大神官様は青瓢箪だった
久我根様の帰還のお祝いは中央の母屋で行われる。
朝からお祝いの準備で、家司や侍女達は誰もが忙しそうに走り回っている。
母屋の格子や御簾も全部巻き上げられ、几帳や衝立や衣裳箱なども全部片寄せられて、柱だけの大きな空間になった。
東の対でも格子は上げられているのだけれど、御簾は下の方まで下ろして、更に内側に几帳を立てて中が見えないようにしてある。
午後になると、お屋敷にお客様の男性達や、一族郎党が何人も詰めかけてくる。
東の対の前の廊下を通っていく人達も多い。
あたしはすずちゃんと東の対の几帳の陰から、そっと覗き見をする。
「ほら、大神官様がいらっしゃいました。後からは巽様もご一緒にいらっしゃいますね」
あたしは急いですずちゃんの指し示した方を見ると、黒い烏帽子をかぶり派手な模様の付いた神官服を着て、周りを小馬鹿にしたように見回しながら、偉そうにふんぞり返って歩いて来る五十歳代くらいの男性がいた。
一目見てすぐあれが大神官様だとわかる。
その後ろから真っ白な神官服を着て、まっすぐ前を見て歩いて来る巽様が見えた。
大神官様との対比で、巽様のすっきりとした美しさがより際立っている。
巽様は何度見ても凛々しく、眩しく輝いている。
お顔もお姿も特別な美男子で、あたしとすずちゃんは思わずため息をついた。
巽様が歩いていく先々で、几帳の陰からざわめきが起きるのは、憧れている侍女達が他にもいるからに違いない。
大神官様は寝殿の母屋の中に入られたが、巽様は母屋の東側の外廊下に控えて座られた。
あたしが覗き見ている東の対の几帳からはまっすぐ前なので、巽様の背中が見えてちょっと嬉しい。
何故か巽様の事を思い出したり、お姿を見たりすると未だに顔が熱くなってドキドキしてしまう。
相手から見えないので安心してジッと巽様の背中を見ていたら、背中に視線を感じたように、ふと、巽様が振り返った。
そのとたんに、何か明るい光の道のような物があたしには見えた。
暗い空から一筋の明るい光があたしに差し込んだような、優しい穏やかな気持ちになって、心が暖かくなる。
巽様を見ただけで、どうしてこんなにフワフワした幸せな気分になれるんだろう。
中央の寝殿では、全員が揃った所でまず報告会が始まったようだ。
報告会は何か紛糾している様子で、時々熊のお館様の大きな声が聞こえてきたりする。
那加国との戦争のことを話しているのかもしれないと思うと、ちょっと恐ろしい。
戦争なんて起きませんようにって思う。
夕方近くなると侍女達がまた慌ただしく動きはじめる。
報告会が終わって、そろそろ宴が始まるらしく酒や肴が運ばれていく様子も見える。
東の対にも食事が運ばれてきて、あたしも夕食を食べる。
今日は確かにご馳走だ。
いつもよりも品数も多いし、食べたことのないおかずもあったのは那加国からのお土産の品だったのかもしれない。
しばらくすると母屋ではお酒が入って一層賑やかな声が聞こえて来る。
誰か、下手な歌を歌っている人もいる。
横笛を吹く人がいて、何人かで声を合わせて歌ったりする。
ドッと笑い声が聞こえてきて、いかにも愉しそうだ。
そのうち廊下を渡って東の対の方にやってくる男性が何人もいる。
すぐ近くの廊下の端に座って、鼻歌を歌う人がいたり、庭に降りる階段に腰をかけて月を眺める人がいたり、何となく横目でこちらを意識している様子で、チラチラと御簾の下から出されている几帳の辺りを眺めたりしている。
「ああ、酔った、酔った、飲み過ぎたようだ」
近くに来て言っているのは三郎様の声だ。
あれだけ刀自様に詰られたのに、まだあたしに求婚することを諦めていないんだろうか。
それに三郎様の(酔った、酔った)は、もうバレバレですから。
酔った振りしてまた近づいてきたら、今度こそあかね様に告げ口しちゃいますからねっ!
すると、また新しくやって来た人の声で
「かぐや姫様とか言う方はこちらか」
というと、強引に御簾をちょっと押し退け、上半身を部屋の中に入れてそこにあった几帳を横に引いた。
そのまま入り口に腰掛ける。
大神官様だった。
あたしは幸いにも、三郎様が近づいてきた気配に奥の方に引っ込んでいたから、もう一枚の几帳の陰にさっと隠れることができた。
あたしもだいぶこの世界に慣れてきて、油断して男性に顔を見られないように注意するようになったのは、久我根館の侍女達の教育の成果だろうね。
大神官様は顔色が青黒くて、お酒を飲んだせいか鼻と目元が赤くなっている。
少し傾いた烏帽子から広い額が丸く飛び出していて、頬骨が横に張っているので目が小さく窪んで見える。
全体にお顔が間延びしていて締まりがなく、鼻先も大きく垂れている。
おまけに鼻の下に長い髭があるのだが、いわゆるドジョウ髭という形で、情けなくヘニョンと垂れ下がっているので更にお顔が長く見える。
刀自様が大神官様を『青瓢箪』っていったけど、なるほどピッタリのネーミングかもしれない。
姿形はその人の能力とは関係なく、巽様が大神官様の神通力を高く評価されていたから、ご祈祷のお力はあるのかもしれないけれど、あたしはなんだか刀自様の評価の方が正しいような気がして来る。
「むろん我が名はご存じであろうが、我こそは日見国の最高の権威と崇められるべき大神官である、茅原野稲比古であるぞ。
いずれにあっても、最も上座に座する事が当然なり」
と、言って更に中に入って来ようとする。
あたしは傍にいたすずちゃんに、刀自様を呼んで来てもらうように小声で頼む。
この近くにいるのはあとはまつ様だけになった。
まつ様は平伏していて何も言わない。
「いかに月の国のかぐや姫様と称されても、勝利の聖託も頂けず、何の用にも足りぬ女の童にすぎぬではないか。
人を脅して急ぎ月の国に帰らんとするなど、身の程知らずの戯言なり。
我が類い稀なる神通力を用いれば、不可能なる事など無けれど、今はまだその時に非ず。
この非常時に、勝利の女神様の聖託を頂くことこそ一大事ぞ」
はい、はい、あたしが何の役にも立たない事はあたしだってよく知ってますよ。
でも、あたしは好きでこの世界に来たんじゃないんです。
何とか元の世界に戻してもらえればいいだけなんです。




