匂い起こせよ梅の花
誤字や句読点を時々直していますが、ストーリーに関係するような変更はしていません。
よろしくお願いいたします。
「せっかくの新しいお着物ですから、お召し替え致しましょうか」
すずちゃんがそう奨めてくれるし、あたしも巫女のアルバイトの時のまま三日も同じ着物を着ているので、着替えをすることにした。
今まで着ていた着物や袴は、脱いだ後はすずちゃんが衝立に広げて掛けた。
洗ったりせず、風を通してから畳むのだそうだ。
今度の着物は袴が長くてとても歩きにくいけど、新しい着物はやはり気持ちがよかった。
髪もちょっと整えてもらってから、この世界に来てから初めて鏡を見る。
金属を磨いて作ったらしい丸い鏡には、何だか薄ぼんやりとした顔が映っている。
あたしのことを皆がとても美しい、と口々にいうから、もしかしてすごい美女になって別世界に転生しているのかも、って少し期待していたんだけど、残念ながらいつものあたしの顔だった。
しかも、何だか歪んで見えるし、顔色も悪そうで、ちっとも美人に見えない。
決めた、もう鏡を見るのはやめよう。
すずちゃんがうっとりしたように眺めて「まことに清げで......お美しい......」といっているのは、新しい着物を着たせいで勘違いしているのに違いない。
残念な鏡はすずちゃんに片付けてもらって、次は三郎様から貸してもらった巻物を見る。
新しい巻物ではなく、ちょっと古ぼけているし、なによりミミズの這ったような字で書いてあって全然読めない。
すずちゃんもまだ字はあまり読めない、と言うので、文と文の間に入っている絵だけを見る。
どうやら若い貴族の男性が、遠い場所に居る女性のところに訪ねて行くような物語らしい。
舟に乗ったり、山道を越えていったり、途中で恐ろしい魔物に襲われるけれど、神様に祈ると、あら不思議、空から眩しい光と共に女神様が降臨して、ペラペラの紙を渡してくれ、それを掲げると魔物は退散し、貴族の男性は無事恋人に会えました、めでたし、めでたし。
そんな感じの物語だった。
そんな上手い話なんてあるわけ無いよ、と思ったけれど、そっか、《女神様の召喚祈祷》というのは、このことだったんだ、この絵巻物語はフィクションじゃなくて、実録物語だったのね。
愕然としてまたその絵巻を見ていたら、神官の巽様が訪ねて来られた。
まだ曇ってはいるけれど、雨は止んだようだ。
巽様は足音も立てないくらい静かに部屋に入って来た。
そして廊下に近い端の方に座ると、丁寧に長い挨拶をしてから話し出す。
「姫様のお望みのように、月の国にお返しする術は無きかと、持てる書物をすべて探りましたが、見つける事は叶わず......わたくしの力では、姫様をお返しする術はありませぬ......力及ばず大変申し訳のうございます」
巽様は平伏したまま言葉を続ける。
元はといえば、あたしが『月から来たかぐや姫』なんて言ったから、神官の巽様に無理筋で、あるはずの無い術を探させてしまったのだ。
「いいえ、巽様には色々と骨を折って探していただき、ありがとうございました。どうぞ、それほど責任を感じないでください。どうかお顔をあげて、遠慮せずもう少し近くに寄ってお話ください。」
巽様はハッと顔を上げて「わたくしの名をご存知か......」とつぶやくと、膝で少し近くに進む。
気落ちしているように見える巽様の気分を変えたくて、あたしは雨乞いの祈祷のことを話すことにした。
「ゆうべは雨乞いの祈祷をなさったそうですね。嵐のようだったけれど、久しぶりに雨がたくさん降ったので、皆が喜んでいたようですよ」
何故か巽様は顔を赤らめた。
「いまだ力足らずの若輩者で、心の乱れが過ぎた嵐を招いてしまいました。お恥ずかしき次第でございます」
「雨が少ないよりは良いのではないでしょうか」
あたしはすぐフォローした。
巽様に対するあたしの態度は、三郎様に対する態度と全く違っているけど、巽様は尊敬すべき聖職者だし、とても謙虚で責任感もあるし、礼儀正しい好青年だから良いのだ。
決してあたしが好意を抱いたから、えこ贔屓しているのでは無い、たぶん。
「その事でございます......大神官様をお迎えに上がった使いの者が戻りまして、この雨で途中の川が溢れ道中が難儀しておるとのことで......お戻りが遅くなるそうでございます。
ただ、いずれ近々大神官様はこちらへ戻られ、大神官様の神通力で必ずや姫様の望みは叶うと信じております」
少しぐらいの嵐でも帰る道が塞がれるというのでは、大神官様の神通力というのは大したことが無いのじゃないか、と心配になるけれど、
「大神官様は、あたしを元の国に戻してくれるほどすごい神通力をお持ちなのですね」
「左様でございます。三国一と讃えられるほどの神通力をお持ちの大神官様でございます。一度聖詞を唱えて神に祈らば、叶わぬ祈祷はあり申しませぬ。とりわけ女神様に勝ち戦の祈祷を捧げられれば、必ず聖託を頂けるのでございます」
嵐のせいなら仕方がないが、大神官様のお戻りが遅れて、あたしが元の世界に帰るのが遅くなってしまうのはちょっと残念だった。
それまではもう少し、この平安生活が続くということか。
「ただ......姫様は......お館様の......お方様となりて......東のお屋敷に移られるともお聞きいたしましたが、月の国にお帰りになられても宜しいのでございましょうか?」
ん!なんですと!今、何とおっしゃいましたか?
「誰がそんなことを!......あたしは三郎様とも、まして東のお館様となど、絶対、ぜぇーったいに、結婚なんてしませんからっ」
あたしは思わず大きな声で叫んでしまい、その勢いのまま立ち上がってしまった。
すずちゃんがあたしの着物を掴んで立ち上がりを阻止しようとしたけれど、間に合わない。
あたしは驚いて目を見開いた巽様と、まっすぐに見つめ合ってしまう。
目が合った途端に、あたしはカァーッと顔が熱くなって、慌てて座り込む。
なんてはしたない言葉と振る舞いだと、いつも礼儀正しい巽様は思われたに違いない。
......やってしまった......。
気まずい空気のまま、巽様はそそくさと別れの挨拶をされると、静かに帰って行かれた。
あたしは自分のしたことに落ち込んでしまったので、夕食を食べると早々に頭が痛い、と言って誰の面会も断って寝てしまうことにした。
寝る前にすずちゃんが部屋を片付けていると、何かを見つけて持って来た。
それは今にも咲きそうな蕾がニ、三個付いた梅の小枝で、根元に白い水引が結んである。
手紙などは付いていない。
誰が落としたのだろう、三郎様が荷物を持たせてやって来たときは、侍女頭様がちゃんと綺麗に後始末していたのだから、三郎様ではない。
だいたい黙って梅の花を贈るなんて、三郎様には似合わない。
そうだとすると、やはり巽様なのだけど、巽様は女性と契りを結んではいけない神官様だから、そんな風流なことは出来ないはずだ。
まさか、あたしのはしたない言動に呆れて、こんな風流は似合わないと投げ捨てたのじゃないよね。
或いは勇敢な娘が、擦れ違いざまに巽様の袂に投げ入れたのが帰る時にこぼれ落ちたのか、そのあたりが一番妥当なところだろう。
......きっとそうに違いない......
そのあと、すずちゃんに竹筒に水を入れて持ってきてもらって、梅の小枝を挿して枕元に置いていたら、夜に仄かに梅の花の香りがした。
三郎様だけじゃなくて、熊のお館様まで結婚をあきらめていなかったとは、聞いてビックリの事態でした。




