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その十三
合宿で運転免許を取りにいったときも初日はなかなか寝つけなかったので、こんな状況においては夜中の一時二時までまったく眠れなくても、ぼくはあせったりしなかった。
ところで、経験した人ならわかるはずだけれど、合宿免許というのは、わざわざ泊り込みというスクランブル態勢をとっていても、そういうルールなのか、一日に何時間も講習を受けられるわけではないから、幾日かすぎると、なにげに暇を持て余し気味になってしまう側面がある。
日中でさえ、持て余し気味なのだから、夜になると、そのたいくつさはさらに強度を増すことになって、だいたい若い連中があつまっている大部屋などでは、そうなってくると、いわゆる武勇伝みたいなものをいよいよ開示しあうことになるわけだが、当時はいまよりもずっと純情だったこのぼくでさえも、ダージリンティーをブランデーだと偽って寝床でちびちびやるくらいの自負心はもっていたので、合宿生活も日をかさねて滞在十四、五日目くらいになると、十九歳にして異性の経験が千六百七十八人で、小六時代、ハイキング中に遭遇したヒグマをドロップキックで追い払っていて、馴染みの寿司屋も全国に九百十八軒ほどある男にまで、のぼりつめていることになっていたのだった。
もっとも、その大部屋には南極までゴムボートで行っている奴もいたし、シルヴィ・ヴァルタン似のフランス人と遠距離恋愛している奴もいたし、実家と官邸が地下でつながっている奴もいたので、これだけの男であっても大部屋の全員からかしずかれたりすることも最後までなかったのだけれど、
「沢田さん、そろそろ起きてください」
と翌朝起こしてくれたマリア・ローザさんは、こんなものすごい男であるぼくに気を使ってくれたのだろうか、朝から黄色のビキニといういでたちになってくれていて、
「あっ、すいません、すぐ準備します」
とぼくがむっくり立ち上がるなり洗面所にそそくさと向かうと、ローザさんは、
「ゆっくりでいいわよ。準備はできてるから。プールにお水も、もう入れてあるの」
ということで、
「また早合点か……」
要は洗礼をさずけるのにプールのなかに自身も入るので、このようないでたちに早朝からなっているのだった。
ビキニ姿のまま甲斐甲斐しく淹れてくれた紅茶を飲むと、ぼくはさっそくマリア・ローザさんからの洗礼を受けるためにローザ邸のお庭にサンダルを借りて出たのだが、ローザさんのおっしゃるプールというのは、例の子ども用のビニールプールだったので、
「ああ、神さま!」
うんぬんとローザさんにみちびかれて、そのプールにざぶんと仰向けに倒れたときには、なんていうのだろう、ぼくは初めて理髪店ではなく、美容室というモダンなところに髪を切りにいった青年が、洗髪のとき前かがみではなく、仰向けの体勢でこういうモダンなところでは髪を洗ってもらうことを知ってまず驚愕し、さらに洗ってもらいながら女性の美容師さんの胸が思いのほか豊かであったことに気づいて驚愕し、さらにその豊かなものが、ある一定のリズムで自身のお顔に接触してきてくれることに歓喜、驚愕して、もう洗髪がおわるころには、あまりにもあまりにも恍惚となってしまって、
「お疲れさまでしたぁ」
という女子美容師さんにたいして、
「んんっ、んう♪」
と返すことしかできない……といった状況とおなじような感じになってしまったのだった。
「お疲れさまぁ。これで神さまの子どもよ♪」
「んんっ、んう♪」
「悩殺ビキニのわたしをこんな近くで観てるから、やっぱりメロメロになっちゃったのかしら?」
「んんっ、んう♪」
恍惚状態のまま朝食をいただき、恍惚状態のままお暇する。
旅館にもどると従業員の方が側近さんから今朝あずかったという言伝をもってきた。
言伝には、森中市長と三原さんはキャンディーズを軸にした選挙戦術をさっそく開始するために、喪服レディさんは久積史歩さんのコンサートに会長を接待するために、それぞれ急遽K市に帰ることになりました。沢田さんは側近中の側近であるこのわたくしがこちらにもどってくるまで、その旅館でくつろいでいてください――というようなことが記してあった。
そんなわけで、ぼくはまたぞろ例の露天風呂を堪能する。
お昼すぎに側近さんはもどってきた。側近さんが運転する車の後部座席を、
「お世話になります」
と開けると、そこには昨日ほんとうなら迎えに行く約束だった三永モモヨちゃんがすわっていた。
モモヨちゃんはやはり怒っているみたいで、みんみんくんのようにわざとクンづけで呼んでも、
「知らないもん」
とからんでこない。
側近さんは、喪服レディさんのラジカセを帰り道でもかけていた。
K市と温泉旅館とを行ったり来たりしながらおそらくこのテープをずっと聴いていたと思われる側近さんは、いつのまにか久積史歩さんの楽曲をおぼえてしまったらしく、「少女のまばたき」や「あぜ道を歩きたい」などに入っている一種のセリフなども、
「あぜ道に咲いているあの花はわたしです」
とテープの声よりやや先行して言っていた。
K市に入ってから遅い昼食を取る。側近さんがお勧めするそば屋で、
「ああ、確かにおいしいですね」
とそばを啜っているあいだもモモヨクンはぼくをほぼ無視していた。相当怒っているようである。
午後の三時すぎに例の教会に到着する。
「側近さん、ありがとうございました」
ぼくは荷物を玄関先に置いたままとりあえず手洗いうがいをし、畳に横になる。
「音楽でも聴くか」
野口五郎のアルバムを聴いていると、けっきょく最後までぼくを無視していたモモヨクンが今度は自転車でこの教会にやってきた。先ほどそばをおごってあげたのだが、それでもまだ怒りは収まらないらしい。
ぼくは玄関先で、
「ごめんなさい」
とまたぞろ謝る。モモヨクンは口もとをぎゅっと結んでこちらを睨んだのちに、
「ココア飲みたい」
と言った。




