第4話
待ち望んでいた日がやってきた。
僕は東京都中央冒険者ギルドの巨大な扉の前に立っていた。
灰色の石造りの建物は、まるで城のような威圧感を放っている。
その正面には大きく「東京都中央冒険者ギルド」と刻まれた金色の看板が掲げられ、朝早いというのに大勢の人々が出入りしていた。
新品の装備に身を包み、緊張した面持ちで仲間と話す若者。歴戦の風格を漂わせながら、無言で建物へ入っていく熟練冒険者。
受付には依頼の手続きを待つ長い列ができ、その隣では商人たちが武器や回復薬を並べ、威勢の良い声を張り上げている。
その光景を前に、僕の胸は自然と高鳴った。
「ついに……ここまで来たんだ」
幼い頃から何度もテレビで見てきた場所。
世界中の冒険者が憧れ、一流への第一歩を踏み出す場所。
その入口が、今まさに目の前にある。
「よし」
大きく息を吸い込み、重厚な扉を押し開けた。
館内は外から見た以上に広かった。
吹き抜けの天井には巨大なシャンデリアが吊るされ、壁一面には歴代のSランク冒険者たちの肖像画が飾られている。
依頼掲示板には数え切れないほどの依頼書が貼られ、武器を背負った冒険者たちが真剣な表情で見比べていた。
受付は全部で二十か所以上あり、それぞれ長蛇の列ができている。
ギルドは単なる依頼の仲介所ではない。
ダンジョン探索の許可、魔物素材の買い取り、装備品の販売、治療施設の紹介、探索者保険の手続きなど、冒険者に必要なあらゆるサービスを担う、日本最大の組織だ。
国からも大きな権限を与えられており、ダンジョンに入るには冒険者登録が必須となっている。
僕は「新規登録受付」と書かれた窓口へ向かった。
「いらっしゃいませ。本日は冒険者登録でしょうか?」
受付に座る女性が柔らかな笑顔で迎えてくれる。
「はい、お願いします」
「それでは、こちらの申請書をご記入ください」
名前、生年月日、住所、緊急連絡先。
必要事項を書き終え、身分証とともに提出する。
受付の女性は内容を確認すると、再び笑顔を向けた。
「ありがとうございます。登録費用は四十万円になります」
分かっていた金額だ。
それでも、胸が少し痛む。治験バイトで手に入れた報酬と、お年玉を何年も使わずに貯めてきたお金。その大半が今日で消える。
だけど、迷いはなかった。
これは夢への投資だ。
財布から封筒を取り出し、四十万円を数えて受付へ差し出す。
「確かにお預かりしました」
女性は機械で紙幣を確認すると、小さく頷いた。
「これで登録手続きは完了です」
机の下から、一枚のカードが取り出される。
金属とも樹脂とも違う、不思議な光沢を放つ黒いカード。
「こちらが冒険者カードです。ダンジョンへの入場、身分証明、依頼の受注、報酬の受け取りなど、すべてこのカードで管理されます。紛失には十分お気を付けください」
僕は両手でカードを受け取る。
ずっしりとした重みが掌に伝わってきた。
「これが……冒険者カード」
ようやく、本当に冒険者になれたんだ。
思わず頬が緩む。
表面には僕の名前と冒険者番号、そしてランクを示す「E」の文字が刻まれていた。
「登録された方は、新人講習への参加が義務となっています」
受付の女性は奥の部屋を指差した。
「あちらの第三講習室へお進みください。まもなく開始いたします」
「分かりました」
冒険者カードを大切に財布へしまい、僕は講習室へ向かって歩き始めた。
これから教わる知識が、きっと僕の命を守ることになる。
そんなことを考えながら、静かに第三講習室のドアノブを掴んだ。
扉を開けると、既に数十人の新人たちが席についていた。
その最前列には、歴戦の傷跡を顔に刻んだ教官が腕を組んで立っている。
「全員揃ったな」
低く響く声とともに、新人講習が始まった。
◇
「テメェらの面倒を見てやる教官の鬼塚 恒一だ!!」
教壇の前に立っていたのは、顔面に大きな傷跡が走るヤクザ顔の大男だった。
鍛え抜かれた巨体は教官というより猛獣そのもの。鋭い眼光で講習室を見渡すだけで、その場の空気が凍り付く。
怖い。いや、そんな生易しいものじゃない。
まるで生きてきた世界そのものが違う。
鬼塚教官と目が合った瞬間、背筋を冷たいものが駆け抜ける――絶対に、この人を怒らせちゃいけない。
教室中の誰もが、そう思ったに違いなかった。
「この新人講習は30日分行われる。1日4時間の受講となる。もし全て受講し、合格できなければダンジョンに入る為の冒険者資格を取得できない!!」
「え、うそ」
「30日も受けられるかよ!」
「仕事、どうしよう」
突如、肌を刺すような冷たい悪寒が襲う。
「――黙れ!!」
鬼塚教官の怒号が講習室中に響き渡る。
一瞬で私語は止み、誰一人として身じろぎすらしない。
「文句があるなら今すぐ帰れ。だが帰った瞬間、テメェらは一生ダンジョンに入れねぇ。それだけだ」
教室は水を打ったように静まり返った。
「質問があります」
その静寂を意に介さず、1人の蒼髪の青年が手を挙げ尋ねる。
「……なんだ」
「相応の実力を見せれば、すぐに冒険者資格を渡してくれますか?」
「ほう」
その青年はゆっくり立ち上がった。
透き通るような蒼い髪に、無駄のない引き締まった体つき。
その立ち姿には、新人とは思えない自信があった。
「俺は無駄な時間が嫌いなんです」
静かな口調だった。
しかし、その一言に教室の空気がざわつく。
「お、おい……」
「あいつ、何言ってんだ」
鬼塚教官に真正面から意見する者など、誰もいなかったからだ。
鬼塚教官は腕を組んだまま、青年をじっと見つめる。
「名前は」
「神代 蒼真です」
「神代……か」
鬼塚教官の口元がわずかに吊り上がる。
「相応の実力がありゃ資格を渡すか、だったな」
「はい」
「答えはノーだ」
教室が静まり返る。
「テメェがどれだけ強かろうが関係ねぇ」
鬼塚教官は一歩前へ出る。
「この講習は強さを教える場所じゃねぇ。生きて帰るための知識を叩き込む場所だ」
低く響く声が教室全体を包み込む。
「ダンジョンじゃ、化け物より先に自分の慢心が命を奪う。俺はそれを何百回も見てきた」
鬼塚教官は青年を真っ直ぐ見据える。
「だから三十日だ。一日たりとも省略はしねぇ」
神代は数秒だけ鬼塚教官を見つめ返すと、小さく肩をすくめた。
「……分かりました」
そう言って静かに席へ腰を下ろした。
鬼塚教官は教室全体を見回し、低い声で言い放つ。
「他に質問はあるか」
「あ、あのー……」
僕は恐る恐ると言った風に挙手して、声を絞り出す。
「もし、不合格になってしまったら……40万円は返ってきますか……っ?」
「はっ」
「っ!?」
嘲笑い声が横から聞こえた。
咄嗟に視線を向けると、先ほど質問していた神城 蒼真が呆れたように鼻で笑った。
それに、自身の発言を思い出す。恥ずかしさのあまり冷や汗が止まらず、頭を下げて隠れようとする。
「当然の質問だな。半額の20万は返金する事になっている。残念だが残りの20万は受講料だ」
「えっ」
僕はハッとして頭を上げた。
20万円も返ってくる、なんて誤算だ。
い、いや、違う違う。絶対合格しなきゃダメだ、だけど安心は安心だ。
中学生にとって、20万円も等しく大金なのだ。
「あ、ありがとうございますっ」
「他に質問はあるか?」
「僕はありません……」
鬼塚教官は手元の資料を手に取った。
「では皆の手元にある資料には新人講習の内容説明が書かれて……」
ふう、と安堵の息が漏れる。
あの鬼教官相手によく聞けた、と自分でも思う。
僕は肉体的な不利があるから、不合格がすぐさま頭に過ってしまった。
鬼塚教官は手元の資料を持ち上げ、教室全体を見渡した。
「では、資料の一ページ目を開け」
紙をめくる音が一斉に響く。
僕も慌てて資料を開いた。
そこには大きく一行だけ書かれていた。
『新人冒険者一年以内死亡率 三四・七%』
「……え」
思わず声が漏れた。
教室中の空気が一変する。
三人に一人近くが、一年以内に死ぬ。
そんな数字はテレビでも、学校でも聞いたことがなかった。
「驚いたか?」
鬼塚教官は静かに口を開く。
「これは事故でも病気でもねぇ。全部、ダンジョンで死んだ新人の数字だ」
誰一人として口を開けない。
「テメェらは今日から冒険者を夢見るガキじゃねぇ。命を賭けてダンジョンへ入る人間だ」
鬼塚教官の低い声が胸に突き刺さる。
「強ぇ奴ほど死ぬ。自信のある奴ほど死ぬ。『俺だけは大丈夫』と思った奴から順番に死ぬ」
その言葉に、神代でさえ黙って耳を傾けていた。
「だから、この三十日で叩き込む」
鬼塚教官は資料を机へ置く。
「知識、判断力、仲間との連携、魔物の習性、ダンジョンでの行動原則……全部だ」
教室を見回し、力強く言い放つ。
「俺の講習を最後まで受けた奴は、生還率が八割を超える」
その一言には、確かな自信を感じさせた。
厳しい。怖い。
だけど、この人は本気で僕たちを生きて帰そうとしている。
そんな気がした。
「さて、長話はここまでだ」
鬼塚教官はニヤリと笑う。
「明日からは座学だけじゃねぇ。テメェら全員、自分の才能がどれほど通用するか思い知ることになる」
その笑みを見た瞬間、背筋がぞくりと震えた。
僕はまだ知らない。
治験の日から静かに始まっていた体の異変が、明日から行われる新人講習で、どのような結果を齎すのかを……。




