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第8話


 新人講習が始まって、二週間が経った。


「はっ、はっ、はっ……!」


 規則正しく呼吸を繰り返しながら、訓練場を駆ける。

 苦しい。

 額から流れる汗を拭う余裕もない。それでも、足は止めなかった。


「あと一周!」

「はいっ!」


 鬼塚教官の声に応え、地面を蹴る。

 二週間前の僕なら、とっくに歩いていた。

 肺が痛い。足が重い。もう無理だと、自分の身体に負けていた。

 だけど、今は違う。

 苦しくなった時の呼吸、疲れた時の姿勢、無駄に体力を使わない足の運び方。

 鬼塚教官から教わったことを、一つずつ意識する。

 前を走る講習生との差は、まだ大きい。

 それでも――。


「ゴール!」

「っ……!」


 最後の線を踏み越え、両膝に手をついた。


「はぁ……はぁ……」


 遅い。

 今日も順位は下から数えた方が早かった。

 だが、二週間前とは違う。走り切れる。腕立て伏せも最後までできる。木剣だって百回振れる。

 少しずつ……本当に少しずつだけど、僕は確実に前へ進んでいた。


「よし、全員集合!」


 鬼塚教官の声に、身体を起こす。

 その時だった。


「終わりました」


 聞き覚えのある声に振り返る。

 透き通るような蒼い髪。無駄なく引き締まった身体。

 神代蒼真。

 僕と同じ新人講習を受けている少年だ。


「……もう?」


 思わず声が漏れた。

 僕がようやく走り終えたというのに、神代君は次の筋力訓練まで終えている。

 しかも、息一つ乱していない。


「神代、追加でもう一セットだ」

「必要ですか?」

「あ?」

「規定回数は終わりました」

「余力があるだろ」

「ありますけど」


 神代君は不思議そうに鬼塚教官を見る。


「それなら、次の訓練に進んだ方が効率的だと思います」

「……」


 一瞬、訓練場が静まり返った。

 鬼塚教官の眉間に皺が寄る。

 怒られる。

 そう思った。


「……好きにしろ」

「ありがとうございます」


 神代君は何事もなかったように、次の訓練へ向かっていった。


「すご……」


 近くにいた講習生が呟く。

 僕も同じことを思った。

 神代君は、この二週間ずっとそうだった。

 走れば先頭。筋力訓練も誰より早く終わる。教わった動きを間違えることも、ほとんどない。

 僕が必死になって一つずつ積み上げているものを、神代君は最初から持っているように見えた。



 三週間目。

 僕の身体は、さらに動くようになっていた。

 走る、跳ぶ、転がる、立ち上がる、木剣を振る。

 最初はいちいち頭で考えていた動作が、少しずつ自然に出るようになってきた。


「一ノ瀬、次!」

「はい!」


 正面から木剣が迫る。


「っ!」


 半歩下がる。

 避けた。

 すぐに踏み込み、木剣を振る。

 カンッ!

 相手の木剣に防がれた。


「そこまで!」


 鬼塚教官の声が飛ぶ。


「一ノ瀬」

「はい」

「今の判断は悪くない」

「……!」


 褒められた。

 たったそれだけなのに、胸の奥が熱くなる。


「ありがとうございます!」

「ただし、踏み込みが遅い。実戦なら二撃目で死んでる」

「……はい」


 やっぱり甘くはなかった。

 それでも、初日の僕なら攻撃を避けることすらできなかった。

 確実に強くなっている。


「次、神代!」

「はい」


 神代君が前へ出る。

 対戦相手と向かい合い、木剣を構えた。


「始め!」


 相手が踏み込む。

 木剣が振り下ろされた。

 神代君は――半歩だけ動いた。


「え?」


 それだけで攻撃が外れる。

 直後。

 カンッ!

 乾いた音とともに、相手の木剣が宙を舞った。

 気づけば、神代君の木剣が相手の首筋で止まっている。


「そこまで!」


 ほんの数秒だった。


「……」


 僕は無意識に、自分の木剣を握り締めていた。

 二週間前なら、ただ「すごい」と思っただろう。

 でも今は、少し違う。

 僕自身が剣を習ったからこそ分かる。

 神代君は、ただ速いんじゃない。相手が動く前から、何をするのか分かっているみたいだった。

 必要な分だけ動く、余計な力を使わない。

 そして、一度の攻撃で終わらせる。


「……なんなんだ、あいつ」


 思わず口から漏れた。


「一ノ瀬」

「っ! はい!」


 いつの間にか、鬼塚教官が隣に立っていた。


「神代を見るな」

「え?」

「あいつとお前じゃ、持ってるものが違う」


 胸の奥を突かれたような気がした。


「……才能、ですか」

「それもある」


 否定しない。


「身体能力。理解力。反応速度。神代はどれを取っても優秀だ」

「……」

「比べても仕方ない」


 分かっている。

 そんなことは、僕だって分かっている。


「でも……悔しいです」


 気づけば、口から出ていた。

 鬼塚教官が僕を見る。


「僕だって毎日やってるのに……全然、追いつけない」

「当たり前だ」

「……」


 即答だった。


「努力したら誰にでも勝てるなんて、俺は教えた覚えはない」


 何も言い返せなかった。


「二週間前のお前を思い出せ」

「え?」

「あの頃のお前と今のお前が戦ったら、どっちが勝つ」


 答えは考えるまでもなかった。


「……今の僕です」

「なら、それでいい」


 鬼塚教官の指が、僕の胸を軽く突いた。


「まずはそいつを毎日倒せ」


 そして、背を向ける。


「他人を見るのは、その後だ」


 僕はしばらく、その背中を見つめていた。


「……はい!」



 四週間目。

 夏休みは、瞬く間に過ぎていった。

 朝起きて、ギルドへ行く。走る。鍛える。学ぶ。

 講習が終われば鬼塚教官と残って訓練する。家に帰り、食べて、眠る。そして翌朝、またギルドへ向かう。

 そんな毎日だった。

 気がつけば、訓練場を走るだけで倒れ込むことはなくなった。受け身を取る時に、恐怖で身体を固めることもない。

 木剣を握れば、自然と足が開く。腰が落ちる。呼吸が整う。

 まだ弱い。

 そんなことは、自分が一番よく分かっている。

 それでも――僕はもう、新人講習初日の僕じゃない。


「全員、集まれ!」


 鬼塚教官の声が訓練場に響いた。

 講習生達が集まる。


「新人講習も残り僅かだ」


 辺りがざわついた。


「この四週間、お前らには基礎体力、受け身、武器の扱い、ダンジョン内での行動を叩き込んできた」


 鬼塚教官が僕達を見渡す。


「だが、覚えただけじゃ意味がない」


 壁際に置かれていた箱を蹴った。

 中には、防具と木製の武器が大量に入っている。


「今日は対人形式でやる」

「……!」


 講習生達の表情が変わった。


「今まで覚えたものを全部使え。ただし、頭部への攻撃は禁止。相手が降参した時点で即座に止めろ」

「はい!」

「組み合わせはこっちで決めた」


 鬼塚教官が一枚の紙を掲示板に貼る。

 講習生達が一斉に集まった。

 僕もその中へ入る。


「誰だろ……」


 できれば、今の自分がどこまで通用するのか試してみたい。

 一か月前とは違う。

 今なら少しくらい――。

 紙の上から順番に名前を追っていく。

 そして、僕の視線が止まった。

 一ノ瀬 黎。

 その横に書かれていた名前は――

 神代 蒼真。


「……嘘でしょ」


 思わず呟いた。


「よろしく」

「っ!」


 すぐ隣から声がした。

 驚いて振り向く。

 透き通るような蒼い髪の少年が、いつもと変わらない表情で立っていた。


「一ノ瀬」


 神代君は掲示板を一度だけ見て、僕へ視線を戻す。


「せっかくだし、全力でやろう」

「……うん」


 木剣を握る手に、力を込めた。

 一か月間、僕は毎日やってきた。

 どれだけ差があるのかなんて、分かっている。

 勝てるなんて思っていない。

 それでも――。


「僕も、そのつもりだよ」


 逃げるつもりはなかった。




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