第5話
迫り来るゴブリン達の首が瞬く間に宙を舞う。
「グギャアァッ!?」
「ギャッ!」
「ッギィ」
煌めく銀光の軌跡は変幻自在。
最高級魔鉱物、ミスリル銀で鍛錬された美しきロングソードは、冷酷に一切の迷いなく魔物を斬り裂いていく。
返り血ひとつ浴びぬ剣技、軽やかに舞う金色の長髪。戦場とは思えぬ優雅な足取りで、一人の少女がゴブリンの群れを蹂躙していた。
「セリナ様、1人で突き進まないでくださいっ!」
髭面の冒険者が慌てた様子で、走り寄ってくる。彼の後方には魔物を処理し終えた冒険者達の姿がある。
「ふふ、ゴブリンごときに何を心配しているの?」
「ダンジョンでは何が起こるか分からないのですよセリナ様!常に連携、警戒をしながら進まなければなりません!」
「心配性ね……」
「セリナ様!!」
「……分かりましたわ、もうっ」
セリナは唇を尖らせると、ぷいと顔を背けた。
彼女の名は、藤宮芹奈。
日本有数の名家、その藤宮家の令嬢である。
金色の髪と透き通るような碧い瞳。その異国の面影を残す容姿から、彼女がハーフであることは誰の目にも明らかだった。
「分かっていただけたなら、何よりです」
冒険者の名は浩一。冒険者歴15年のベテランD級冒険者だ。
堅実な仕事ぶりには定評があり、今回も藤宮家から護衛役を任されていた。
「さあ、どんどん進みますわよ。もう第3層ですのに、ゴブリンしかいませんわっ!!」
「あ、セリナ様っ、お待ち下さい!!」
藤宮家令嬢率いる一行は、異様な静けさに包まれた渋谷ダンジョンを進んでいく。
渋谷ダンジョン。
それは日本に存在する五大ダンジョンの一つである。
今から150年前。札幌、仙台、渋谷、京都、熊本の五か所に、突如として巨大なダンジョンが出現した。
人々はそれらを『日本五大ダンジョン』と呼ぶようになった。
数多の冒険者が挑み、数え切れない犠牲を払いながらも、そのすべてが今なお未攻略のまま存在し続けていた。
《渋谷ダンジョンー最高到達深度62階層》
《達成者 : 藤宮雷斗》
◇
(伯父さんなら、こんな訓練は笑ってこなすんだろうな……)
汗にまみれながら、レイは走らされていた。
霞む視界の中、それでも僕は足を動かし続けていた。
「貴様、その程度か!?」
「ひぃひぃっ」
後ろから追従してくる鬼塚教官は容赦なくレイの尻を蹴り飛ばした。
「ぶひぃっ!?」
「情けない声をあげるな!」
自身の無様な醜態に、自然と泣けてきた。もう足を止めて休んでしまおう。そうすればきっと楽になれる。
緩みそうになる努力の意思を、僕は必死に繋ぎ止めた。
(止まるな……。変わるって決めたんだっ)
鬼塚教官はレイの背中を見下ろし、小さく鼻を鳴らした。
「止まるな! 足を動かせ!」
「は、はいっ!」
肺が焼けるように熱い。
喉は渇ききり、足は鉛のように重い。それでもレイは歯を食いしばり、一歩、また一歩と前へ進んだ。
「新人共、覚えておけ!」
鬼塚の怒号が訓練場に響き渡る。
「ダンジョンで一番恐ろしいのは、強い魔物じゃない!」
新人たちは苦しそうに息を切らせながら耳を傾ける。
「疲労だ!」
その一言に、場の空気が張り詰めた。
「足が止まる。判断が鈍る。剣を振るう腕が上がらなくなる。そうして魔物に喰われて死ぬ。新人が死ぬ理由の大半はそれだ!」
誰一人、反論する者はいない。
「だから俺は貴様らの体力を鍛える。走れなくなった奴から死んでいく世界だからだ!」
「「「はいっ!!」」」
返事は揃ったものの、その声に力はない。
「返事だけは一人前だな。」
鬼塚は腕時計を確認すると、不敵に笑った。
「よし、ランニングは終わりだ。」
新人たちの顔に安堵が浮かぶ。
しかし、その笑顔は次の瞬間には凍り付いた。
「腕立て伏せ100回、腹筋100回、スクワット100回!!」
「えぇぇぇっ!?」
「まだやるんですかっ!?」
悲鳴にも似た声があちこちから上がる。
「文句があるなら今すぐ帰れ。だが、帰った奴は二度と冒険者を名乗るな。」
静まり返る訓練場。
誰も立ち去ろうとはしなかった。
「なら始めろ!」
「い、いちっ!」
「にっ!」
新人たちは震える腕で腕立て伏せを始める。
レイも必死だった。
一回、二回、三回。
十回を超えた辺りで腕が笑い始める。
「くっ……!」
体が言うことを聞かない。
それでも隣では、自分と同じ新人たちが必死に続けている。
(負けるもんか……。)
震える腕を押し上げる。一回でも多く、一秒でも長く。
昨日までの自分より、ほんの少しでも前へ。
それだけを胸に、レイは歯を食いしばり続けた。
「もう、無理だ……」
「こんなの、何の意味があるんだ」
一人が力なく立ち上がり、訓練場を後にした。
それを見た別の新人も、肩を落としながら歩き出す。
「俺も帰る……」
「今日はもう動けねぇよ……」
一人、また一人と訓練場を去っていく。
鬼塚教官はその背中を追うことも、引き止めることもしなかった。
「……」
重い足取りのまま、新人たちは訓練場を後にしていった。
訓練場に残る者は数えるほどしかいない。鬼塚はその中の一人へ静かに視線を向けた。
一ノ瀬 黎、最初見た時から鬼塚は「長くは続かん」と判断していた。
体は重く、体力も人並み以下。訓練が始まってからも誰より苦しそうな表情を浮かべ、何度も倒れかけていた。
だが、その予想は少しずつ外れ始めている。誰よりも苦しみながら、それでも最後まで足を止めない。腕が震えても、歯を食いしばって立ち上がる。
才能ではなく、意地だけで食らいついていた。
鬼塚は腕を組み、スクワットしているレイをじっと見つめる。
「……まだ、立つか」
レイは歯を食いしばり、震える脚で再び立ち上がる。
その瞳だけは、まだ折れていなかった。




