19 三跪九叩頭の礼。
次の日の放課後。
私は、昨日迷惑をかけた方々一同に声を掛けて、生徒会室に集まっていただいた。
真子。兼子。後輩の森竹氏。美術部の塚村嬢。そして…志賀君。
みな、昨日の私の痴態で不愉快な思いをさせてしまった方々だった。
本来ならクラスのみなや高城先生にも声を掛けたかったのだが、そちらには後々、行動と誠意をもって示して行きたいと思う。
一同の表情は、どれも硬い物だった。無理もなかろう。あの様な痴態をさらけ出した張本人が、その翌日に、わざわざこうして改めて呼び出したのだから。
むしろ、よくきてくれたと感謝したい。
真子などは、また何かされるのではないかと思っているのだろうか。先ほどから兼子の傍にずっと寄り添っていた。
誰もが、私の口から何が飛び出すのだろうかと身構えているのが分かる。室内の空気は張りつめたままだった。
…よし。
私は深呼吸すると、その決意を示すべく口を開く。
「――みなさん」
みなの視線が突き刺さってくる。私はもう一度深呼吸して、同じ言葉を繰り返す。
「みなさん。今日はお忙しい中をお集まりいただいて、まことに恐縮です」
「…文ちゃん先輩?」
「昨日は、この私の醜態で、みなさんには大変不愉快な思いをさせてしまいました。深く反省しております。昨日の私はどうかしておりました」
「か…かいちょ?」
私は深々と頭を下げて一礼した。そのまま膝を折り、床に正座してもう一度土下座。
「もちろん、単に謝罪の言葉だけで済まそうとは思っておりません。そこで…」
私は頭を上げると、手にしていた鋏を目の前に置いた。
「ここは、みなさんの手で、この鋏でこの髪をばっさりと切り落としていただいて、その溜飲を下げていただきたく思う所存です。どうかこれでご勘弁いただきたい」
私は再び深々と頭を下げた。この程度で己が無様な所業の責任が取れるとは思えないが、せめてもの贖罪になればと思うのだ。
「…え?ちょ…ちょっとかいちょ?」
「文…さん?」
「…鬼橋…会長…?」
「文ちゃん…先輩…?」
誰もが、一様に唖然としている。私の言った意味を分かっていただけなかったのか?
「……その心意気や天晴」
私の心境をご理解いただいたのは、塚村嬢だけの様だ。
「本来ならここでこの腹かっさばき、どなたかに介錯をお願いしたい所ですが、さすがに現代ではそれは犯罪行為になってしまいますので、どうかこれにてご勘弁を」
「…そんな、引退した力士の断髪式じゃないんですから」
「いやアレは刑罰とかで断髪するワケじゃ…」
「ダメ!ダメですっ!かいちょの髪、綺麗で憧れてるんですから」
「私も賛成しかねますよ」
「お、オレも反対ですっ!鬼橋会長のロングヘアにはファンも多いんです!もちろんオレもそのひとりです!」
ふう…。これでは許してもらえないのか。ならばっ!
私は左手で自分の髪の毛を束ねると、右手で床に置いた鋏を手に取り、自ら鋏を通そうとしたのだが、その手は誰かに取り押さえられてしまった。
「え…あ…志賀君?」
「やめてください、文ちゃん先輩」
「でも…」
「でもじゃありませんよ」
「そ…そうだ義治!よくぞ止めてくれた」
「止めてくれるな志賀君!こうでもしないと私の気がおさまらないのだ」
「それで文ちゃん先輩の気はおさまるんですか?」
「あ…うん」
「でも、僕はおさまりませんよ。僕だけじゃない。ここにいる誰もが同じ気持ちだと思います」
「む…そうか。そうだな。こんな程度では、あの失態は拭えないという事で…」
「だからぁ、そうじゃなくって…分からないかな、この石頭は!」
「い…石頭?」
「誰も、文ちゃん先輩にそんな事をやってほしいだなんて考えてませんよ、ね?水嶋さんだって」
「へ?あ、も、もちろんですかいちょ!昨日の事?さて、な、何の事だか忘れちゃいましたし」
「ほら、真子ちゃんもああ言ってくれていることですし」
「それでは私の気が…」
「だから、そんなに自分を追いつめるなって言ってるんだよこのバカ!」
え…?今、志賀君、私の事バカって言った?
…志賀君にバカって言われた。言われてしまった。
急に目頭が熱くなる。でも、それは悲しいからじゃなかった。
何だろう、胸の奥が熱くなって…何だか、嬉しさがいくらでも湧き出してくる様な…
志賀君の気持ちが伝わってくる。いいや、志賀君だけじゃない。ここにいる誰もが、私の事を気遣ってくれているのが分かる。
涙が込み上げてきた。
昨日と同じだ。志賀君の歌を聴いた時と同じ、とても満ち足りた気持ちになって…
「わー!泣かないで!」
慌てた志賀君が、自分のハンカチを私の目に当てがってくれた。
くすん…うん。そうだな。また昨日の様に、目の奥から何か這い出てこられては堪ったものではない。
「う…うん。今日は泣かない」
「はい。ちーんして」
ちーん。
「あ…ありがと志賀君。助かりました」
「いえ、何事もなくてよかったです」
昨日、一度経験しているとはいえ、彼のこの気遣いには感謝しても足らない…む?
妙な気配の視線に気がついて、そちらの方を向くと、真子と目が合った。
「…かいちょ」
「な…何…かな?」
「かいちょと志賀君、いつの間にそんなバカップルになったんですかぁ?」
「バカップル」…?知らない単語が出てきたな。どういう意味なのだろう。それよりも、何故にその様な呆れた様な、もしくは憐れんだ様な視線を向けてくるのだ真子よ?
「…『バカップル』というのはですね」と、兼子が私の耳元で囁いた。ふむふむ。
「『バカップル』というのは、周囲の目もはばからずにイチャついている、ド!アホウ!!で腐れた恋人さんたちの事を総称した、とてもお素敵な造語ですよ」
…な…何で兼子までその様な目線で私を見るのだ?しかも、いつもは決して彼女の口からは出てこない様な単語まで使うとは…
「そ…そんな言葉は私は知らないぞ?」
「でしょうね。私も誰が言い出したかは存じませんが、いずれは世に広まる事でしょう。例えば文さんと志賀さんの様な、とても仲のおよろしい方々が存在する限り」
「仲がよろしいだなんて…ねえ志賀君?」
「あー…ええっと…」
私の彼氏さんは、明後日の方角を向いているだけだった。
「あーあ。何事かと思って来てみれば、何だ、義治と鬼橋会長のラブラブな所を見せつけられただけかぁ」
森竹氏はそうぼやくと、夕暮れの窓の外に向かっていった。
「ちくしょー!いっそ爆発しちまいやがれーっ!!」
…血を吐く様な、心からの叫び声だった。
「良い物を見せていただいた。眼福、眼福」
と、こちらは満足そうな塚村嬢。
「芸の肥やし。ネタ帳のストック。夏の晴海はこれでゆこう」
…?何の事だろう。
「――まったく、一時はどうなる事かと思いましたよお」
バスの吊り革を握りしめたまま、志賀君は呆れた様な声で言った。
「ま…まあ、そう言わないで下さい。あの時は、ああするのが一番だと思ったんです」
私は、まだ痛む額を押さえながら謝った。
あの後。謝罪すると言う私と、いやしないでいいと言う志賀君たちの間で多少揉めたのだが、結局、どうしても一度は謝罪の気持ちを形で示したいという私の意を汲み取っていただく事になったのだ。
三跪九叩頭の礼。本来は刑罰ではなく、中国に古くから伝わるという儀礼だ。号令と共に跪き、頭を都合9回、地面に打ち付けるという、中々にハードな作法で、元々は神仏に対する畏敬の念を示すために行われていたのだが、やがて臣下が皇帝に対して礼儀として行う様になったのだと聞く。
今回の私の失態を、快く許してくれた一同に対しての深い感謝の念と、自らへの戒めとして、私は知識の中にあったこの方法を選んだのだ。
陽も落ちる頃に、ごつん!ごつん!と響く叩頭の音。結局、真子をはじめとした一同の制止で、この謝罪は最後まで敢行される事はなかったが。
「まだ、痛みます?」
「うん…ちょっとだけ」
「…本当に石頭なんですから」
「むー。ひどいですよ、それ」
私は苦笑したが、彼の言う通りだとは思った。
…あれ?こんな台詞、どこかで聴いた覚えがあるな。うん。まあ、気のせいだろう。
生徒会室での騒動の後、私と志賀君は、二人で悠久堂に行く事にした。今回の騒動の原因が、あの人形にあるのではないか…などという事など、異形どもの存在を知る彼にしか相談できない問題だ。
時間も遅いので、一度お互いの家に電話を入れて帰宅が遅くなる旨を伝えておいた。
志賀君のご自宅とはまったくの逆方向になるので、彼の愛車「自由の翼」号は、昨日に続いて今日も校内の駐輪場に置き去りになってしまったが。
それからバスに乗って、今ここにこうしているという訳である。
「…で、文ちゃん先輩は、やっぱりその…フランス人形?とやらが原因ではないか、と?」
「ええ。昔、聞いた事があるんです。ニンゲンの意識を封じ込めたお人形には、他のニンゲンの精神に影響を与える物もあると」
「そういう物なんですか。でも、あの時は僕も同じ店内にいたのに、何も感じなかったんですけどね」
「それは…その…」
「何です?」
「私は…その…暗示に掛かりやすい…ので…」
先日、志賀君を殺しかけたのもこれが原因。
認めたくはないが、これは私の最大の弱点だった。
「あー、なるほど」
そんな乙女の心の内も知らず、妙に納得した顔の志賀君。まったく、少しはキミも成長したかと思えば。
バスはやがて田町のバス停に到着した。ここから悠久堂へは、ほんの数分の距離だ。
途中、お腹も減ったので、角のたこ焼き屋さんに立ち寄った。ええ。そうです。そこから漂ってくる、嫌が応にも胃袋を刺激してやまない、ソースの香ばしい匂いには勝てませんでした。
私たちは、お店の脇にある小さなテーブルに向かい合って座った。
「あー懐かしいなあ。親父がまだ退職する前は、このお店のをよくお土産に買ってきてくれたっけな」
「ふふ。そうだったのですか」
私もひとつパクついた。程よい酸味のソースが口内に広がる。
「あつっ!」
「でしょーねぇ」
「もう!笑わないで下さいよぉ。あ、そういう志賀君だって、頬に青海苔付いちゃってるじゃないですかあ」
「え…?あ、ホントだ」
慌てて自分の顔をごしごし拭く志賀君。
つい先日の私…あの「情欲」とやらに取り憑かれていた私だったら、こんな時は、きっと破廉恥にも彼の顔をぺろぺろ舐めまわしていた事だろう。…あれ?それは、あのお人形のせいだったっけか?…ああそうだ。そうじゃないか。だって、それを究明するために、私たちは今、こうしてここにきているのだから。
《そうそう》
そんな些末な事を考えてしまうのも、まだ私が本調子ではないという事なのだな。
…いずれにせよ、今の私には、彼の仕草を愛おしいと思う事はあっても、先日の様な淫靡な感情が湧いてくる事はなかった。
空腹を満たした後で、私たちは悠久堂に入った。すでに店長の亜弓さんには、これから伺う旨は電話で伝えてあったので、彼女は快く出迎えてくれた。あのお人形の事も話したのだが、もちろんそれが魔道的な理由だからとは打ち明けてはいない。
その事もあって件のお人形も、私たちが来店した時には、もう棚から降ろしてテーブルの上に置かれていた。
…どう見ても普通の骨董品にしか見えないが、油断はできない。あまり凝視していたら、また先日の轍を踏みかねないのだ。そう思うと、ガラス製の無機質な青い瞳も、どことなく不気味な物に思えてくる。
「それで亜弓さん。このお人形は、いつ頃から置いてあったんですか?たしか、去年にお邪魔した時には、お店の中で見た覚えはなかったのですが…」
「あはは。それがねえ、実はわたしもよく分からないんだ。これって、ついこの間まで店の奥の倉庫の片隅に放置されてた物だからね」
「何だよアユミ姐。このお店って、そんないい加減な代物を売ってるの?」
志賀君が呆れた様に言う。しかし、亜弓さんの言う事も道理だ。何せこのお店は、彼女が店長に就任される前は「あの」鮎子おねえちゃんが切り盛りしていたのだ。どんな由来の物があったとしても不思議ではない。
「ほほうハル坊。チミも随分とご大層な事を言う様になったじゃないの。お姐さんは嬉しいぞぉ…ふふふ。うふふふふ」
「あ…いや…失言でした。謹んで前言を撤回させていただきますです、はい」
「上々」
ふふ。この二人は、本当に姉と弟みたいなのだな。
急に畏まってしまった志賀君を見ていて、私はつくづくそう思ったのだった。
こんな事を言うと、志賀君ならば「そういう文ちゃん先輩だって、鮎子先生の事を『おねえちゃん』なんて呼んでるじゃないですか」と笑うだろうが。
「それで文ちゃん。この人形に、何で急に興味を持ったの?」
「あ…いえ、前にお邪魔させていただいた時に、ちょっと可愛いな、なんて思ったものですから」
本当の理由などを言ったところで、事情を知らない亜弓さんからすれば、何の事だかまるで分からないだろう。
「あー、ハル坊が中古のストラト買った時ね。ふむふむ。…で、どうする?買う?」
…そこまでは考えていなかった。しかしどうしよう。できれば、このお人形を鮎子おねえちゃんに見てほしいとは思うのだが。
「…あ、いえ、欲しいのは山々なのですけれど…その…先立つ物が…こんな年代物、きっとお高いのでしょう?」
「ふむふむ。予算はどれくらい?」
私は自分のお財布の中身を思い出して、絶望的な気分になった。恐る恐る希望金額を口にすると、亜弓さんは指を3本突き出して、
「あ、じゃあ300円くらいでどう?」
と、予想もしない金額を提示してきたのだった。
「「はぁ…!?」」
私と志賀君は、口をそろえて素っ頓狂な声を挙げてしまった。
「え?まだ高い?困ったな、これ以下だと流石に足が付いちゃうんだけどね」
「そ…そんな値段で…いいんですか?」
「いいよいいよ。どうせ素性も分からない様な代物だもの」
「だ…だってこんな高級そうな…それに舶来物でしょうし…」
「あはは。それはないない。わたしの見立てじゃ、コレ、多分国産品の紛い物よ」
「え?そうなんですか」
「そうそう。ただのバウブル。安ピカ物だから、気にしないでいいよ。どうする?」
「かっ、買いますっ!」
「上々」
「ありがとうございます!」
私は深々と頭を下げた。流石に今回は、頭を床に打ち付ける様なマネはしないけれど。
「…まあ、この子ってば、たまぁに夜中に何かぶつぶつ呟いてる様な事があるかもしれないけれど」
……え?
「ふふふ。たまぁに、よ。たまぁに。でも文ちゃんなら慣れてるでしょ?こういうの」
…怪しい。やはり露骨に怪しい人形だったのだ。この代物は。




