですわね。あまり嬉しくない決着でしたけれど」
エリーゼが深々とため息をつく。
「うむ……機能美などという言葉、二度と聞きたくないわ……」
ルミナリアも疲労困憊の顔で頷いた。
かくして、王国を揺るがすトップランカーたちを一人で全滅寸前まで追い詰めた最強のソロ冒険者は、自身の変態的な性癖と、床に落ちていた光る石をうっかり拾うという自爆によって、白目を剥いて気絶するのであった。




