26 新しい時代
最強の騎士アスラルは、フォルト王国の辺境北部に駐屯する大熊騎士団を率いて謀反を起こした。
雪中での戦いにおいて英雄王リバレッカ率いる王国軍は苦戦し、おびただしい被害を出した。
その挙句、一騎打ちにおいてアスラルが勝利し、新しい王となった。
一時は失脚したカーネルを引き上げ、美しい娘をそばに起き、騎士王アスラルの知世は安定した。
公式の歴史に、シレーネ・フォン・アルテーゼの名前は出てこない。
「マスター、お客様です」
フォルト王国の南の辺境において、街道の先端、うらぶれた宿場町で宿屋を経営するシレーネは、突然の来客を告げられた。
名を隠してはいないが、伯爵家に迷惑がかからないよう、家名は捨てていた。
「私にお客様なんて珍しいわね。わかった。すぐに行くわ」
帳簿に目を通していたシレーネは、机に置いてあった銀の仮面を顔の左側に乗せて立ち上がった。
一時は、顔を隠すのをやめていた。
辺境ではシレーネのことを知る者は少なかったが、銀の仮面をつけた美女であるシレーネに言い寄る男が多数いた。
仮面を外すようになってから、シレーネに近づこうとする男がいなくなったのだ。
たまたま野盗から守った宿屋の経営権を譲られ、宿屋の主人となった以降は、そもそも人前に出ることがなくなった。
シレーネを尋ねて来る者はほとんどいなかった。
王国に指名手配されていたが、アスラルが王になってからは取り下げられていた。
この日仮面をつけたのは、珍しい来客をあえて不快にさせる必要を感じなかったからである。
シレーネが執務室を出ると、廊下で遊んでいたらしい少年が笑顔で振り向いた。
「ママ、遊んで」
「アシオス、お客様なの。でも……いいわ。いらっしゃい」
「はあい」
大きくなれば端正な若者になるだろうと信じて疑わない子どもは、赤い髪をしていた。
肌は透き通るほど白いが、太陽光で頻繁に火傷するということはない。
ただ、顔の左側だけ、大きな痣があった。
火傷が遺伝するはずはない。
シレーネが顔を焼かれたのは、災厄の神による呪いなのだと、シレーネは改めて思い知ることになった。
シレーネはアリオスの手を引いて歩こうとしたが、何にでも興味を持つ幼い命は、壁のシミを見つけては歓声を挙げた。
あまり客人を待たすのも悪いと感じ、シレーネは小さな子どもを抱え上げて移動した。
宿屋である。
正体がわからない客人なら、受付前のロビーで接客するのが当然だ。
だが、シレーネが受付に顔を出した時、いつもの受付係の中年の男性以外には誰もいなかった。
「私にお客だと聞いたのだけど?」
「ああ……それなら、あちらの飲食店で待っていると仰いましたよ」
「そう。それほど待たせたわけではないと思うけど」
シレーネは言いながら、アシオスを床に下ろした。
アシオスは人見知りをしない性格で、多くの人が行き交う場所が好きだった。
シレーネから解放されると、まだ人影もまばらな飲食店を覗きに行った。
世の中が安全ではないことを知るシレーネは、自分が一緒でない時にアシオスが一人で店にいることを許可しなかったのだ。
我が子を追うようにシレーネが続くと、併設している飲食店の、一番暗い場所に頭からマントを被った人影がいるのがわかった。
そのほかにも数人の客がいるが、いずれもシレーネに奇異な視線を向けている。
左の顔を隠した女であれば、奇妙に思っても不思議はない。
だが、いずれも一般客だ。
シレーネが経営するようになってから、うらぶれたはずの宿屋に、人足が耐えたことはなかった。
シレーネは、もっとも薄暗い場所にいるのが、自分を尋ねてきた客だと確信して近づいた。
武器を起き、宿屋の主人として暮らして数年になる。
戦いからは遠ざかっていた。
それでも、シレーネは予期せぬ客に不用意に近づくことはしなかった。
相手の姿を認めると、ネズミよりも小さく足音を殺し、自らが存在しているという気配すら絶った。
相手の背後に回る。
シレーネの存在に気づいていない。
素人だと、シレーネは判断した。
「私がこの宿のオーナーよ。私に用だと聞いたけど? クレームなら、宿泊客になってからにしてよ」
シレーネの突然の問いかけに、全身をローブで覆った客は身じろぎすらせずに答えた。
「本当に、シレーネなんだな」
客の体が小刻みに震えた。その言いぶりから、シレーネは初めから接近したことを感づかれていたことを悟る。
だが何よりも、声にも、話し方にも聞き覚えがあった。
「あなた……」
客が振り返る。
フードが落ちた。
全身を、鋼鉄の鎧で包んでいた。室内でフードを被っているというのに、ヘルムで頭部を覆っている。
「俺は、文句をいいに来たんじゃない。だが……文句を言われるのであれば覚悟はしている。教えてくれ。俺は、何を間違えた?」
「なんのこと?」
シレーネには、男の言うことがわからなかった。男は何も間違えてはいない。
シレーネは男の元を去り、シレーネが望む通り、王になってこの国を強国に導いている。
「どうして俺は、シレーネを失った?」
アスラルは変わらない。シレーネは、自分の口元を覆った。
声を出せなかった。
背後から、足元に抱き疲れた。
「ママ、お客さん?」
「アシオス……あなたの、パパよ」
「パパ?」
色白の肌をした赤髪の子どもが、小さく首を傾げた。
「俺の子どもか? あの時の……」
アスラルは、シレーネの足元にしがみついている小さな戦士に顔を向けた。
「ええ。たった一度……それでできたのだから、よほど相性がよかったのね。隠しても無駄でしょう? だって……」
「ああ。瓜二つだな。左側の痣は、ヴァルメスの呪いらしいな」
ヘルムを被っているため、表情は見られない。
だが、短い一言でシレーネはアスラルの変化を感じた。
「もう、災厄の神を陛下とは呼ばないのね」
「ああ。陛下と呼ばれているのは、今は俺だ。俺を利用して、ヴァルメスは世界を滅ぼしたいんだそうだ」
「そう。それなのに……まだ従うの?」
「シレーネ、頼む」
アスラルは、ヘルムに手をかけた。
シレーネはアスラルの意図を知り、脱ぎ捨てたフードを拾い上げた。
アスラルがヘルムを脱ぐ。
同時に、シレーネはフードでアスラルの頭部を隠した。
シレーネは自分の背にフードを広げ、アスラルに覆いかぶさるように陽の光が当たらないよう防いだ。
シレーネの胴体が、自然にアスラルに接する。
フードの下から、アスラルの顔が見上げていた。
「シレーネ……頼む」
アスラルは、同じ言葉を口にした。
「わからないわ。私に、何をさせたいの?」
「この世界を滅ぼすわけにはいかない。ヴァルメスを止めなければならない。カーネルも味方だ。後はシレーネがいてくれれば……俺は負けない」
「私なんかいなくても、アスラルは負けないわ」
「ああ。そうかもしれない」
アスラルがヘルムを戻し、シレーネはフードを外した。
シレーネの足元で、アシオスが不思議そうに見上げている。
「本当の理由は?」
アスラルは強い。シレーネの助けが必要だとは思えない。カーネルが味方なら、なおさらシレーネの出番はない。
「シレーネを迎えに来る口実が欲しかった」
「……アスラル、あなたって人は」
シレーネは吹き出した。
「ああ。俺は愚か者だ」
「世界一よ」
「わかっている」
「なにもかも、台無しじゃない」
「そうだな」
「アスラル、もういちど聞くわ。私にしてほしいことはなに?」
「俺のそばにいてほしい。ただ……それだけだ」
「私、可愛い女じゃないわよ」
「そばにいてくれればいい。そばにいて、俺を罵っても、蹴飛ばしてもいい。ただ、シレーネにいて欲しいんだ」
「あなた、国王なのよ」
「王妃は嫌か?」
「まあ、嫌ではないけどね」
「決まりだ」
アスラルは言うと、シレーネを抱きしめた。
アシオスは持ち上げられた母親の姿に、満面の笑みを見せる。
伯爵令嬢の逆襲は、これから始まるのだ。
今話で完結です。最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
次作は、公式企画の「勇気」に合わせた悪役令嬢ものを準備しています。
そちらもお付き合いただければ幸いです。




